東日本大震災体験談 相馬市 浜通り 【IWJ百人百話】第65話「中島さん」 2013年07月21日

【IWJ百人百話】1.中島さん:福島県の浜通り、相馬市。今年で57歳。中島スーパーを経営。原発集団訴訟原告団長となり、あちこちに飛び回るようになった。原発事故により生活パターンが大きく変わった。子ども時代は稲刈りの手伝いなど、その後両親は行商も ジャーナリスト 岩上安身 @iwakamiyasumi
0
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投でリツィートを開始します。【IWJ百人百話】参院選前特集−第65話の今夜は中島孝さんです。実況を始めます。

2013-07-20 21:49:12
岩上安身 @iwakamiyasumi

以下、連投。【IWJ百人百話】1.中島さん:福島県の浜通り、相馬市。今年で57歳。中島スーパーを経営。原発集団訴訟原告団長となり、あちこちに飛び回るようになった。原発事故により生活パターンが大きく変わった。子ども時代は、稲刈りの手伝いなど、その後両親は行商も。

2013-07-20 21:49:48
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投2 【IWJ百人百話】2.中島さん:農業だけでは将来難しいと、第二の仕事を始めたという点で、地域では早いほうだった。家の手伝いが忙しく、試験勉強もしている時間はないほどだった。目の前は海、振り向けば阿武隈山地の緑。恵まれた自然環境。阿武隈山系の稜線は、 

2013-07-20 21:57:06
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投2 ちなみに中島ストアです。【IWJ百人百話】2.中島さん:農業だけでは将来難しいと、第二の仕事を始めたという点で、地域では早いほうだった。家の手伝いが忙しく、試験勉強もしている時間はないほどだった。目の前は海、振り向けば阿武隈山地の緑。恵まれた自然環境。阿武隈山系の稜線は、

2013-07-20 21:50:43
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投3 【IWJ百人百話】3.中島さん:本当に美しい。のどかなで静かな里。海があり入り組んだ深い緑に囲まれ、平穏にのびのびと育った。南相馬は原発から20㎞圏内を一部含む。相馬市は第一原発から海岸線を北に40㎞ほど上ったところ。そんな物騒なものが近くにあると、 

2013-07-20 21:57:27
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投4 【IWJ百人百話】4.中島さん:今回の事故で初めて知った。子ども時代、親は行商で朝早くから遠くに売りに行く。ほとんど顔もあわせない。ぐずる幼い妹を学校に連れてもいった。中学時代、6歳離れた妹とバスに乗り、母親の実家に行こうとした。

2013-07-20 21:58:06
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投5【IWJ百人百話】5.中島さん:けれど降りるバス停を間違え、大人の足でも30分ほどかかる道のりを妹と歩いた。そのとき父親には、お前はダメだなぁと言われた。学生時代なぜか胃潰瘍になってしまった。そのため、同級生と協調性を保つための体育の時間、教師から 

2013-07-20 21:58:34
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投6【IWJ百人百話】6.中島さん:無理をしないようにと、抜けるように言われた。その後、自分に協調性が欠けているのは、同級生と一緒に競技をしなかったせいだと思ってしまった。高校に進学し、演劇をするようになり、演劇も良いなと思った。ただ、 

2013-07-20 21:59:49
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投7 早稲田の商学部。【IWJ百人百話】7.中島さん:本当に自分が何をやりたいのか、突き詰めて考えることができなかった。大学は商学部に進み、商社マンになろうと思った。けれど両親は、長男だから実家に戻ることを期待した。長男は故郷に戻り親の面倒をみるべきとの考えを受け入れた。

2013-07-20 22:01:24
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投8 【IWJ百人百話】8.中島さん:結局卒業を機に実家に戻り、相馬地方農業共済組合に勤めた。組合は減反政策。それは将来的に農家を苦しめることになる。子どもの頃、イモチ病になったりしないよう、土手の草刈りを手伝ったりした。農家はどれだけ丹精込めているか。

2013-07-20 22:01:48
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投9 【IWJ百人百話】9.中島さん:そうした農家のたいへんさを身にしみて分かっているのに、農家を苦しめる減反政策、それを進める共済のお先棒を担ぐわけにはいかないと思った。いっぽう、両親と妹と父親の姪とは、流通に関わる仕事を始めようとした。 

2013-07-20 22:03:27
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投10【IWJ百人百話】10.中島さん:始めたところが両親は悪戦苦闘。そのたいへんさに母親が音を上げたので、共済組合を辞めて手伝うことにした。あと半年で30歳になるときだった。30歳を前に新しい仕事に就くのは厳しいと感じたが、もうやるしかないと思った。

