サザエのお裾分け 黙示録20章 〜(7)〜
- wancupmaster
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さてと、やっと黙示録20章のまとめも終わりが見えてきました。(長かった…f^^;) 何しろ千年間の出来事が20:6と20:7の間にはあるわけで、いくらなんでも端折り過ぎでしょ?!と思ってしまうのです。 やっと千年王国の終わりに何が起こるのかについて、書ける恵みを感謝します。
2013-07-31 06:56:57cf 黙示録20:2~3ー彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンはそのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
2013-07-31 07:08:38神がサタンを解き放す理由は、再び人類を試すためです。再臨の主イエスが王として統治するメシア的王国では、千年にわたり、ほぼ理想に近い世界です。罪も死も今に比べると大幅に減ります。しかし、肉を持った人間には「原罪」があるため、完全になくなったわけではないのです。
2013-07-31 07:17:44神の統治がどれだけ長くあっても、人間の罪の性質は変わりません。千年の終わりには、肉体のまま患難時代を生き伸び、羊組に入れられてメシア的王国に入ってきた人々の子孫が大勢いることになります。それらの人々を試すためにサタンが解き放たれるのです。
2013-07-31 08:18:41彼らはまだ、メシアを王として認める決心をしていない者たちなので、全員百歳以下の若者(?!)たちです。メシアを王として認め、メシアの律法に従う決心をした人々は死ぬことがなく、生き続けます。
2013-07-31 07:25:27黙示録20:8ーゴグとマゴグ…サタンの欺きが地の果てにまで及ぶことを示すことば。 この侵略が患難時代の前に起きる侵略ににていることを示します。サタンは世界の諸国民を惑わします。この侵略もまた、イスラエルに対するものです。cf エゼキエル38:1~39:16。
2013-07-31 07:43:01黙示録20:9ーサタンの欺きによる異邦人の軍勢は、全世界に広がります。彼らはメシア的王国のイスラエルに侵攻し、エルサレムを包囲します。しかし突如 天から降って来る火によって、瞬時に焼き尽くされてしまいます。
2013-07-31 07:49:06黙示録20:10ーサタンは「火と硫黄との池」に投げ込まれます。反キリストと偽預言者は、千年前からそこに入れられています。 「火と硫黄との池」が、彼らの永遠の住まいになるのです。これでサタンの活動はすべて終了することになります。
2013-07-31 07:52:58*ここで重要なのが、1コリント15:24~28です。 1コリント15:24ーそれから終わりがきます…サタンの活動がすべて終了したことにより、「死」がなくなります。
2013-07-31 07:57:02キリストは十字架の死と復活のゆえに、メシア的王国において権威を持たれました。 cf マタイ28:18bーわたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。 この権威は現在、教会を通して行使され、将来、メシア的王国においてキリストご自身が行使されます。
2013-07-31 08:01:241コリント15:25ーサタンを含むすべての敵が滅ぼされるまでは、キリストの支配が続きます。 1コリント15:26ー最後の敵は、サタンではなく死です。メシア的王国でも信じない者は百歳で死を迎えるので、依然として死は存在していました。サタンが火の池に入れられた後、死はなくなります。
2013-07-31 08:07:231コリント15:27ーこうして千年間続いたメシア的王国は終わりを迎え、万物がメシアに服従するようになります。
2013-07-31 08:13:281コリント15:28ーその段階で、メシア自身も父なる神の権威に従われるのです。 *御子がメシアとしての働きを終えることにより、三位一体としての神が、エローヒムなる「神」としての存在に戻られるのだと思います。
2013-07-31 08:14:24黙示録20:11ー大きな白い御座に着座しておられる方…通常は「御父」ですが、ここではさばきのために着座されていることから、イエス・キリストです。 cf ヨハネ5:22ーまた、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
2013-08-01 08:03:05すべてのさばきがキリストにゆだねられています。 地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった…創世記1章で神が創造され、存在していた天と地とが消え去るということ。
2013-08-01 08:18:04黙示録20:12ー死んだ人々が〜御座の前に立っているのがいるのを見た…肉体の死後、「無」になるのではありません。 神様はいる!(イエス様の福音のことね)と信じて生きた人は、死後、万が一神様がいなかったとしても何も損はしません。神と人を愛し、人生を全うすれば悔いはないからです。
2013-08-01 09:23:15逆に、神様はいない!と生きている人は、すべての決定権を自己に置き、判断することになります。死後、神様が本当にいなければ何も損はないでしょう。最後まで自己中心に、ある意味自由に生きていたわけですから…。しかしもし本当に神様がおられ、死後、その神様の御前で開かれる裁判に出されたら…?
2013-08-01 09:28:25ここでは人生を「神はいない!」の方にかけて生きて来た人々が、神の最後の法廷に引きずり出されているのです。 有罪か無罪かを決める裁判ではなく、刑の重軽をきめるための裁判です。
2013-08-01 09:32:53数々の書物…裁きに対し、証拠となる何種類かの書物のことです。 1)記憶の書…各人の行ないが記録された書物。罪人はこの書物に書かれた内容によって裁かれます。cf マラキ書3:16。
2013-08-01 09:37:372)いのちの書…この地上に誕生したすべての人の名前が書き記されたもの。 ただし、キリストを信じることなく「罪人」のままで死んだ人の名前は、肉体の死とともに消し去られます。cf 詩篇139:16、69:28、黙示録3:5。
2013-08-01 09:44:53罪人の裁きは、この「いのちの書」から、その名前が消されていることを確認した後、「記憶の書」に記された内容に従って行なわれます。
2013-08-01 09:46:143)小羊のいのちの書…「いのちの書」とは別物で、キリストを信じた者だけの名前が記されたもの。cf 黙示録13:8、17:8。
2013-08-01 09:51:19