インスタレーションについて

@dream_shifter さんとのインスタレーションをめぐるやりとり。
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おおと @dream_shifter

@t_hayashi 無自覚という感じもわかる気がします。私はこのような問題には比較的寛容になるようしてます。新しいものはマージナルから生まれる事が多く、それが多くの人に共有/共通認識として落ち着くまでには、対象とそれへの投影が、関わる者たちを介して動的に変化する過程が必要だから

2013-08-04 05:07:05
はやし @t_hayashi

@dream_shifter ぼくは「インスタレーション」というのはじつは新しいのはその名称だけだと思っていてその原型はかなり究極に近いかたちで中世ぐらいにはすでにあったと思うんです。つまり、教会という場と、そこに展示されているものと、そしてそこに詣でる人の三位一体としての礼拝。

2013-08-04 05:21:54
はやし @t_hayashi

@dream_shifter そうした礼拝モデルを自覚的に「藝術」としてプレゼンしなおしたのが言わずと知れたヴァーグナーですね。そういう前例が屹立していると、後発のものとしてはなかなかやりにくい。

2013-08-04 05:23:22
はやし @t_hayashi

@dream_shifter あと、「あたたかく見守る」という寛容さも必要だとは思うんですが、ただ、現状を鑑みるに、「インスタレーションって言っときゃいいんだろ」みたいなイージーさが蔓延しているようにも思え、ゆえに、「もっと考えてもっとたのしませてくれよ」と思ってしまいます。

2013-08-04 05:26:10
はやし @t_hayashi

@dream_shifter もちろん「没入型メディアアート」としての側面をインスタレーションは持っていると思うんです。それも、その重要な構成要素として。ただ、インスタレーションというものがそれだけでは捉え切れないのも事実。なかなかむずかしいですね。

2013-08-04 05:29:00
おおと @dream_shifter

@t_hayashi 私が関わりを持ってた時はもっと萌芽的で良かったです^^; しかし「言っとけばいい」というのはあかんね。「みるものを震わすもの」で無いと価値はないし、それは分野を超えたことなので、そんなんは普通にご退場頂きたい。でも、それがなってない所に歪みがあるのでしょう。

2013-08-04 05:47:52
おおと @dream_shifter

@t_hayashi その「残渣」の感覚もわかります。突き詰めて行くと、言語として捉えようとすると消えて(別の何かに捉えられて)しまう「何か」ではあるんだけど、他の概念とわけうる境界が本当にあるのかすら分からない。そして、緩やかに重なり合うとする方が正しいのだと私は思い至る…

2013-08-04 05:55:11
はやし @t_hayashi

@dream_shifter 「インスタレーション」というものに真摯に取り組んでいる人がじっさいには多勢だと思うんですが、「悪貨が良貨を駆逐する」式に、「とりあえずそう言っときゃいい」といっただらしない作品ばかりがなぜだか目に付く。それはかなしいことです。

2013-08-04 05:57:48
おおと @dream_shifter

@t_hayashi 新しい概念は、往々にして既存の概念から多くのものを借り受けています。既存の概念から切り出される為には何らかの「アイデンティティ」の表明が必要なのですが、インスタレーションという概念にはそれがあるような気がします。言語化はできないけれど…

2013-08-04 06:03:20
はやし @t_hayashi

@dream_shifter とまれ、現在は「インスタレーション」という名称がかもす「何となく」の雰囲気によりかかるだけでその内実の批判/反省をすっとばしたものが散見せられるので(そして、そういう雰囲気にのまれてしまいがちな鑑賞者にもこの傾向の責任がある)、よくないです。

2013-08-04 06:03:52
はやし @t_hayashi

@dream_shifter インスタレーションにそれまでにはなかった固有の何かがあるかどうかぼくにはちょっと分かりません。外形的なあれやこれやはとうぜん時代の移り変わりにつれ変化しているにせよ規定的な形式は「還俗した礼拝」でほぼ言えちゃってる気がする。もっと考えてみます。