2013-07-20 22:03:48
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投11【IWJ百人百話】11.中島さん:当時、子どもは幼稚園に入る頃。通園する後ろ姿を見て、食べさせていけるかと思ったが、幸い妻は公立幼稚園の保育士だったので、何とかなるかと思った。ところが、辞表を出したと聞いた父親は、長男が仕事を辞めるとは、と怒った。

2013-07-20 22:11:32
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投12 【IWJ百人百話】12.中島さん:その時、怒る父親の姿を見て、転職し、新しい仕事を始める怖さを実感した。いまの店舗は60坪。当初は2階建て25坪の田舎の小さな店。そこに父親が仕入れてきた魚、野菜、一般の食品、さらに総菜も。小さな店なのに豊富な品揃え。

2013-07-20 22:12:00
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投13【IWJ百人百話】13.中島さん:しかも2階には宴会場。一気に手を広げた店舗で、毎夜、宴会の後片付けに追われる母親は、たいへんさを嘆いていた。通常、大手スーパーは、規模が大きくなると、1人あたりが受け持つ面積も広くし、人は増やさない。

2013-07-20 22:12:22
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投14 【IWJ百人百話】14.中島さん:大手は、入ってきた商品を並べるだけなので、開店時も整然としている。けれど個人の場合は、仕入れからやらないといけない。人手が足りない。店舗を広げたときに対応できず、人も増やすという大手とは逆のことをやってしまった。

2013-07-20 22:12:45
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投15 【IWJ百人百話】15.中島さん:結果、月末には自分の給料は残らない。問題は人件費だと気付くのに、少し時間がかかった。阿武隈山系から海に流れ込む水、その漁場の魚はとても美味しいと評判に。そこで総菜に力を入れ、付加価値を付けて手作りでやっていこうと。

2013-07-20 22:13:06
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投16【IWJ百人百話】16.中島さん:従業員は減らすのではなく、むしろ増やすことにした。店を初めて3年目、親戚の女性が作った真っ黒になったミソてんぷら。売れないと思ったのにこれが売れた。おふくろの味。見た目は悪くても美味しい。こうした総菜が主力となった。

2013-07-20 22:13:42
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投17【IWJ百人百話】17.中島さん:そのうち、近所にできた大手スーパーやコンビニの影響で売り上げは落ちた。いっぽう自分の店は、団地のなか、駐車場も狭い、どうするか。あるとき、団地の中で子どもの泣き声が聞こえた。聞けば、親が家にいないという。そこで、

2013-07-20 22:14:12
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投18 【IWJ百人百話】18.中島さん:親が帰宅したら分かるように張り紙をして、子どもを預かった。スーパーの仕事ではないが、団地で仕事をしていれば、おのずと近所の生活は分かる。ハイタッチの関係。近所に迷惑をかけているちょっと行儀の悪い子どもにも声をかけて、

2013-07-20 22:14:44
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投19 【IWJ百人百話】19.中島さん:店に連れてくる。そういう子どもたちが成長すると、店に来てくれる。お互い様。自分にも子どもいる、子どもをもつお客さんの気持ちも分かる。何かあれば中島スーパーに相談に行こう、という関係。お客さんに助けてと言われれば、

2013-07-20 22:16:02
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投20 【IWJ百人百話】20.中島さん:できるだけのことはしようと思っている。お客さんの要求と、自分たちの持っている力と、どこで折り合いを付けるかを考える。大手は大手なりにノウハウを蓄積しているが、経済合理性、効率性を優先する。同じ流通業界にあっても、

2013-07-20 22:16:28
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投21 【IWJ百人百話】21.中島さん:大手とは違うやり方に、小規模店の可能性もあると思っている。3.11のときは、大きな揺れに、女性従業員は悲鳴を上げていた。テレビでは津波の映像。店舗は海から内陸に向かって2㎞ほど。ただ近くの松川浦からは数百m。 

2013-07-20 22:16:52
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投22 【IWJ百人百話】22.中島さん:津波が9mとなると危ない。そこで従業員には、津波が来るとなったら、お客さんを避難させるよう伝えた。団地の100m先まで漁船が流されてきていた。夕方5時に水道が止まり、汲んで置いた水道水で夜8時まで営業は続けた。

2013-07-20 22:17:17
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投22ー訂正 “@wakuwakuchizuru: 【IWJ百人百話】22訂正)その日は午前2時まで営業した。”

2013-07-20 22:17:48