『特高月報』に見る、戦時中の国民の本音
- neko_yamashita
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…ヒロヒトは「日本国の救世主」であり、「人類文明の防衛者」である、という神話はこのように構成されているのである。」(小森陽一『天皇の玉音放送』2003)
2013-08-15 14:07:44「生き残った「臣民」各層に対して、ヒロヒトの言説は、「あなた方は私の要請にしたがって忠実に職務をそれぞれの、持ち場で遂行した」、敗けたわけではない。「戦局」が「好転」しなかっただけだ、という形で、一種の共同性を創り出していることに注意しておく必要がある。…
2013-08-15 14:08:13…やれることは全てやったのだから仕方がない、という責任の回避の仕方である。ならば、責任はどこにあるのかといえば、「残虐ナル爆弾」を投下した「敵」ともう一つは「戦局」を「好転」させることができなかった者たちである。…
2013-08-15 14:08:24…今一度、「臣民」各層の表象が、「朕カ陸海将兵」、「朕カ百僚有司」、「朕カ衆庶」という「朕」との対関係であることを想い起こしておこう。「開戦の詔書」は、宣戦する主体としての「朕」とこの三者によってのみ構成されている。…
2013-08-15 14:08:37…しかし、「終戦の詔書」には、この関係から分離されたもう一つの「臣民」がくくりだされていたのである。それは、「共同宣言ニ応セシムル」ように主体としての「朕」によって対象化された「朕カ帝国政府」なのである。…
2013-08-15 14:08:46…あえて、「朕カ帝国政府」だけが、あたかもポツダム宣言を受諾するかのように、「陸海将兵」、「百僚有司」、「衆庶」から分離されているのはなぜか、…
2013-08-15 14:08:58…それはとりもなおさず、「開戦」の判断が、東条英機内閣の下でなされ、それに対してヒロヒトが沈黙を守り、「べトー」を行使しなかった、という『独白録』の弁明と符合している責任回避策なのである。」(小森陽一『天皇の玉音放送』2003)
2013-08-15 14:09:10「昭和天皇は終始戦争には消極的で、軍部が独走したのだ」といった類のヒロヒトに対する免責の議論の出所は、この「朕カ帝国政府」を他の「臣民」各層と切り離し、「共同宣言ニ応」ずる主体=客体として特化することによって、…
2013-08-15 14:10:09…これ以後の戦争犯罪と戦争責任をめぐる責任主体の位置が確定されていったのである。このように「開戦の詔書」と「終戦の詔書」との間の、微妙な、しかし確信犯的な辻褄合わせが行われることによって「国体護持」の基本路線が、言説の上で確立されたのである」(小森陽一『天皇の玉音放送』2003)
2013-08-15 14:10:15「「聖断論」によって獲得された戦後天皇制が戦後保守政治体制の創造物であったことを、あらためて指摘せざるを得ない。そこでは「聖断」の真相が、「国体護持」(=天皇制国家支配体制の保守)にあって国民を戦火から救済・解放する目的意識が二の次にされていた…
2013-08-15 14:14:37…昭和天皇自身の言明をも無視されているかのようである。例えば「戦争をつづければ、三種の神器を守ることが出来ず、国民をも殺さなければなくなったので、涙をのんで国民の種をのこすべくつとめたのである」の語りの…
2013-08-15 14:14:45…「神器」と「国民」の意図的か無意識的かは定かでないが、優劣の付け方をも含め、国体護持を最優先した政治的決断としての「聖断」であったことを昭和天皇自身が認めていたのである。」(纐纈厚『「聖断」虚構と昭和天皇』2006)
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