《2011年に考え始めたこと。原発事故前の環境は戻るのか?》

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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「原発事故で放射性物質が飛び散ったら、飛び散った範囲の山林や田畑から放射性物質を取り除くのは無理だし、山林に残ったらそこから住宅地に流れてくるのは止められない。事故前の環境に戻す技術は無い」と、チェルノブイリ原発事故から得た知識を、2011年4月に福島県内で私は周囲に話した。

2013-10-03 23:01:50
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「そんなことを言ったって、あれから25年も過ぎてるんだから、新しい技術ができていて、何とかなるんでしょ?」「東京電力が散らかしたんだから、できないなんて言わせない。東京電力に片付けさせるしかない」と、周囲の、主に理科系以外の人からは言われた。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:04:00
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

周りの理科系の人たちからは、「100ミリシーベルトまでは、放射線を浴びても統計上変わらないんですよ」とか、「福島よりも、もうすぐ起きる余震で『もんじゅ』から出る放射性物質の方が大変になるから、西には逃げられない。福島の方がマシ」とか言われた。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:06:24
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そんな話をしていた頃、環境は、県庁の公式発表でも1μSv/h以上。土の上だと5μ以上の場所は当たり前にあった。側溝の上だと、10μを越える場所が、学校のあちこちにあった。雨どいの下は、どれだけあったか、分からない。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:09:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そんな2011年4月には、「正しく計測する」キャンペーンも張られていた。「正しい計測」は、β線を拾ってはいけないとの事だった。地表近くはβ線の影響を受けるから、高さは胸の位置、地上1メートル。β線を測らないように、計測器はビニール袋に入れる、と。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:12:31
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月に頻繁にテレビ等で語られたのは「福島の原発事故はチェルノブイリとは違う」という話だった。それを私の周囲の人たちは「福島の事故の方が深刻さは低い」という意味だと受け取った。情報を受け取ったというより、そう「思いたい」という心情だろう。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:15:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月末から、こんなことを言う人が目立ってきた。 「福島をチェルノブイリにしてはいけない」 私には分からなかった。「福島」がどこからどこを指すのか。 「チェルノブイリにする」って何を意味するのか。 当時は、人によって受け取り方が違った筈。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:17:57
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年5月末、飯舘村の「全村避難」が決まり、大まかに国が指示する避難対象が固まってきた。その頃「福島をチェルノブイリにしない」の意味も固まってきた。 「福島には、帰還できない地区を作らない。廃止する集落も作らない」の意味になっていた。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:21:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年5月から6月。双葉町や大熊町などの、原発作業者が多く住んでいた町には、自分の家に少なくとも数十年は戻れないことを悟った人たちがいた。だけど、そういう人たちは全員が避難者で、他の自治体住民の好意に支えられて生活していた。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:23:49
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「自宅に、生きているうちは帰れない。」そう悟った避難者たちの多くは、福島県内に留まっていた。または、家族や親戚が福島県内に留まっていた。 「帰るのは無理だ」と言うことで、避難支援を打ち切られたら、どうにもならなくなる。言えなくなった。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:26:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

何よりも、福島県庁が、県知事が、「福島をチェルノブイリにしない」と明言していた。「必ず復興します」と宣言していた。 福島を「新発売」していた。 「もう売れません」とは言えない。 いや、それどころか、福島県庁に意見する回路さえ見つからなかった。  @karitoshi2011

2013-10-03 23:29:41
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「福島をチェルノブイリにしない」という話の進展と平行して、 東電原発事故による健康被害は起きないことが、勝手に決められてしまった。福島県庁、県のアドバイザー。現役の、肩書きを伴った学者や医者が、マスコミで繰り返し語る。長崎・広島の被曝者も語る。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:34:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「長崎、広島も、50年草も生えないと言われた。しかし、こうして復興した。福島も必ず復興する」それを聞いた福島県民のほとんどは、今回の事故で放出された放射性物質が、広島や長崎の原爆よりもはるかに多いことは気づかないままだった。 @karitoshi2011

2013-10-03 23:41:03
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

さて、これで、冒頭の話に戻る。 「原発事故の前の環境が戻らないなどということはありえない。 政治家も科学者も、 責任ある人たちが『出来ない』とは言わない。 あんなに悲惨な経験をした広島や長崎でさえ、復興したのだ。 福島が復興できないわけが無い。」 @karitoshi2011

2013-10-03 23:45:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

いつものように、私は考えたのだ。 「福島」に双葉町は、浪江町は含まれるのだろうか? 会津地方も一緒なんだろうか? 「復興」って、何がどうなることなんだろうか? 2年半経過したが、私には納得できる答えが見つからないままだ。  @karitoshi2011

2013-10-03 23:48:29