- Eric_Ridel
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自分含め世の中の多くの人が、結構基本的なことをお留守にしたまま、いまさらそんな基本的な事訊けない状態にあるように思うし(僕はそれを細々調べながらやってるわけですが)、その割りに茶の間的にはハッキリ意見を言う人も多いけど、実は基礎が危うい事が多い。長尺で議論出来るラジオは大事な媒体
2013-08-15 17:36:35また、その同じラジオという媒体のオンエアが始まった1920年代からドイツやイタリアでどのような政治の変化があったか、日本はどうだったか、無声映画にオプティカルトラックが加わって映画もモノ申すようになって最初の10余年に世界大戦が起きたのは決して偶然ではない。メディアの怖さ、大切さ
2013-08-15 17:38:50原発にしても、憲法にしても、平和を守るための大切などんな事柄でも、個人がいろんな意見を持つ事、それ自体全く否定しないし無関心であるより遥かによいと思う。ただ何らかの意見を持ってそれを表明するとき、きちんと足腰を固め根拠を確かめ確信を持って動くべき。特に投票などその最たるものと思う
2013-08-15 17:52:33うっかりしていました。今日7:57-フジテレビ「アンビリバボー」http://t.co/0eVHYwlElGは尊敬する山本顕一先生(仏文学・立教大学名誉教授)のお父様、シベリアの収容所で亡くなられた山本幡夫氏の遺書を暗記口伝で持ち帰り遺族に伝えた経緯がオンエアされます。ご一覧を!
2013-08-15 18:15:47僕も父親がシベリアのラーゲリに抑留され、親父は4年で戻って来れたので今僕がこの世にいるわけですが、俳号を北瞑子と言われる山本幡夫さんの「アムール句会」などの詳細は故・辺見じゅんさんの「収容所から来た遺書」http://t.co/P4VPGLyqhpが必見です。出来事をまず知ろう!
2013-08-15 18:19:32@tim1134 @itokenstein こんばんは、報道ステーションをやめる時久米宏さんは『民放は国民を煽った歴史を持っていません、願わくばこれからもずーっとそうあらんことを。』と語っていました。戦時中はラジオでNHKだけでしたからね
2013-08-15 20:30:44@itokenstein 正直「日本が侵略戦争を越した下手人であること」をあいまいにしてこういう「日本の被害(?)」ばかり騒いで「お涙頂戴」をやることには吐き気と気持ち悪さしか感じない。しかもこういう放送をテレビ局は「シベリア抑留者の生活支援」などにつなげる気もないわけだし。
2013-08-15 20:39:41.@bogussimotukatr 第三者の意見ですね。確かに再現ドラマの作り方、スポンサーまわりなどテレビの裏側を含め、思う事はあります。が私もまた元抑留兵の息子として、戦地では「日本鬼子」だったかもしれない、でも学徒として大学から強制的に出陣させられた父の被害も深く思います。
2013-08-15 21:24:51.@tomo_c_a @tim1134 フルトヴェングラーの件は非常に複雑で深い背景があり簡単ではないと思います。国が狂った状態になったとき、国内にとどまって音楽家のために尽力した人が、戦後に「協力者」扱いされるケースも少なくありませんでした。とても難しい現実があります。
2013-08-15 21:30:39戦争で被害を受けるのは戦闘員も非戦闘員の市民も、結局は現場にいる個人です。ある軍事行動で市民が被害を受けたとして、でもその作戦に参加している兵士もまた、意に反して挑発されてきた被害者である可能性が高い。一番罪が重いのは、密室で作戦立案し推進した戦争指導部や賛戦文官に他なりません。
2013-08-15 21:36:30@itokenstein かけがえのない、一人に一つしか与えられぬ人生というものが、いともたやすく数百万という単位で擦り潰された… そんな事がたった数十年前に起きたのですよね。祖国の未来に、人々の道義に希望を託したあの想いと、今の改憲論の周辺とを引き比べ、ひたすら嘆息です。
2013-08-15 21:36:43やっと昨年になって偶然時間が出来た時確認して、父が戦後新制の東京大学に復学しながら脊椎カリエスで6年の寝たきり生活の後、結局卒業することなく社会に出ていた事を知りました。旧制府立高等学校の卒業名簿には普通に「経」とあり、没後40年ずっと経済学部を卒業したものと思い込んでいたのです
2013-08-15 21:40:10@itokenstein せんせいこんばんわ~^^ フルトヴェングラー博士のケースは、「ナチに抗せんが為にナチそのものを選好する」といいますもので、善悪倫理的には「音楽学的自決」だったと思いましゅ~(涙)。「ナチ協力者」は、この事実の半面に過ぎないのではないでしょか~(泣)。
2013-08-15 21:41:12あの絶望的な状況の中で父も学業を完遂したのだから、というのが心の支えになって、10代も、20代も、30代も、それなりの苦境に直面したとき何とか乗り越えられた経験があります。親父の享年を超えた今元来は学者肌だった父が学徒出陣以降、人生全てを台無しにされた事に等身大の怒りを覚えます。
2013-08-15 21:42:47.@yoichi_tate フルトヴェングラーのこと、いろいろな意味で規模は違うけれど、本質的には正直 他人事ではないと思います。もし今日本で何か変な事があったら、自分はどうするか、と引き比べて考えるなら。
2013-08-15 21:44:24昨日ここに書いた「国が狂った状態になったとき国内に留まり尽力した人が、戦後に協力者扱い」は決して音楽に限った話ではありません。映画、舞台、美術家、また報道メディア、何でも同じ事がいえます。仮に今のエジプトのような事態が突然起きてしまったら、僕らは皆国内に留まる当事者になる訳です。
2013-08-16 08:32:08いつ何が起きるか、誰にも判らない。それに戦々恐々としすぎるのも考え物ですが、人間いたるところ靑山ありともいいます。いつどういうことが起きても、そこで襟を正せる準備、自分自身で引き受けられる分はきちんとしておきたいと思っています。何気ない毎日普段の行動や判断が直結すると思うのです。
2013-08-16 08:34:46@Byoyuken_Neko8 実際音楽で言えば山田耕筰氏は戦前「音楽報国隊」その他の関与で責任を問われ公職追放されました。中学から同窓で一緒にグリークラブ合唱団を組織した祖父は戦前一貫して山田さんをサポートしましたがこれが一つの契機となり戦後三井で桐朋学園という学校を作りました
2013-08-16 08:38:18僕ら1日24時間の時計も回りますが、歴史の大きな日時計のようなものもゆっくりと進んで行きます。いま1970年代とか80年代とか思い出すと、明らかに季節が違うのを観じます。90年代以降の「冷戦後」も既に過去になりました。歴史が動くとき、どのような判断を下すかは非常に重要と思います。
2013-08-16 08:41:13