- crow_neco_yah
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続く『レクイエム5ドリーム』『THAT IS IT』では、唯=「私と違う他者」との闘争において敗北を認め、「唯と違う私自身」として再起するキャラクター(特に澪・梓)の姿が描かれている。
2010-10-02 14:56:42さらに言うなら、『けいおん!!』では、「かつての女子高生」さわちゃんや、「無貌の女子高生」であるクラスメイトたちを、「けいおん部員とは違う他者」として積極的に立ち上げている。
2010-10-02 14:57:11@tatsuzawa ここでいう闘争は、必ずしも相手を打ち倒すことではなく、「私と違う他者」とのコミュニケーション、そして世界/社会に自らの「証を立てる」行為としてとらえています。というか、「わたしたちのほうがすごい」は普通に闘争的な態度ではないかと。
2010-10-02 15:02:52そもそも、「唯の隣の子」こと立花姫子を含めた人物、及び背景の異様に緊密な描き込み自体が、「私と違う」他者/世界/社会の存在への認識を示すものではないのか。ポイントは、『けいおん!(!)』の美術がキャラクターの心情を反映しようとしてはいないこと。
2010-10-02 15:06:17原作ではある意味他者の行動で唯が自分を問い直す展開になりますしねえ RT @catfist: アニメ『けいおん!(!)』において自―自関係のドラマ、例えば「同じ」音楽への情熱を持った他者=軽音部員の行動によって、唯が「自らを問い直す」といった展開は欲求されていないハズだ。
2010-10-02 15:08:43あと、キャラクターのリアルでセクシーなデザイン。心を裏切る身体性。『けいおん!(!)』においてギターを弾くことは、ギターの音を出すのではなく、ギターを構え弦を押さえピックを振り下ろしボディを共鳴させる行為だ。だから、ギー太という身体を得るために働くという身体性を導入した。
2010-10-02 15:11:23あー、だから『万引きJK生 けいおん部』の前半パートが必要なのか! タイトルもむしろ端的に本質をとらえてる。蛸壷屋すげえな……なんだこのセンス……
2010-10-02 15:15:44ともあれ、『けいおん!(!)』は自―他関係ドラマだった。少なくともHTTと外部との関係においてはそうであった。しかし、HTT内部では「私と違う他者」が立ち現れてこない。だから、そこにドラマを求める筋からは、「別離」というワードがでてくる。
2010-10-02 15:18:41唯を自―他関係ドラマの主人公としてとらえる観点からは、HTTメンバーが他者性を回復すること、唯が「自らの証を立てる」展開が要請される。HTTという自己が他者=武道館に対して「証を立てる」ことは一期でやってるので、『けいおん!!』では「闘争」がHTT内部に及ばなければならない。
2010-10-02 15:24:25の、だが、かきふらい『けいおん!』の本質はもちろん、女子コミュニケーションであり、同質性であり、女子高生という「私」の日常であり、「〈私〉が〈私〉でいていい世界」であり、心で奏でる音楽であり、つまりは女子フィクションにちがいない。アニメ版はそこを守りきっていない。
2010-10-02 15:30:43むしろ、男子フィクション的な物語性を導入してすらいる。つまり、男根主義へのアンチテーゼとしての女子性であり、( http://bit.ly/clUIXr ) そこが魅力なのに退屈とDISられ、ドラマがあるのにドラマがないとDISられ、「唯は俺の嫁」と言われることになる。
2010-10-02 15:34:28">>823 大丈夫だ、『嫁』として見てるからな というより、既に俺の横で寝てるよ" 今日もやられやく 『けいおん!!』見るため仕事終わって奈良からきたけど、ホテル選び失敗したorz 他小ネタ集 http://bit.ly/aCaiSa
2010-10-02 15:34:41「退屈」な原作にドラマを導入するのなら、自―他関係ドラマではなく、自―自関係ドラマを導入することはできなかったのか京アニ。リアルにしようとして身体性を導入し、盛り上げようとして他者性を導入し、深みを出そうとして社会を導入するのは、男根主義はびこってねえか。
2010-10-02 15:40:18『けいおん!』にドラマを付与する手筋で、思いつく中で一番よさげなのはマリみて方式=世代交代。ただし、唯―梓―新キャラの三世代ドラマね。同質性をけいおん部という時限性の箱庭に閉じ込めて、「私と同じ女子高生/ミュージシャンである他者」との葛藤によって自らを問い直すドラマ。
2010-10-02 15:57:11さわちゃんは、「私は高校を卒業してバンドもやめたけど、あなた(たち)はどうする?」と問うべきではなかったか。結婚式エピソードも、「同じ道は歩まなくても、かつて過ごした時間と絆は消えない」と解釈できるし。
2010-10-02 15:59:05梓の梓による梓のための、イノセントな梓自身が反映されたけいおん部は、かつてのけいおん部とどう同じでどう違うのか。唯に教えられたことを、梓は後輩にどう伝えるのか。かつての自分自身である後輩を見て、梓は自らをどう問い直すのか。このへんが『けいおん!』でドラマやるなら肝じゃないかなあ。
2010-10-02 16:03:015人の日常の枠から出ようとしてないのでドラマとしてはやっぱり退屈の誹りを免れないけど、かきふらい『けいおん!』の終盤は自―自関係に基づくドラマをちゃんとやってて非常に好印象。正直、かきふらい先生ナメてた。
2010-10-02 16:12:50『けいおん!』では音楽はコミュニケーションの手段に過ぎないので、女子コミュニケーションで維持される同質的集団の結末として「勉強」が用意されてるのは実にまっとうだと思う。ケーキ食べてバンドで遊んでただけの日常を通じて唯はちゃんと成長してた、女子フィクション的成長が表現されてる。
2010-10-02 16:19:28澪はすごくコンプレックスが強いので、それを自覚させるところから始めるのは間違っていない。受験当日の修羅場で澪は意地を張れたし、そこでフォロー入れるのが律でなく紬なのもなかなかいい。別に受験という試練によって依存を乗り越える必要はなくて、大学で新しい出会いを通じて解決すればいい。
2010-10-02 16:22:49