かかわりあう、人生をまっとうする場所

生きることは他人と関わること、人生を全うする場所は本人の意思を尊重したいという話のまとめを、安東さんのリクエストで編集しました。
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リンク JBpress(日本ビジネスプレス) 戻られるか戻られないかも分からないままに~飯舘村短信(1) 飯舘村。いまだ解決の糸口さえ見えない問題を抱えながらそれでも時間は流れているし、その時間の中で生きている人たちは確かにそこにいる
MAEDAseimei @Mseimei

飯舘村の短いコラムを明23日零時公開から当面毎週月曜日に出すことにしました。写真2点と、いまはこんなだよというだけのもの。提言とかなんとかはなし。まあツイッターでやってることそのままなのでフォロワーさんが見て目新しいものもないですが。http://t.co/5NUNO6XFcO

2013-09-22 19:44:01
小川唯史 @ogawa_tadashi

昨日の @u381 さんのtwで思い出したのでつらつらと。

2013-09-23 20:39:13
小川唯史 @ogawa_tadashi

試験作付の田植え後のあいさつ。「自分は花が好きでここに花を植えて来た。最初のころは近所の人には『いい道楽だな』と言われました。道楽というのはいい意味ではありませんよね。でも最近は『花が好きでよかったな』と言われるようになった。花が咲く時期にはみんなが喜んで見てくれるようになった」

2013-09-23 20:40:03
小川唯史 @ogawa_tadashi

「事故の後にここを出てからも、花を咲かせるためにここに通って、事故の前と同じように花を咲かせることができたときは、とてもうれしかった。けれど、同時に本当にさびしかった。」ここで言っている花というのは、農業としての栽培ではなく、居宅や農場の周辺に植えられた山野草などのこと。

2013-09-23 20:40:53
小川唯史 @ogawa_tadashi

初めてこの農場を訪れる人はほとんど「桃源郷」という言葉を使う。その言葉を使いたくなる気持ちがよくわかるところ。一本道の行き止まりに、林の中に開かれた農場が広がっていて、ぼくたちが初めて訪問したときは、道の両側から裏山まで水仙の花で覆い尽くされていた。

2013-09-23 20:41:24
小川唯史 @ogawa_tadashi

少し後になると道の両側と田の畔に花菖蒲が咲き、山から農場に水を取り入れる口は湿地のようになっていて水芭蕉が咲いていた。そのほか、素人には名前もわからない山野草があちこちに咲いていて、たまたま好きな人が行くと狂喜する。

2013-09-23 20:41:56
小川唯史 @ogawa_tadashi

こうした花は経済作物ではないから、補償の対象にはならないのだろう。しかし、この方の人生にとっては、本当にかけがえのないものだったのだなということがわかるお話だった。これは、たまたま知り合った方の話だが、村のそれぞれのお宅がそれぞれの大切なものを失ったことも実感できた。

2013-09-23 20:42:33
小川唯史 @ogawa_tadashi

「あと何年田んぼができるかわからない。体も動かなくなる。動ける間に除染を済ませたい」と言う。それは後継者がある・ないとは無関係の決意を感じさせる言い方だった。一方で、子どもたちが戻れるまで何年かかるかわからないが、それまで頑張ってバトンを渡すという決意をしている人もいる。

2013-09-23 20:43:16
小川唯史 @ogawa_tadashi

以前の暮らしひとつひとつを知らなければ被害の全体像はわからない。でも、これを伝えるのは本当にむずかしいよ。

2013-09-23 20:43:45
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki

戻られるか戻られないかも分からないままに~飯舘村短信(1) 飯舘村のいま~再生への軌跡(4)2013.09.23(月) 前田せいめい http://t.co/EKLDLlLy49

2013-09-23 00:42:05
安東量子【告知専用】 @ando_ryoko

あ、きっとよい記事。RT @nekoyasshiki: 戻られるか戻られないかも分からないままに~飯舘村短信(1) 飯舘村のいま~再生への軌跡(4)2013.09.23(月) 前田せいめい http://t.co/0YiBMvW8Y4

