戦前のアルミ事情

古峰文三様の戦前のアルミについてのお話。 より深く太平洋戦記3を楽しむために。
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Bunzo @Kominebunzo

ドイツには木製軍用機計画が目立たない。これは開戦直前1938年のアルミニウム生産世界第一位だったため。この実力が空軍の実態以上に脅威を与えていた。ドイツの戦略爆撃能力は隣国を屈従させる程に恐怖の的だったけれども、貧弱なドイツ機甲師団を恐れる国など戦前には無い。

2013-09-22 05:37:41
Bunzo @Kominebunzo

ドイツの再軍備をにらんで航空軍備の急速拡大を進める英国にとってアルミ生産は隘路の一つ。一方、大西洋の反対側では北米大陸のアルミシンジケートが独占問題で米国内のAlcoaとカナダのAlcanに分裂していた。このAlcanとして分化したアルミ生産がカナダを英国の飛行機工場に変える。

2013-09-22 07:08:02
Bunzo @Kominebunzo

では我が国のアルミ工業はどうなっていたかと言えば、事実上米国Alcoa社の傘下にあった。これでは対米戦争は不可能。独自のボーキサイト獲得を目指した動きは昭和12年頃から段々と進み、アルミ工業がほぼ独立を果たした時点で開戦。だから開戦時期は他にどんな「if」を設定しても遡れない。

2013-09-22 07:12:16
Bunzo @Kominebunzo

日本は朝鮮半島産の明礬石からのアルミ生産を試行。効率が悪く結果は芳しくなかったのに一度、天覧に供されたため後へ引けなくなったと揶揄される試みだった。けれども、南方のボーキサイト獲得見込が立たない内は最も有力なアルミ工業独立のための施策だったことは間違いないので笑えない。

2013-09-22 07:17:51
Bunzo @Kominebunzo

Alcoaの支配下にあった日本のアルミニウム工業が歯を食いしばって屈従していたかといえばそうでもない。技術的な先達の指導を受けつつ感謝と共に友好的に活動している。己の実力を知る国内アルミ大手の住友も古河もアメリカと本気で戦争などできる訳が無いと考えていた。

2013-09-22 07:26:22
Bunzo @Kominebunzo

日本のアルミニウム工業の立遅れの背景として、そもそも支那事変の長期化に伴う全金属製軍用機の大量生産時代を迎えないとアルミニウム合金そのものの国内需要が大したことが無かった点も見逃せない。 だってね、戦前でジュラルミンを使う製品なんて、飛行機の他に何が思いつく?

2013-09-22 07:30:52
Bunzo @Kominebunzo

第一次大戦中に英国経由で入手したツェッペリン飛行船の残骸からジュラルミンの見本を住友に手渡して研究を命じたのは海軍。同じ頃alcoa社に同様に研究を命じたのも米海軍。列強海軍は飛行船を高性能化する軽量の新合金に期待を寄せる。飛行機ではなくて空飛ぶ巡洋艦構想がジュラルミンを育てる。

2013-09-23 08:02:55
Bunzo @Kominebunzo

超ジュラルミンは発明品ではなく住友がalcoaの24Sを模倣して及ばなかったもの。これの改良がESDになる。けれども昭和12年、海軍は純度の低い住友の製品は飛行機製造に不適との判断を下す。ボーキサイトベースのアルミナ製造へと転換が始まる。ESDの成功は枝葉末節の成果でしかない。

2013-09-23 08:20:36
Bunzo @Kominebunzo

アルミナ生産=ボーキサイトというアタマで日本のアルミ工業を見ると100%間違えることになる。日本のアルミナ生産は昭和11年に13,617トンだけれどもボーキサイトベースのアルミナ生産は「O」でカケラも無い。全てボーキサイト以外からアルミナを生産している。

