10周年のSPコンテンツ!
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島薗進 @Shimazono
1【平和に生きるために】李贊洙(イ・チャンス)(ソウル大学研究教授)「躊躇い、立ち止まり、省察すること―平和に生きるために」(『CANDANA』253号中央学術研究所2013年3月)福島原発災害後の社会を生きる上で示唆に富む文章。「リスク社会」「疲労社会」を平和に生きるとは?
島薗進 @Shimazono
2【平和に生きるために】李贊洙氏は最初の小節を「新自由主義時代」と題している。「この社会は、どのような理由で、平和でないのだろうか」と問うている。「資本主義は、より多くの資本を生み出すために個人の最大限の主体的能力を生み出すことを要請し多くの成果を急き立てるように要求する。」
島薗進 @Shimazono
3【平和に生きるために】「ところが、法的には少なくとも自由と平等であることが建て前にある以上、強制的に人を働かせることも困難な社会である。そこで、個々人は競争から弾かれぬよう、自らを搾取して成果を最大化し始めた。成果主義の社会の本質が、個人の自由を越境してきたわけである」
島薗進 @Shimazono
4【平和に生きるために】それはまた、リスク社会化とも重なりあっている。次の小節は「地球規模の危険な社会」と題されている。「このリスクが社会の発展の名のもとに隠蔽され、人間の日常的認識能力を統制力を飲み込んでしまうほど、災難の根源として作用することになったということである」
島薗進 @Shimazono
5【平和に生きるために】「リスク社会がさらに危険な、その根本的な理由は、自身の成果が結局は自身の脅威となるという事実から目を背けさせ、忘却するように仕向ける社会であるところにある」「原子力発電による電力受給の恩恵を被っているこの社会は、原子炉の損傷という不慮の事故の起こり得る」
島薗進 @Shimazono
6【平和に生きるために】「リスクを社会の発展の名のもとに隠蔽しようとする。当事者を含めた社会全体が危険に陥り得る事実から目を反らさせ、知っていながらも実行できないように、社会のシステムがそのように働いているのだ」「リスクは一時的な恩恵者を含んで、結局は、全人類に悪影響を及ぼす」。
島薗進 @Shimazono
7【平和に生きるために】「そこでベックは」その種のリスクについては「人類が作り上げてきた経済的発展をあきらめ、既存の産業社会の構造を変更してでも、リスクを封じ込めることが喫緊の課題であると考えている」。李贊洙氏は次にハン・ヨンチョル氏の「疲労社会」という概念を援用して論を進める。
島薗進 @Shimazono
8【平和に生きるために】小節「疲労社会と宗教」では在ドイツの韓国人哲学者ハン・ヨンチョル氏の『疲労社会』を引く。「成果主義の社会は、近代以前の、ある皇道をさせないような否定的な社会ではなく、何かさせようとする肯定社会である。かつての禁止・命令・法律の場所に、今日では」
島薗進 @Shimazono
9【平和に生きるために】「プロジェクト・イニシアティブ・モチベーションなどの言葉がとって代わっている」「成果主義の社会は自己主導的な人を要請する」「だが、自己主導的なるがゆえの“自由”であるはずの仕事も、その実は、目に見えない“強制力”に身をゆだねなければならないというのが現実」
島薗進 @Shimazono
10【平和に生きるために】「成果主義の社会では、自らが“自由”の被害者となるのだ」「一方、この時、見えない強制力に疲れ、仕事にたいして自己主導的になれないのであれば、それだけ挫折感も大きくなる。その挫折に対する病理学的表現がうつ病である」「成果主義の社会では、うつ病患者や」
島薗進 @Shimazono
11【平和に生きるために】「競争からの落伍者が量産される」「このような社会において、人々は、なおさら疲れた心を慰め、癒す場所を求めるであろう」「宗教教団の大型施設もこのようなニーズのなかで建設されている」。それは「成果主義社会の見えない尖兵の役割を果たしている」のではないか。
島薗進 @Shimazono
12【平和に生きるために】そこで宗教の役割だが、ここで李贊洙氏は文章全体と同じく「躊躇い、立ち止まり、省察すること」と題した小節を置く。「成果主義の社会は、中断も休息もなく、疲労困憊と脱力状態とを引き起こす。社会の加速化と過剰な活動のなかで、人間は怒ることも忘れてしまった」
島薗進 @Shimazono
13【平和に生きるために】「怒りは流れを止めて抵抗する行為であり、ある状況を中断させて新しい状況を始まらせる能力である」「ところが成果主義の社会では、怒るといっても、ただ個人的な感情の領域に留まる」「スピードに飲まれて、立ち止まることが難しくなった人間は、創造的怒りというよりは」
島薗進 @Shimazono
14【平和に生きるために】「消耗的な嫌気をいい、腹を立てる。社会的な変化を起こせぬまま、嫌気と神経質が社会に広がる。癇癪は事態を止めることができず、社会にたいして怒ることすらできないことからくる神経疾患である」「現代は、癇癪と神経質の社会だとしても過言ではない。機械は怒らない」
島薗進 @Shimazono
15【平和に生きるために】「少しの間でも止まろうとは思わず、躊躇おうともしない。ところが、愚かである。躊躇う能力がなく、従順に成果だけを出すように組み立てられているからである。今日私たちは、このような機械と果たしてどのくらい違いがあるといえるのだろうか」。では、代案は何か?
