竹の子⇔かぐや姫 天と地の物語について
- L_O_Nihilum
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高畑さんも駿さんも共通してるのが、人を綺麗に咀嚼とかしないで、人の穢れたところもそのっまま描くところ。 で、そういうところにならないと描けないところのかぐや姫だ、って感じ。
2013-12-01 23:48:39ほかにもいろいろあるけど、まさに宮崎と対峙するため(だけの…?)の作品として出されたんじゃないかなあ的な側面をひしひしとw。 こう、短編集的な話の展開の仕方も、二郎ストーリーである宮崎の方と共通させてあるし…
2013-12-01 23:50:23いのちにあこがれ、 いのちとして生を全うすること それ自体が穢れであり、罪であり、その罰でもある。 でも、そこに生きることを肯定する。 二郎の話もかぐや姫の話もどちらもそれが命題。
2013-12-01 23:54:51間間で飛び飛びな構造の映画。 これだと話の脈が受取りづらいと言う人も多い。しかしこの合間を、歴史的経緯や物語の原典の内容や、作中人物の気持ちと照らし合わせて読むことで、その行間は納得が出来る、というのがこの映画の観方のコツとしては非常に重要になる
2013-12-02 01:02:23余計に「行間」が多い、即ち詩の連のような作られ方をする映画であり、その一場面一場面の活動それ自体をテーマとして、精巧に描いている。 両作品に同型性として見だされるところから、このあたりはまさにお互いの作品がライバルであったこととパラレルになってる要素だと言えると思う。
2013-12-02 01:03:52故に、お互いの作品が、必ずどこかで呼応しあってるシーンがあるはずだ。それが、まず男性のストーリーとしての二郎の「生の肯定」の仕方、そして女性のストーリーとしてのかぐや姫の「生の肯定」の仕方であり、そしてその交叉。
2013-12-02 01:04:50そうしてみると面白いもんで、風立ちぬのほうの「ピラミッド」の持つ矛盾が、かぐや姫のほうでは「貴族」という形で出てきたりと、あらゆるお話の部分部分で、そのさまざまな命題が通じ合うように展開されている。
2013-12-02 01:06:57同じ2時間のなかで、同じ短編集的な構図。其処に同じ矛盾と生の肯定というテーマ。「駿と勲がライバル」というのは良く知られた話だが、それが最もきれいに痕跡として表出した作品であると見える。
2013-12-02 01:08:09しかしまあ、かぐや姫の方は「実際に」お話のなかで、急成長していく公式設定(3日でもう10代程度)なので、どちらかというと「風立ちぬ」よりも「かぐや姫~」のほうが、展開的な違和感は少なかったなぁ、的な印象はあったw。前者は明らかに男の人生の一部分化されていて、長い人生が追いづらいw
2013-12-02 01:10:18実際に短編小説的に各所各所の年代の彼女の表情を描ける「かぐや~」のほうが、その点では「有利」であったとは思わなくもない。 高畑作品独自の設定(複数の光る竹や、捨丸の存在等)も、原作竹取の行間を綺麗に埋めているように見える。
2013-12-02 01:11:51あと「観易さ」の点でも、そうした意味で「風立~」より「かぐや~」のほうが僕には易しかった。というか、前者も前者でそれは大いに伝わったのだが、それよりもピラミッド、飛行機というメタファーで刻印されてる宮崎の自己アピール部分に、強いコンフリクトと問題意識を受け取ってしまう。
2013-12-02 01:13:49対象として単純にひとつの物語文学を選んだ、という点で、かぐやのほうがひとまわり見やすい映画だった、と思う。
2013-12-02 01:14:37あと、どうでもいい共通点だけど、 ど っ ち も 的 外 れ に 見 て 問 題 視 す る 人 が や た ら 多 い (笑) タバコだけで騒ぐおじさんたちとか、おっぱい見せるだけで性の問題や宗教観持ち出しちゃう人たちとか。 宗教上の理由ならまだしも。