2013-09-23 08:25:55
Bunzo @Kominebunzo

日本が列強ひしめく隙間を突いてようやく手にしたボーキサイトはシンガポールの沖にあるビンタン島産とマレー半島のバトゥーパハト産。昭和11年から積み出しが始まる。当初、どちらのボーキサイトの積み出しもシンガポールから行われている。「どちらもシンガポールから」これが重要。

2013-09-23 08:41:00
Bunzo @Kominebunzo

ビンタン島からのボーキサイト積出が20万トンペースにるのは昭和14年、バトゥパハトが10万トンを超えるのも同時。石油ならまだしも備蓄があったけれども、昨日今日、輸入が始まったばかりのアルミニウム資源の戦略備蓄などある訳がない。シンガポール攻略はこうした面でも必須の作戦だとわかる。

2013-09-23 08:45:16
Bunzo @Kominebunzo

アルミニウム合金の生産と開発にこれだけ苦労するのならソ連のように木製機を大規模に採用していれば、と思ってしまうけれども、国産の良質木材は昭和を迎えると枯渇して兵器生産に振り向ける余裕が無く、まして新参者の飛行機製造に充当する余裕が無い。つまり逃げ道が無いのが当時の状況。

2013-09-23 09:01:50
Bunzo @Kominebunzo

日本が戦時中に製造した木製機は低質な材料の合板に樹脂を浸透させた強化木材の実用化見込みが立って初めて手が届く存在になったもの。軽合金から木への先祖がえりというよりも、新技術による新材料といった趣き。これは諸外国でもほぼ同様。良い木材なんて第一次大戦時に既に使い尽くされていた。

2013-09-23 09:07:33
Bunzo @Kominebunzo

ジュラルミンに関わる産業育成策は海軍が始めて陸軍が後を追う形で進むまったくの軍事行政なのだけれども、真偽ふくめて山ほどある飛行機設計者の苦労話から離れて眺めれば、大東亜戦争時の航空工業は三菱でも中島飛行機でもなく住友や古河の肩にかかっていたんだな、と納得できるようになる。

2013-09-23 09:22:45
SUDO @sudo_simoigusa

@Kominebunzo まあそりゃそうだよね。弾の生産高が火薬生産高で行き着くところは八幡製鉄所になるように、夢もチボーもありませんがw

2013-09-23 09:26:52
Bunzo @Kominebunzo

@sudo_simoigusa それだ、この「つまんなさ」がずっと噛んでれば美味しくなるのか、それともこのまま味が無いのか、何もかもココからでありますよ。

2013-09-23 09:29:34
Bunzo @Kominebunzo

自前のボーキサイト原料のアルミナ生産が軌道に乗った昭和17年度のアルミニウム生産の3割強は航空機製造に向けられていない。これは戦略爆撃調査団報告にも書かれていることだけれども、行く先は「民需」。戦時アルミ生産の1/3が民需に流れてしまったのは日本の産業統制の緩さと横流しのため。

2013-10-02 23:17:10
Bunzo @Kominebunzo

日本にアルミ合金の「民需」がどれだけあったのか、といえば「ゼロ」に近い。九試単戦が発注された昭和9年の日本でアルミ地金生産はたったの1000トンでしかない。ピークは昭和18年の15万トン。アルミ合金は「戦争のための材料」だということ。

2013-10-02 23:28:32
日野カツヒコ @hino_katuhiko

@Kominebunzo 戦前から戦中の国産カメラでも物資統制を受けながらボディの一部にアルミを使った物がありますがそうした背景があったとは知りませんでした。

2013-10-02 23:31:54
Bunzo @Kominebunzo

@hino_katuhiko 軍用機以外に向けられたアルミ合金は「代用材料」なんですよね。

2013-10-02 23:33:03
日野カツヒコ @hino_katuhiko

@Kominebunzo ありがとうございます。戦中の産業統制や民需の動向については全然勉強していなかったので良い示唆を頂きました。 また日本では光学兵器へのアルミの普及はあまり進んでいなかったようにも思えました。軍需としての真鍮の要請も大変なものでしょうね。

2013-10-02 23:37:49