2013-09-23 00:46:13
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki

@ando_ryoko 戻ることを目指してとか、戻れるからとか戻れないでなく、ていが悪いとか、風がわるいとか、百姓としてみっともないから、手入れする。それはそれとしての、係わり合いのお話。

2013-09-23 00:52:53
宮♯ 優 @38_youu

今回の村訪問で感じたこと。「風評ではなく、風化との闘い」「『心のケア』何をすべきなのか。実態のない言葉で、統率もなくお茶濁しをしている感。しかしやらなきゃいけないこと」「帰村を巡る問題は、生活云々だけではなく、どのように人生を終えるか…という問題でもある」

2013-09-23 00:54:30
宮♯ 優 @38_youu

生きること、生活を取り戻すことばかり。それは大事なんだけど、死に方についての意識って自分のなかで欠けてたなとおもった。

2013-09-23 00:56:32
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki

(最後は、どこで死ぬか、どこで殺すかの話かもしれない。これも係わり合いの話)

2013-09-23 00:57:45
MAEDAseimei @Mseimei

@Mseimei この問題についてずっと考えてきてる人にとっては、きっと「なんてことない記事」です。考察はなにも加えてませんし。今回はそうじゃない人(さらに言えば「現状を知らずに空想の飯舘村を語る人」)に向けて「とにかく現状を示し続けること」を目的にしました。

2013-09-23 01:02:21
宮♯ 優 @38_youu

@nekoyasshiki 「村で生活したい」ってより、「村で死にたい、人生を終えたい」という想いをダイレクトに聞き、(目から鱗ってわけじゃないですが)死に方を尊重出来てなかったかもしれないなと、気付かされた感。ちょっと屁理屈っぽいかもしれませんけど…(文章力なくてすみません)

2013-09-23 01:16:43
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki

@u381 個人的な話ですが、最末期患者であった、母親を一時帰宅させるとき、親戚(叔父等)に、病院で死なさせなくていいんだな(体裁が悪い)、ともいわれました(祖父母等は全員自宅で見取り)。まあ、いつのまにか、病院で死なないのは体裁がわるいんだなという具合にかわっているんだなと。

2013-09-23 01:22:01
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki

@u381 現実には、病院で見取りになるわけですが、まあ、本人はギリギリまで自宅帰ることを望んでいたんで、単なる妥協や思い込みにしかすぎないんですが。

2013-09-23 01:24:30
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki

(おやじはおやじで、最後の緊急入院で、ぼけた頭で、最後までビニールハウスどうした、とか、そういう季節の日常のことをきにしていたなあ)

2013-09-23 01:26:22
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki

(なんの話かというと、年取っても、最後まで、わたくしごと(自分の係わり合いのある世界の当事者)の世界にかかわりあいたいんだろうと)、病院というのは、徹底的に”わたし”を他人事の世界においてしまうこと。)

2013-09-23 01:30:22
宮♯ 優 @38_youu

@nekoyasshiki 残された人は、その人のことはわからないから、想像するしかないし、見方によっちゃ死んじゃったら死んじゃったなんですけど。だから、どこでもいいじゃん(とまでは言いませんが)とはいかないな、と。

2013-09-23 01:31:35
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki

(係わり合いー”わたくし”ごとと”たにんごと”との、びみょうであいまいな関係の世界)

2013-09-23 01:32:21
宮♯ 優 @38_youu

確実にこの人、人生の終焉を見据えて行動、言葉を紡いでいるなーと思ったら(よりよく生きる、健康に生活するってことだけを考えると、とても非合理的な行動、言葉だったので)。正直、周囲の人はややポカーン。返す言葉を探すような雰囲気だったんだけど、言いようのない美しさがあったような。

2013-09-23 01:33:52