「インスタレーション」って「展示」以外にプラスアルファの意味合いがこめられているのだろうか。そうでなければふつうに「展示」って言えばいいのにと思うのだけど。
2013-08-03 19:40:10@dream_shifter おそらくは、これがおおとさんの言いたかったことであるかもしれませんが、「展示」というと「作品」単体が重要な意味を持つのに対し、「インスタレーション」だと「作品+その見せ方」が肝になってくるのかなあ、と。(この意味で、相互作用は必ずしも求められない)
2013-08-03 19:57:38@t_hayashi 前職でインスタレーション作品作りに参加したことがあり、アーティストの人がそのように言ってました。サウンドについても、参加者との相互作用で構成する作品となると思います。
2013-08-03 20:28:26@dream_shifter ただ、実際問題、「インスタレーション」と名指されているあれやこれやからじっさいに相互作用性や、あるいは「相互作用への意志」をそれほど感じ取ったことがないのですが、これはぼくの感じ方の問題かもしれません。いずれにせよ、ご教示ありがとうございました。
2013-08-03 20:32:11@t_hayashi オノヨーコの作品で指示を書いてあるのを読ませるものがあって、インスタレーション作品と謳ってたのがありましたね。見るものに訴えることで作品を形成するとか何とか言ってましたが、美術作品って元来そういうものでは?と疑問に思った事があります。^^;
2013-08-03 20:40:22@dream_shifter いや、まさにぼくが疑問に思うのもそこなんです。つまり、「インスタレーション」と呼ばれようが、あるいは製作者に相互作用への意志があろうがなかろうが、作品というのはなかば不可避的に見るものと相互作用してしまうものなのではないか、と。
2013-08-03 20:41:50@t_hayashi 実際に体験してみると、何を指してるか分かりますよ^^; NTTインターコミュニケーションセンターとか、金沢21世紀美術館とかかなあ。メディアアートの一角に位置する感じです。
2013-08-04 02:45:22@dream_shifter いや、そういうものにかなりふれての感想なのです。知らずに言っているわけではありません。そして、そのうえでやはり、「相互作用性」というものが、本人たちがどう言おうと、「インスタレーション」なるものに排他的にあるとは思えないのです。
2013-08-04 03:46:42@t_hayashi 確かに。言いたいことが分かってきた。何か本を読む時でも読み手の中にある経験からの投影によって変わりうるし、そういうのを期待する著作物もあるわけで、殊更「相互作用性」を特殊化するのはどうか?ですね。正直に言うと私もそう思います。作り手と関わったにも関わらず…
2013-08-04 04:06:59@dream_shifter また、「インスタレーション」というものを辞書的に捉えて「場の変容を目指す藝術」としても、そもそも場を変容させないものは「藝術」と言えないように思えるし、あまりに場との結びつきがつよすぎるとそれはもはや「インスタレーション」とは呼ばれない気もする。
2013-08-04 04:16:34@dream_shifter たとえば、タレルの諸作は「インスタレーション」と呼び習わされることが多いように思うのですが、いっぽう、コルビュジエの礼拝堂はそう呼ばれないのはなぜか。そういう「例外」や「境界事例」ばかりが浮かび、よく分からなくなります。
2013-08-04 04:20:18@t_hayashi タレルはインスタレーションと評されてはいるけど、積極的な相互作用性は感じないですね^^; あらゆる分野にはあやふやなマージナルが存在し、それらは個々人の認識によって異なって来るんだろうなと。
2013-08-04 04:40:34@dream_shifter また、「インスタレーション」に相互作用性を排他的にかぶせる問題としては、相互作用性を主に据える藝術にはすでに「インタラクティブ・アート」という呼称があり、じじつ、インタラクティブではあるけれどインスタレーションではないものが想起されるからです。
2013-08-04 04:24:10@dream_shifter だから、あくまで理念的に言えば「インスタレーション」とは、従来の「作品=展示物」という「展示物の排他的主権」に異を唱え、「作品=展示物+場+鑑賞者」という三つ組でワンセットということなのですが、この三つ組のバランスというのがなかなかむずかしい。
2013-08-04 04:32:51@dream_shifter 「展示物」に重きが置かれすぎれば旧来的な「作品」であるし、「場」に重きが置かれすぎればそれはたんに「建築」と呼ばれてしまい、「鑑賞者」を軸に据えればそれはもはや「インタラクティブ・アート」と呼んだほうがふさわしい。
2013-08-04 04:35:41@dream_shifter そういう内在的困難がインスタレーションにあると思うし、そして、ぼくがあえて「インスタレーションって分かんない。展示じゃだめなの?」と言った理由は、作家も含めて多くの人がそうした困難に無自覚なのではないか、そういう思いがあったからです。
2013-08-04 04:37:56@t_hayashi とはいうものの、「インスタレーション」と称してる作品たちは何らかのカテゴリとしての共通点を持ってる訳で、私が感じるのは「没入型メディアアート」と言えるのではと思うのです。
2013-08-04 04:31:53@dream_shifter では「家でレコードに聴き入る」はインスタレーションと見なしえますか?(ぼくは、見なしうる場合もかあるけど、通常はそうではない、と思います。たとえば、カールステン・ニコライがギャラリー360でやったことを自宅で再現すれば、それはそう見なせうると思う)
2013-08-04 04:42:39@t_hayashi 確かに微妙ですね。インスタレーション系?の作品にサウンドスケープ型のがあって微妙だなと^^; 没入型メディアアートと言ってしまうと広くなっちゃいますね。
2013-08-04 05:11:55@t_hayashi インスタレーション等新規概念が導入されていく力学があるとすれば、芸術そのものが新しい領域を開拓せねばならず、時代や関わる者の認識変容と相互作用せざるをえず、それ故に既存領域と重なり合いながら何かを生み出していかざるを得ないという焦燥感にあるような気がします。
2013-08-04 04:52:44@t_hayashi このように展開されてくると、「インスタレーション」という概念は、これらの既存領域における曖昧なマージナル(学際領域というより危うさが強い)に名前を付けようとしたとも取れそうです。
2013-08-04 04:58:00