2013-12-02 01:15:47正直なところ、この作品を「真っ白に」見た時にどうなるか、っていうところは大体のところ予測できてしまったといった感があるので、そのような感想に至りたがらないところに、自分の穢れを感じなくもないが、それはそれで、それぞれの作品がもつ問題意識と繋がってないとも思えない。
2013-12-02 01:17:41かぐやのほうはお話自体でテーマをさらっと伝えるのがうまくできたけど、風のほうは、寧ろ宮崎の立ち位置やアニメの立ち位置の問題意識にのっとって書かれてるはずなんで、そこをどうとらえるか、っていうのは、享受者としてあまりにも重い問題。実際、村上隆が調子に乗るレベルで。
2013-12-02 01:21:02文脈と教養がピラミッドをうずたかく積み上げた、積み上げた塔の上のわたしはそんなことよりただ美しいアニメを作りたいだけ、けれどそれがまたピラミッドの原因であって、矛盾だけど、楽しんでほしいし頑張って生きる糧を作ってほしいからそれでも作るの、こういうところが風の側には出まくり
2013-12-02 01:23:12そして、その話をザラで映画にしちゃったもんだから、「ジブリとくればどんなに汚いゲロや精液でもオナニープレイを飲む享受者」がいる、そういう「ファン」が出来てしまい、やめらんなくなるというがらんどうがある、そういう問題も風立ちぬの外部には読み取れるし、
2013-12-02 01:24:09一方で、その堆いピラミッドのお蔭さまで、自由に創作を見ることが出来なくなった、それこそ「ラッセンとは何だったのか」って本で言う「コンテクスト」の側の「タブー」即ち「恥」、というあらぬ基軸によるいやな趣味が、創作を差別してしまう世界が出来上がってしまうという問題も照らされた。
2013-12-02 01:25:15「小さくても亀になる方法はないのか」(二郎)…大きな亀になってしまうと、ピラミッドに膠着する。しかし、伝えたい思いは寧ろピラミッドの下にこそ解き放たれるべきもので、それこそが宮崎の目標だった。小さな亀になりたかった。なれなかった(だからずぶずぶ続けてしまう、何度も終了宣言する)。
2013-12-02 01:26:43このような本音と建て前の汚さ、が高畑の「かぐや姫」からは比較的捨象されて見えた。即ちこちらのほうはより端的に生の肯定をするためにかぐや姫を扱っている。それゆえ、自分にはよりこちらの方が安心してみることが出来たように思う。
2013-12-02 01:28:20あと、両方に言えることだけど…てかジブリの作るものにかなり言えるんだけど、どちらの作品も、本質的に、とてもエロティックな映画なんだってこと。全年齢対象の感動的エロアニメとさえ言ってもいいものですよあれは。 いや、エロってがんらいはそういうとこだろう!とさえ、言いたくなる。
2013-12-02 01:29:45たちどころに現れるセクシャルなモチーフが、それ自体生の肯定というテーマに貢献しているところを楽しむのが、なによりこの作品のコツです。 かぐや姫も二郎も、作中で何度も美しいセックスを交しているのです(!) そして、その裏の穢れたセックスに涙するところも見せてます(!)。
2013-12-02 01:31:10そこを大いに生命の本質として、てか観る自分も一つのいのちとして、それに浸るように観ることが出来たなら、この二つの相立つ作品を見るに占めたものだと思いますね。
2013-12-02 01:32:21世の中とはフリーセックスだ、とさえ、言ってもいい位に、人間は地を離れては生きられない。 いや、地を離れて生きることができないのが人間だ、というのは、もはやテーマというよりジブリ監督両方がもってるエートス的な哲学だよなあ…
2013-12-02 01:37:42シータ「土から離れては生きられないのよ!」 ムスカ「ラピュタは滅びぬ。何度でも甦るさ!ラピュタの力こそ、人類の夢だからだ!」 人は土を離れて、大地無くして生きることはできない。 そういや、ハイデガーのおっさんがErdeだか何だか言うてましたね。
2013-12-02 01:38:59