たまたま取材した宮城県の小さな集落の避難所について渡部記者の呟き。

1)大吉と菅原のたくましさを見てたら、震災から1カ月くらいたった頃、夕方にたまたま通りかかって取材した、宮城県のある小さな集落の事を思い出した。震災前、地域の人口は150人ほど。漁業中心の集落で、そう、ちょうど袖が浜のモデルとなった小袖海岸とほとんど同じ規模。
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渡部真 @craft_box

(1)大吉と菅原のたくましさを見てたら、震災から1カ月くらいたった頃、夕方にたまたま通りかかって取材した、宮城県のある小さな集落の事を思い出した。震災前、地域の人口は150人ほど。漁業中心の集落で、そう、ちょうど袖が浜のモデルとなった小袖海岸とほとんど同じ規模。

2013-09-07 09:28:38
渡部真 @craft_box

(2)山に囲まれた沿岸の一部だけが平野になっていて、5〜60世帯が密集していた。そこに津波が来て、集落は壊滅した。震災前、高台には2つしか家がなかった。一つは漁業と関係ない山の方にある家で、もう一つは浜近くの高台で「あんな高いところにあって不便な家」だった。

2013-09-07 09:29:29
渡部真 @craft_box

(3)その2軒の家以外、すべてが全半壊した。津波で道路も壊れ完全に孤立した集落。「不便な家」に地域の住民が押し寄せ、数日間、まさに膝をつけ合わせながら過ごした。数日後、道が通って少し離れた寺が避難を受け入れてくれて数日過ごし、さらに別の集落の避難所が地域住民を受け入れてくれた。

2013-09-07 09:30:09
渡部真 @craft_box

(4)ところが、漁業が中心で、夜になれば酒盛りが欠かせない集落の住民達は「他の部落の人達に気を使って気楽に酒が飲めない」と、自分たちの集落の被災した公民館を修理し、そこに避難所を作った。僕が取材したのは、自前の避難所に地域の人達40人ほどで暮らし始めて、2〜3週間したころだった。

2013-09-07 09:31:09
渡部真 @craft_box

(5)当時、東北各地の避難所はまだまだ厳しい状況で、夜になればヒッソリとしていたものだった。子どもは元気になっていたけど、大人たちはまだ緊張したような状態。ところが、この避難所の前を車で通りかかった時、何というか、灯りが煌々としていて不思議な感じだった。7時頃だったと思う。

2013-09-07 09:31:32
渡部真 @craft_box

(6)もしかしたら「こんな時間に来るな!」って怒られるかもしれないけど、とにかく覗かしてもらおうと車を停めて尋ねた。そしたら何と、住民皆で食堂に集まってご飯食べながら酒盛りしてた。集落の区長さんが取材にも快く応じてくれて、話を聞いていると、「あんた達も飯喰え」「酒飲め」と。

2013-09-07 09:32:01
渡部真 @craft_box

(7)「否、僕は運転あるので、同行記者だけで」と僕がやんわり断ると「下戸じゃないんだろ?泊まるところは決まってんのか?なかったら泊まっていけ」と。で、一晩、酒飲みながら話を聞き、風呂の代りに自慢のサウナ(名古屋の支援者から仮設サウナが送られていた)まで使わせてもらった。

2013-09-07 09:32:42
渡部真 @craft_box

(8)この集落では、約20人の死者・行方不明者がいた。僕の隣りで、散々明るく話を聞かせてくれた男性は、奥さんがまだ行方不明だった。僕の目の前に座り、震災前から地域のサッカークラブを支援していて、震災直後にサッカー選手達が駆けつけてくれた事をすごく詳しく自慢気に語ってくれた男性は、

2013-09-07 09:34:04
渡部真 @craft_box

(9)仕事場で地震にあって車で家に戻る途中、津波に流されて山の中の木にひっかかり、一晩中寒い外で過ごし、明るくなってからもまったく分からない山道を何時間もかけて歩いて助かったという体験談を話してくれた。家族の遺体を探すために、何時間もかけて「グランディ」まで通い続ける人もいた。

2013-09-07 09:34:56
渡部真 @craft_box

(10)みんな厳しい体験をしていた。でも皆、笑顔で「やっぱ酒がないとなぁ」と口を揃える。この集落は、他と比べても酒を呑むと言う。女性達も皆明るい。支援のパンや弁当と一緒に、暖かい豚汁や酢の物を出してくれ「もっと喰え」「余る方がもったいない」と腹が一杯になってもご飯を出してくれた。

2013-09-07 09:36:32
渡部真 @craft_box

(11)宵も深くなって一部の男衆だけで飲んでいたら、ある男性が「今度来るときは、こっちも連れて来い」と女性を腰に抱え込む仕草。皆で大笑いして、ひとしきり下の話で盛り上がった。翌朝、明るくなった地域を見たら、確かに壊滅していた。 http://t.co/NtUnL74aS0

2013-09-07 09:40:57
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渡部真 @craft_box

(12)その中で、昨晩は馬鹿話をして盛り上がったのとは、うって変わって、瓦礫の片付けを兼ねて、避難所で使う薪になるよう、自分たちの家の柱など切って運ぶ、黙々と作業する人達の姿を撮影させてもらって、その避難所を後にした。

2013-09-07 09:42:19
渡部真 @craft_box

(13)本当、ビックリした。いろんな避難所を取材して歩いたけど、当時、こんな明るい避難所は見た事なかった。そんな集落に人達を取材させてもらって、明るさと、たくましさと、何というか人間の強さを思い知らされた。その時の事を、今日は思い出した。

2013-09-07 09:44:23
渡部真 @craft_box

さっき書いた集落の話、後日談がある。いま現在、集落に残るのは数名だけ。あとはバラバラになった。建築制限で家を再建できないので、残った1組の夫婦が、公民館の避難所を仮設住宅として使っている。それでも明るく元気だ。その話は今書いているマイナー被災地の原稿に付け加えて書く事にするです。

2013-09-07 11:58:19
渡部真 @craft_box

そういえば、双葉から避難した騎西高校が「未だに残っている唯一の避難所」って事になってるけど、考えてみると、あの集落の公民館も、未だに残された避難所っていえば避難所だわな。もっとも、最初から私設の避難所だったから、正式な扱い受けてなかったけどね。

2013-09-07 12:00:57
渡部真 @craft_box

避難所として数十人の人が暮らしていた頃、若い夫婦用に「勝手に」作ったプレハブの個室が、今でも1組だけ残っているご夫婦の仮設住宅として使われているのです。

2013-09-07 12:02:12
渡部真 @craft_box

久しぶりに、今月末に行こうかな。

2013-09-07 12:02:54
渡部真 @craft_box

さっき書いた避難所で迎えた朝。当時、各避難所では、ペットの扱いに苦労する人が多かった。とくに犬は鳴き声がうるさいからと、一日中、車の中に入れられ、寂しそうにしてる姿がそこら中にあった。でも、ここの犬達はのびのびと過ごしていた。 http://t.co/ZFey2vYkGf

2013-09-07 13:44:37
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渡部真 @craft_box

@tetsumah ありがとうございます。問題はありませんが、Facebookに、ちょっと修正したのを掲載してますんで、そっち読んでもらう方が良いかもです。 https://t.co/oE9542HVtN

2013-09-07 20:36:36