まずは対米開戦直後の国内米事情を。 国内需要が約7500万石ほどですが、国内生産は6000万石前後になるので、需要の2割、1500万石の輸入が必要でした。もともと脆弱であったといえますね。、
2017-07-29 20:22:28昭和17米穀年度(昭和16年11月~昭和17年10月)は、米の大生産地を進駐・占領していったので、それら泰、仏印、ビルマより900万石弱を得ています。しかし、肝心の国内は不作だったそうで、さらには国内需要も開戦により増加します。その不足分は前年度からの繰越米でまかないました。
2017-07-29 20:27:51前年度からの繰越米は約700万石でしたが、そのうち約500万石を食いつぶします。1年目から余力がほぼ無くなりましたが、米の世界的にも大生産地ともいえる地域を押さえていたため、危機感はほとんど無かったと記されています。
2017-07-29 20:39:2218米穀年度は、国内米は豊作となり、外地からの輸入も500万石に減ったものの続けられ、朝鮮米300万石も入手できました。このため、翌年度への繰越米をやや増やすことができています。
2017-07-29 20:54:34とまあ、なんとか形を保っていたのはここまで。暗黒の昭和19米穀年度がやってきます。この年度は国内米の生産自体は引き続き豊作で作柄も良かったそうです。じゃあ、何が問題になったのか。大きな問題としては海上輸送の破綻と軍への供給ですね。
2017-07-29 20:58:53海上輸送の破綻に伴い、外米の輸入がほぼ途絶えます。前年の500万石が無くなるわけです。輸送船の行き来がまったくなくなるわけではないですが、南方からはボーキサイトなどの物資が優先されるなどがあったのでしょう。また、外米は内地ではなく戦地への輸送があったそうです。
2017-07-29 21:03:52また、急拡大した軍隊は当然お米を多く消費するわけで、海軍はこの年度約170万石(16年の約3倍)消費しています。この年の陸軍は約400万石とのこと。
2017-07-29 21:07:29というようにお米の供給が少なくなったのですが、当然濃淡があります。 ある時、 「米の配給が少なくなったので、甘藷、じゃが芋などを混ぜて量を増やしてみたら」 に対し 「米の代わりに甘藷、じゃが芋が配給されてるんだが」 みたいなツッコミがあったみたい。 (私の読み間違いだったら失礼)
2017-07-29 21:15:02とことん食糧が尽きた昭和20年8月になると、一般民需は先日書いたとおり「漸く生存し得る程度」となりますが、軍も減額されています。となれば、その減額された分のカロリーはどうするの?という問題が発生しますが、その回答のひとつが「寝」。睡眠時間の延長によりカロリー消費を云々。。。
2017-07-29 22:33:40以上が簡単に戦時中のお米に関する話でした。 お米以外のいわゆる副食の状況も、味噌とかの調味料、鮭やカニ・牛肉などの缶詰の状況も書いてありましたが、読みきれず、メモれませんでした。
2017-07-29 22:39:41昭和14年に朝鮮半島で旱魃があり、タイからお米を輸入している。1993年の米不作騒動と対応がそっくり。
2017-07-30 08:24:46125ページ「それから、これは農林省が閣議請議したわけではないのですけれども、「団栗 の食糧化に関する件」が、閣議にかかっています。要は、どんぐりを500万石以 上集めて、これには渋がありますから、その渋抜きをして、食用に回すことを 決めたものです(資料31の右)。」…
2017-07-30 08:40:35@katabuchi_sunao (若い人は知らない記憶にないかも)24年前の米不足で海外の米を国策で緊急輸入した時を体験した事を思い出しました。アメリカ米も原種が日本米のとはいえ味が違ったしタイ米は形自体が違った。米形のこんにゃく入れたり色々して食べたなぁ。国産米100%はちらし寿司や和食の時用だった。→
2017-07-30 08:55:04戦時中の米乃至主食の配給が全国均一であったかというと、全然そんなことはなく、大都市は戦争継続上必要だからと住民への配給量が多く設定されていたりしました。呉は人口の規模ではこの中には本来入らないはずなのですが、海軍軍港を支える都合上、大都市並みの配給基準になっています。 twitter.com/kawasakimanabu…
2017-07-30 09:12:02@katabuchi_sunao 昭和20年8月には軍中枢も「一般民需は漸く生存し得る程度に規正」ってわかってはいたようです。もはや戦争を続ける体力すら消滅しつつあると。
2017-07-30 08:30:40すずさんが19年春から急に雑草を料理しだすのは、呉の食糧配給がそこから悪化しているからです。蔬菜の配給量が半分に、魚は6分の1になる時期が19年4月なのです。米の代用としての玉蜀黍と脱脂大豆の配給もこの頃から。あのおイモは3月に配給されたものを大事に取っておいた残りです。
2017-07-30 09:17:52昭和14年朝鮮半島旱魃考えたら国民は米事情は知ってたと思います。米の主食依存度は1993年の比ではなかったですし。
2017-07-30 09:24:41@jakoonezumi2017 @katabuchi_sunao 当時の全自動炊飯器じゃパッサパサになっちゃったんですよね。すずさんの頃はカマド炊きだからずっと調理に工夫が必要だった。 雑草も調理に使った人達が食材の変化を気付かない筈ないですね😑
2017-07-30 09:26:10