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16【平和に生きるために】代案も「多少非現実的な処方箋」とならざるをえないと李贊洙氏はいう。まずは「省察」だ。「省察は怒りが純化されて、そ目的が実現されていく第一歩である」だが、「既存の流れで見れば、省察は非現実的で非生産的となる」。だが、疲労社会から脱するには不可欠でもある。
島薗進 @Shimazono
17【平和に生きるために】李贊洙氏は最後の小節を「平和を目ざす宗教」と題している。ヨハン・ガルトゥンクのいう「構造的暴力」から自由な「積極的平和」はどうすれば成し遂げられるのか。「宗教者の立場より見れば、何よりも成果主義の社会に飲み込まれたことからくる疲労状態から一歩脱して」
島薗進 @Shimazono
18【平和に生きるために】「脱した位置から見えない強制的暴力の犠牲者を救出し、競争社会での落伍者がないように助ける方法が成り立つということでなければならないであろう。宗教者は人々に寄り添い、ゆっくりと「共に行く人」でなければならない。共に歩けば、当然、遅く行かざるを得なくなる」
島薗進 @Shimazono
19【平和に生きるために】「だが、そのように遅れて行くことを覚悟した人であってこそ、宗教者としての資格を有するであろう」「「一切衆生病むを以って、是の故に我病む」(『維摩経』「文殊師利問疾品」)という、維摩居士の言葉に、平和の社会性と関係性を全身で悟っている者の声を聞く。」
島薗進 @Shimazono
20【平和に生きるために】「地球規模のリスクを背負った社会のなかで広がる葛藤と痛みを、宗教者は、自分のこととして共感する人であらねばならない」「福島第一原発の建屋がガス爆発を起こしたが、東京にいて心の平安だけを追求するならば、それが果たして平和なのであろうか。リスク社会と」
島薗進 @Shimazono
21【平和に生きるために】「疲労社会は、加速化して進行し、大量消費を助長する無言の衝動でもある。しかし、それは、わたしたちが共に、そして、ゆっくりと確実に歩を進めながら、治療しなければならない対象でもあるのだ」「平和を成し遂げるのは、強いられてある“自由”という名の強制力から」
島薗進 @Shimazono
22【平和に生きるために】「“躊躇って”立ち止まり、“省察”する時、平和という理想と反平和的な現実との分かれ道が明白となる。その強要された流れの外に身を置き、宗教の理想を各自が確認しなくてはならない」。原発・脱原発の倫理を考える上でそれなりに学ぶべき論ではないだろうか。
島薗進 @Shimazono
23【平和に生きるために】原発を「犠牲のシステム」「リスクの押し付け」と捉える論 (たとえば池内了氏の論http://t.co/Fvzo6RutIk )と対比するとどう捉えられるか。ベックもそうなのだが、この論では加害者と被害者が区別しがたいような状況がやや強調されている。
島薗進 @Shimazono
24【平和に生きるために】「リスクは平等に及ぶ」「自分で自分を急き立てる社会」というように。こうした側面を充分に組み込んで考えていく必要は確かにある。だが、他方、池内氏らの論ずるように、特定の社会層が利益を得て弱い立場の人たちにリスクを負わせるという側面からの補正も重要だ。
島薗進 @Shimazono
25【平和に生きるために】「省察」が強調されているのは、宗教者の役割の自覚によりものだが、社会の側から見ると、哲学・倫理・宗教といった「省察」の文化資源をもっと活性化することの必要性を訴えたものと読みかえうる。原発と新自由主義が強いるものを「省察」することの重要性と受けとめたい。

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