2013-08-04 06:11:25
おおと @dream_shifter

@t_hayashi 私としては、走ってる当事者が十分に自覚してなくても、後に振り返ってみれば「ああ、そうだったのか」と思えるので十分な気もします。実際、例えば、絵画で丸々の分野を築いたという人がどれだけ自覚してたか微妙な事も多いですし^^;

2013-08-04 06:11:38
はやし @t_hayashi

@dream_shifter 「絵画でまるまるの分野を築いた」という人はいわゆる「天才」であり、かつ、そういう人は自分のやっていることの立脚点にかんして無自覚どころかきわめて自覚的だったりするので、基本的に、できれば、自分のなすことの反省ってのはあったほうがいいと思います。

2013-08-04 06:17:31
おおと @dream_shifter

@t_hayashi 新しい概念の多くは、既存の概念で言えちゃうもんですよ^^; とはいえ、指摘されてるように「聖なるもの」は無いですね。あと儀式的形式化が無い、集団に対する一方向性が無い(個人体験的)など、違いはいろいろ目につきますね。

2013-08-04 06:19:13
はやし @t_hayashi

@dream_shifter ただこの場合、そのフォーマットがあまりに似通っているようにも思われるんですね。もちろん、インスタレーション作家がみな礼拝モデルやヴァーグナー的総合藝術を意図的に参照しているとは思わないですが、根っこの部分でその形式に回帰してしまうのはなぜなのか。

2013-08-04 06:28:06
はやし @t_hayashi

@dream_shifter あとやっぱり「還俗」って部分がそれなりにキーになるとも思っていて、同時に、いわゆる「インスタレーション」として提示されるものがときにかもしだす「宗教感」のようなものに感じる居心地のわるさというのは何だろうという個人的な興味もあります。

2013-08-04 06:30:40
はやし @t_hayashi

@dream_shifter ただいっぽうで、「自覚的であること」というのを必須要件だともべつに思っていなくって、自覚や反省抜きのフィーリングで押し通したっていい。でも、そこにあとづけで出来合いの呼称をかぶせて作品価値の嵩上げを狙うのは、よろしくないですね。

2013-08-04 06:21:44
おおと @dream_shifter

@t_hayashi 厳しいな~。確かにそうまんだよね^^; (ちょっと中断します。まとまった時間が欲しいし、寝ないとだし^^;)

2013-08-04 06:21:52
はやし @t_hayashi

@dream_shifter いや、作家のみなさんにはそれだけ期待しているし、たのしませてほしいと思ってるってことですよ。というか、ぼくも眠りに戻らなくては……(なかばあきらめていますが)。

2013-08-04 06:32:59
おおと @dream_shifter

@t_hayashi 回帰や復古はよく行われる行為だし、それをアレンジしてオリジナリティを出そうとする試みも多いのではないかと思ってます。それをおいておいて、人には黄金律を美しく感じるとか音楽理論のように根幹的なものがあるのは確かです。

2013-08-04 13:08:39
はやし @t_hayashi

@dream_shifter 「回帰や復古はよく行われる」という点にかんして、それはそうなのですが、それだけでは「なぜ」に答えられていない。インスタレーションというものが礼拝をモデルに持っているように思われるとしたら、それはなぜなのか。

2013-08-05 14:20:08
はやし @t_hayashi

@dream_shifter 直截的な参照なのかどうなのか。直截的でないとしたら、系譜をたどれば礼拝モデルに行き着くのか。あるいは、礼拝モデルを遡って、さらなる「源」があるのかどうか。そういうことが知りたいのです。

2013-08-05 14:21:03
おおと @dream_shifter

@t_hayashi 宗教において、儀式に伴って生じる集団に対する一体感や、変性意識状態に内包される「自他境界の消失」という特質が、インスタレーションに含まれているように思います。作品の展示を通して積極的に受け手へ働きかけ、作品と一体化させるという行為が宗教的儀式を彷彿させるかと

2013-08-04 13:42:38
はやし @t_hayashi

@dream_shifter また、「人には黄金率を美しく感じるとか音楽理論のように根幹的なものがあるのは確か」と仰っていますが、これは端的に誤りです。何を美しいと思うかは藝術ジャンルの如何を問わず文化に相対的で、そしてそれは生得的なものでもありません。

2013-08-05 14:22:48