- ishitakuma
- 6204
- 0
- 0
- 0
遡ると日本には江戸末期ー明治期に諷刺錦絵というのがある。これがまた情報戦の暗号化、圧縮力としては、福沢以上に超すごい。ただ、悲しいのは、この錦絵は自分たちが政治=戦争の動向に関われないという庶民の疎外と不安によって作り出された技法です。この無力感と高度さはむしろ現代に近い。
2013-12-19 01:47:20もちろんここら辺の問題は、芸術教育とは何か?で語られていることと関わると思います。そしてこれは四谷だけの問題ではありません。 http://t.co/XdBszgNGZQ http://t.co/8Vd1WuY2lX
2013-12-19 01:50:04諷刺錦絵とダヴィッドなどを対比するという話は、ハギソウで行った「芸術と社会:諷刺/フィクション/やぶにらみ」http://t.co/DPgM5laN12 で語ったが、いつかちゃんと文章にしなければ。実は引込線では、最初これについて書こうかと計画していた。
2013-12-19 01:53:23ラテン語で「ケーダント・アルマ・トガエ」と書かれ、裁判官らしき男が、軍人の帽子を蹴っている。「ケーダント・アルマ・トガエ」とは、「武器はトガに譲るべし」という意味だそうで、トガとは平時に着る衣服のこと。 http://t.co/NjjWQs1VXL
2013-12-19 02:11:25こちらは、フランス語で行くぞ!と書かれて、軍人が秤を蹴っている。これ、どっちが先に描かれたのかな。たぶん、前者が後だと思うけれど(と希望する)。面白い。 http://t.co/y5E9Ct9vcM
2013-12-19 02:14:00ふと思う。シケイロスはLINEのスタンプに向いてるのではないだろうか。 http://t.co/JTFqQOiK0J
2013-12-24 21:56:04シケイロスのそれを送られてきたら、マジかよ。という意味を込めてゴヤで返す。 http://t.co/xqln85EJZ5
2013-12-24 22:02:44これを出されたら、いまわたしはもてあそばれてるのねと気がつく。 http://t.co/CbeoPAM3DM
2013-12-24 22:11:59ジョエル・シャピロの《20 エレメンツ》という作品。こういう風に撮られるということは、カルポーの彫刻と対応しているということかしら。厳密でないとしても関連づけて読むことは可能だが。 http://t.co/dl7ceIIA4T
2013-12-25 20:16:16艺术界 LEAPという、中国語と英語のバイリンガルの雑誌に、六本木クロッシングの展評を書きました。日本で売られていませんが、中国では広く読まれている雑誌だそうです。一応お知らせ。 http://t.co/73BUzJN7kh
2013-12-26 14:19:01確かに芸術を人質に取るのは、迷惑だわね。小さな企業のゲリラであるなら、その企業的なモデルでやってけばいいじゃないのか。
2013-12-30 02:24:57炎上マーケットなのかな。弱者に寄り添ってもダメかも知れないが、このブラックユーモアもまた少しやけくそ的に見えすぎだと思うんだが。
2013-12-30 02:28:46↓《表現者のための「げーじつ」》芸術に関わっている者として、こういうふうに言われて伝播するのは結構深刻だと思います。
2013-12-30 02:39:34カオスの人が積極的にやろうとしてるわけじゃない気もするしなぁ。やらされてるというか。。。またエグいことになってるような。
2013-12-30 02:45:07面白かった。美術でよくいわれる「批評の不在」ということ自体の空転とも関係すると思う。 宮台真司「第1回講義:グランドセオリーとはなんぞや?」 http://t.co/Cj2Ab6orMW
2014-01-06 01:17:10これも社会システム理論で非常に重要な概念ですが、分化が極度に進行して、共通の地平がなくなったというか、不透明性が極度に上昇しているわけです。…どんな領域でも例外なく、政治の領域でも、家族や性の領域でも、サブカルチャーの領域でも、学問の領域でも、不透明性の上昇というのが存在している
2014-01-06 01:19:26承前)みんな、自分の前に視界が開けていますね。しかし、自分が見えている視界の外側に、自分から見えていないものすごくたくさんのものがあるんだということについての暗黙の了解が存在します。もっと言えば、自分の目の前の存在が解決できたとしても、それは本当にローカルな解決でしかないんだ
2014-01-06 01:21:17承前)ということもぼんやりとではありますが、先取りされてると思うんですね。そういう状況になっているがゆえに、ある種の、分かりやすく言えば「分析に対する飢餓感」というものが生じているように思います。(略)僕自身はいろんなところでいろんなコミュニケーションをして、分析にたいするニーズ
2014-01-06 01:24:00承前)の高まり、つまり、分析というのはそういう不透明性を中和する、透明化することですが、そういうことに対するニーズの高まりというものを非常に感じました。当たり前ですよね、見えなくなればなるほど、つまり不透明になればなるほど、視界を透明化したい、自分がどこにいるのか知りたい(略)
2014-01-06 01:26:48承前)つまりですね、ありありてグランド・セオリーというものの多くを追求する人達は減ってきたし、現に一般理論の水準でコミュニケーションを図ったりということもなくなってきているんですが、しかしながら、それはニーズが消えたということを意味しているのではなくて、実はニーズは存在している
2014-01-06 01:28:20岡﨑乾二郎:インタヴュー|われ、またアート・ステュディウムに─ 第二回:実験モデルによる演習とその手法を少しだけ抜粋しておく。
2014-01-06 01:56:57