- misoni_2013
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2013/09/27 「漫画はどこから来た」 19世紀ヨーロッパを中心に、西洋の視覚文化史を見通す視野から、コマ割り表現の歴史をたどります。 佐々木 果
2013-09-27 18:52:10海外のマンガの流れを見てみる。 それを見る理由、日本に出版文化はあったがある時期ポンチが出てマンガが言葉として成立する。そのプロセスに広い意味で海外からの影響があるためその影響を見てみる
2013-09-27 19:02:5719世紀のフランスマンガで風刺漫画が局所的には文学の先生が書いていたりする。仏文はフランス、イギリス文学はイギリスのことばかり、バラバラ。 ミックスされた話がないが、今回はコマ割りに比重を置いた話をする。
2013-09-27 19:06:57年表は風刺版画、風刺漫画で色分けがされる。 マンガが定期刊行物(メディア)に掲載され始めるのが分かれ目(ざっくりと言えば)。
2013-09-27 19:12:58イギリスでは風刺版画ブームがあった。 ペラ一枚、1800年前後。 ここでマンガ的な重要な何かあ成立。 雑誌・新聞の紙面を飾るものとしてマンガが成立し始めたか?
2013-09-27 19:14:17年表中の人名は分かりやすくするため任意にあげたもの。 鉄道の時代と書いてあるのも、そういう時代であるという参考程度の記入
2013-09-27 19:15:19今泉一瓢が渡米した1885年頃のアメリカの状況とは?→ アメリカではこの時代には本格的に風刺が載った雑誌があった。 風刺雑誌(ユーモア雑誌)として「PUCK」
2013-09-27 19:17:57風刺雑誌「PUCK」「TheJUDGE」を見ています。 B5サイズより大きい。 見開き、巻末にはカラーページも。 コマ割り作品も多い。
2013-09-27 19:20:37それ以前はどうか? 定期刊行物として「GALAXY of COMICALITES」1833年 アメリカは広いので都市ごとに刊行物があり特色がある。
2013-09-27 19:22:02TheDailyBraphic(新聞)1873年のものを見ています。 本格的にマンガが掲載。 すでにアメリカで漫画家が育っており、メディアが出てくることで漫画家も出てくるということが見えてくる
2013-09-27 19:26:09今泉一瓢が渡米した時にはアメリカ人漫画家が育っていた状況であり、だからこそ新聞が彼らを本格的に使ったページも構成される。
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