ソーシャルメディア疲れに関する議論
mixiもblogもtwitterもfacebookもLINEも結局最後は疲れて終わりってなるのは、人の社会的な限界を表しているようで面白い。
2013-08-24 02:05:47@matumura 「疲れる」の成分を分解したいね.すごく都合の良い言葉として使われてる気がするから.ただ,過度に社会的であり続けようとすると無理,っていうのは普遍的かも.人間,最初と最期は,みんなひとり.
2013-08-24 07:23:19@asarin コミュニティが廃れるには「飽きる」のと「疲れる」の2つの要因があって、前者は情報、後者は対人関係に起因するのかなと思ってます。コミュニティの寿命というかライフサイクルは成員数と情報の持続性によってけっこう予測できるのではと。
2013-08-24 07:31:39@asarin メーリングリストとか学会って新しい情報(or 刺激)が少なくなったら飽きるし、ソーシャルメディアは対人関係の維持コストが増えたら面倒になって疲れるって感じです。あくまで僕のイメージですが。
2013-08-24 07:35:12@asarin コミュニティの栄枯盛衰の予測は、実は僕がフィールドマイニングに取り組む際に切り捨てた研究テーマの一つでした。
2013-08-24 07:38:41@matumura そうなんだ.私も最初にCMC研究やったのはそれ.もちろんそんなにスマートには数量的に表現できなかったけど.
2013-08-24 07:39:38@matumura @asarin 情報にしても対人関係にしても、新しい事に対する反応の寿命が短くなって来るのが飽きられる前兆になると思います。
2013-08-24 07:43:42@ishiiakira @matumura なるほど確かに.刺激としての価値が下がってくるということでしょうか.こういう現象って個のレベルで(個別のユーザへの調査で)検討するのにはひどく大きな限界があって,コミュニティレベルで見ないといけませんね.
2013-08-24 07:47:46@ishiiakira @asarin 僕は多様性にあるとおもってます。同じような情報、同じような人たちだけ、になってきたらもう終わるかなと。
2013-08-24 07:48:08@matumura @asarin それって多様性が失われて、どの人にとっても刺激にならなくなるということですよね?
2013-08-24 07:50:58@asarin @ishiiakira 僕のイメージはけっこう違ってて、例えば反応の寿命は同じでも、そこに参加する人の多様性によってコミュニティの状態は異なるのでは、と思ってます。
2013-08-24 07:56:54@matumura @asarin う〜ん… 多様性があれば反応に納得できない人のレスがあり、それにさらに納得できない人の反応が、と連鎖が続いて、必然的に反応の寿命が延びると思いますけど?
2013-08-24 08:01:15@ishiiakira @asarin 多様性というのは議論に参加する人の多様性のことで、簡単にいうと議論の参加人数です。二人で延々とレスを付け合って局所的に盛り上がっても、それはコミュニティ全体から見れば衰退していることの裏返しなんではと思ってます。
2013-08-24 08:05:28@matumura @ishiiakira 「議論に参加する人が多様である」っていうのは情報にせよ対人関係にせよ投げ込まれたものの刺激としての価値が高いってことだと思った=両者は同じ,と思ったわけです.
2013-08-24 08:09:00@matumura @asarin それって発言者の偏りが統計平均に影響を与えるという形で処理できるだけだと思うけど。コミュニティ全体の反応の寿命とは切り離して処理できるはずです。
2013-08-24 08:10:37