130915 [TALK02]AFTER TALK 「アーキテクトはどこへ」 #de04
- yurica1019
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藤村:共感を巡るクリエイターの内なる… 貝島:違いますwある種の合意がないと進まないという仕組みがあって、結果でなくプロセスと捉えると建築をつくるに至る議論を通して社会的リテラシーを持つことの方が重要と思う。共感を目指してやることがなぜ否定されるのか? #de04
2013-09-15 21:39:51貝島:共感を得たいというおこがましい気持ちはない。しかし公共政策をする上である種の合意形成が必要。公共的な空間を作る上で社会的なリテラシーをもつことが重要。 #de04
2013-09-15 21:40:32藤村:市民は耐震性などの話になるが、それを理念の話にするために歴史の話などにズラす。 西田:だとすると藤村さんと貝島さんの対立はなくなるのでは。 #de04
2013-09-15 21:42:07貝島:土木がやっているのはファンクションの理論。北本も牡鹿半島も住民の場所を土木から逆の立場で形成できるかという議論。エッジが少しずれてきていて、土木、都市、建築、、と分かれたプロの話がコラボできるようになっている。 #de04
2013-09-15 21:43:43貝島:駅前広場は違う人が関わり始めていてエッジが少しズレてきている。少し横断的に議論ができるのでは。 藤村:建築が土木領域に介入していっているのでは。 #de04
2013-09-15 21:44:37質問(森田さん):自律分散協調を建築がどう作るかという議論のように思った。ボトムアップ的に考える家成りさんに対して藤村さんは分散した社会しか考えない人たちのコメントを炙り出すこと。ボトムアップと集合知がぶつかる位置にある貝島さんという構図。 #de04
2013-09-15 21:48:10質問(吉永さん):貝島さんの牡鹿半島のプロジェクトが藤村さんに来た時に投票とかしますか? 藤村:スケールに合わせて集団として方法を探るという手法として投票を使っていた。それぞれに対応する投票のシステムを考えると思います。 #de04
2013-09-15 21:50:02質問:たとえば牡鹿でのプロジェクトが藤村さんに依頼が来ていたら投票制度をとりいれるんですか? 藤村:たとえそうであっても投票する仕方を考えてすると思います。 #de04
2013-09-15 21:50:33まだまだ続くアフタートーク。#de04 http://t.co/BOHpWlX7Fq
2013-09-15 21:51:53吉永:スケール以前に、合意形成の在り方として人数が大きく作用すると思う。 藤村:大きな声に支持する提案とその他の意見を支持する提案を両方提示すると考えを相対化される。 #de04
2013-09-15 21:52:17吉永 :集合知の醍醐味は一万人でその内の一人の事を案じることだと思う。今までの意見だと一万人の意見を一人で背負うという考えに凝り固まってしまっている。 #de04
2013-09-15 21:53:57Q藤村さんの所に、もしも牡鹿半島のようなプロジェクトがきた場合投票のようなものはするのですか? 藤村:スケールによってスケールと投票することの関係性はそれぞれ投票によってリサーチするであろう。何回も投票することにより声の大きい人の意見も変わって来るのでは。 #de04
2013-09-15 21:54:09藤村:自分たちの結論は相対化していく。投票とは多数決ではなく、意見を相対化する場だと思っています 中山:一億人で30人について考えることができるのが集合知の概念だと思います。 西田:投票による決定ではないところがミソなんですね #de04
2013-09-15 21:54:11プロップス森村さんの質問:計画も投機も目的があるが、集合知という目的の持たない言葉で果たしていいのか? #de04
2013-09-15 21:56:44質問(森村さん):計画と投機と集合知について、計画と投機には目的があるが集合知には無い気がするが? 家成:課題とか目的とかわかりやすいひとつのものではなくなっているのでは。投機というひとつの手法だけで状況が良くなることは想像できない。 #de04
2013-09-15 21:57:33藤村:権力の型が変わるので、発注者が変わると手法が一瞬見えなくなる。手法が見えない時にいろんなことが出てくるのでは。 #de04
2013-09-15 21:58:45プロップス:集合知という言葉について、その言葉自体に目的を持っていると思える。 家成:課題や目的という大きなものでは無くなってきているのでは?目的というよりは手段として考えるべきでは?#de04
2013-09-15 21:59:21石川:共有をつくるもの(カント的人間像)、俯瞰的にまとまりをみるもの(統計学的人間像)の対比として、共有したいと思っていなくても統計学的に回収されている西田さんのtwitterのような在り方があったり、そのどちらも選択可能な状況にあるのでは。群島的な在り方。 #de04
2013-09-15 22:01:19集合知の醍醐味はユーザーが「作ってみた」を持ち寄ってさらに洗練させたり進化させたりするところだと思うんだけど、建築の「作ってみた」はどういう形で可能だろう? #de04
2013-09-15 22:02:33