【シューニャリアーナ享受論】駿立つ、いおりのみさきに
- L_O_Nihilum
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くれぐれも、創作していくアニメが、世論や評論、批評といった「他者のイメージ」というロンギヌスのやりに貫かれなければ、享受者たちもずっと見守ってくと思います。それが出来なくなってATフィールドを喪失するようながらぱごす発展とかしたら、死ぬ。てか、それこそ宮崎が恐れてる事でしょ。
2013-08-05 22:30:33もう「ももへの手紙」的なジブリ・コピーイングは沢山なんですよね。 ももと妖怪を叩くつもりはないにしても。 なんかアニメで藝術をやるときどこか宮崎やジブリ、高畑や冨野等々がメルクマールになったら死ぬわけでしょ。
2013-08-05 22:31:49死にましたよね、とか幽霊になって浮遊しちゃいましたよね、が正しいかww?
要するに林と僕の間で出ている妥協点て、要するに「やりたいことやれるようになるか」なので、村上さんが言うような「有事のなかでの藝術の意義と藝術の文化、としてのアニメ」的な云々はもう僕は必要ないと思ってる。てか、必要ない時代でないと、大きな物語の凋落、て遂行できないだろ常考。
2013-08-05 22:34:19ハヤオさんが、好き勝手やったんだ。 お前らも好き勝手やってみやがれ。っていうアテツケは、重要だと思う。 それを「重く受け止めない」覚悟が出来れば。
2013-08-05 22:35:57一般人にとってのアニメ=ジブリってのは、半分嘘。 というか精確にはアニメ=ジブリは一般の認識ではなく、藝術社会の認識。 藝術=ジブリアニメ、がメディアに持ち上げられてそう見えてるだけ。 そういう言語ゲームは虚妄に過ぎないので、その辺は軽く蹴飛ばしてくれれば寧ろ宮崎さんも安泰。
2013-08-05 22:37:53オリジナル内容のアニメ映画をやると妙にジブリ風味が混ざる、っていうのは宮崎駿もさんざん観て来てるわけだから。 そういう風になるとそれこそ「風立ちぬ」で言えば、亀においてかれたアキレスになる。 小さくても亀になる方法はないのか。 夢の中で次郎はそうつぶやいた。
2013-08-05 22:39:09だったらデカい亀の言うとおりにしたりデカい亀の言う「藝術」のマネっ子なんかしたって仕方ないんじゃないの。 そういうことは、多分批評家や藝術家よりその場のアニメーターと、それを売り込んだりグッズにする提供製作者(メディアミックス作者)達の方がよく理解してると思うんだけどね。
2013-08-05 22:40:21勝手にスーパーフラッタリアンがジブリ=藝術、世界に響く、とかやってるんで、彼ら勝手に好き勝手させといて、そいつと関係ないこっちも好き勝手する、なら平和じゃないですか どっちも殴らない どっちも殴られない
2013-08-05 22:41:30んですから、要するに、くれぐれも言論だか藝術だかっていう人々に惑わされちゃ駄目ですよ。 アートって呼ばれるのが嫌になった人世界中にいます チェコとかギリシャとかホントいろいろ 創作する人ってそういう文脈以前に創作してるでしょ 重要なのは、単純にそこだけなわけでしょ
2013-08-05 22:43:21ですから大亀の上にのってる子亀じゃ駄目なんですね 大亀はアキレス追いかけるのが好みなんだから 子亀はアキレスに追い抜かれない亀なんです この子亀になりましょうよ
2013-08-05 22:45:11ゼノンのパラドクスのプラトン流解決法をここに書き遺してから、お風呂入ろうと思います 超簡単です 考えなきゃいいのです
2013-08-05 22:46:32@L_O_Nihilum そう言った強度がしゅーくんを形作っているし、その強度がないと見れないこともあるわけで。 僕もアニメではないけど、あるコジンへの思いいれが強すぎて、今の自分がいます。だから、あまり気にする事でもないよ。
2013-08-06 00:05:37@kou11lunatic あまり見ていないにもかかわらずだいぶ中を見通してしまうような経験もそれゆえなのか、あとそういう自分を帰納法的に見つけたからと言って、これに甘えたくないという気持ちがまたアニメを診なさすぎる自分をかなり)ryってループ。あはは。
2013-08-06 00:08:24@L_O_Nihilum 某ゲームコミュニティーを何個か見て帰納的に言えるのだけど、いろんな種類のゲームをやっていても、「通り過ぎた」見方、外的な思考での考察に終始してしまう人も多いよ。一作品を鑑賞するに際して必要なのは、量という経験よりも、その作品への誠実さじゃないかな
2013-08-06 00:17:36@kou11lunatic それなら負けんな。…大体ゲームに支えられて生きてるようなもんだから。パチスロ1台相手であってもそのあたりは変わらん。
2013-08-06 00:19:09@L_O_Nihilum 誠実さとは、妙なレッテルを張らずに真っ白な頭でこの作品に対面して、「この作品をおいらは見るぞ!」と宣言することです。
2013-08-06 00:19:58@kou11lunatic まさに判断中止の態度だよね。 「ありのまま今この作品に起ったことを見てやるぜ!!」ってことですものね。時の停まったポルナレフはミームで有名だが、一方で偉大な人間だ。
2013-08-06 00:21:44@L_O_Nihilum でしょ?ある作品への、ある人への思い入れはどんなに悪く作用しても、自分という存在を間違いなく規定している。早い話、今の自分があるのはその強烈な強度が原因であり、作品へ対するその類の強度を持つことは誰にでもできない。これは恥ずべきではない。誇るべき。
2013-08-06 00:26:53@kou11lunatic まあ、大切なのはその誇りをどう昇華してくか、でもあるわけだけどね。いずれにせよ、そういう作品の実存というか、独在性ってやつを根っから肯定できる方法さえあれば、世の中にあるすべてのものが名作であり歴史であるはずだよねえ…。星々そのものだ
2013-08-06 00:30:20@L_O_Nihilum 僕の興味関心である映画、絵画、歴史、文学は全部あるコジンの影響だったりする。完全に彼女の好みが自身の血肉になっていて、自身の本棚や思考を見渡すとあまりにも影響がでかすぎて、笑えるw この有様はある意味で滑稽だけど、一方で微笑ましくもあるわけでw
2013-08-06 00:32:17@kou11lunatic それがあんさんの宇宙でもあるわけだもんね。それを信じている人は絶対に孤独にならない。孤独って何か、ってことを知ることが脱孤独であるわけだが、それを教えてくれるのはまさにそういう出逢いなのかもしれんよね。
2013-08-06 00:33:47@L_O_Nihilum その意見には90%賛成。10%反対。後者について説明すると、悲しいかな映画版の「20世紀少年」みたいな何かを訴えたいからという叫びや主張じゃなくて、売れるからという商売が動機で作られている作品も存在するわけで。それらは受け手をバカにしている訳で。
2013-08-06 00:36:40