@yashirosatoru さんによる『愛国心の押しつけ』について

日本が自由と平等と民主主義の国であるというなら、何を愛するか、愛さないかの自由も保証されるべきではないでしょうか。 愛国心の押しつけほど国家・国民の狭量さを示すものはないでしょう。
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屋代 聡 @yashirosatoru

実際、愛国心の押しつけほど国家・国民の狭量さを示すものはないでしょう。愛国心といえば聞こえはいいですが、要は自国愛中心主義、美化された国益であり、これを常に尊重しろと言われて困惑しない方がどうかしていると思います。

2013-10-09 01:30:35
屋代 聡 @yashirosatoru

また素朴な郷土愛と愛国心の違いについても話題になりました。素朴な郷土愛というものはいつの時代も、どこの地域でもあります。ただそれがネイションという枠組みで組織されるのは近代以降で、これには公教育の展開と、それにともなう識字率の向上が不可欠です。

2013-10-09 01:31:01
屋代 聡 @yashirosatoru

国民的同一性(例えば日本人意識)は、同じ言語で同じ教育をされ、同じ価値観を醸成されなければ作動しようがないのです。それゆえ歴史上、どこでも素朴な郷土愛はあっても、それを「国」というフレームに誘導した(できる)のは、近代国家に他なりません。

2013-10-09 01:31:27
屋代 聡 @yashirosatoru

色々な国籍の人が日の丸に集まることができるのは、国家というより人・土地に愛着を持つ郷土愛ゆえだろうか、それでも愛国心には違和感も覚えるという感想も聞かれました。 国籍は後付けの虚構の最たるものですから、この問題とは直接関係ないでしょう。しかしこの感想は重要な指摘を孕んでいます。

2013-10-09 01:32:18
屋代 聡 @yashirosatoru

というのは「国家というよりは人・土地」というのは、必ずしも二者択一でなくて構わないからです。例えばヨーロッパ諸国の人びとは「地域ー国家ーヨーロッパ」という3層のアイデンティティを創りつつあるとも言われています。

2013-10-09 01:32:48
屋代 聡 @yashirosatoru

むしろ近代国家は市民の持つ「地域・地方」というアイデンティティへの愛着を温存しつつ、それを、より上層の「国家」への愛情・献身に利用していったというのが正しいでしょう。

2013-10-09 01:33:21
屋代 聡 @yashirosatoru

それゆえ普段意識しないはずの国家に、シンボルを介して、愛情のスイッチが入るというのは(本来)ノーマルなことではないでしょう。むしろ、その装置が作動することに違和感を覚えるのは健全なバランス感覚を持っている証左なのだと思います。

2013-10-09 01:33:53
屋代 聡 @yashirosatoru

ずいぶんと長くなりましたが、日本が自由と平等と民主主義の国であるというなら、何を愛するか、愛さないかの自由も保証されるべきではないでしょうか。 僕はこの国を愛するがゆえに、この国が間違った方へ行く時には、声をあげるのです。これこそが真の「愛」国だと思っています。

2013-10-09 01:34:36
屋代 聡 @yashirosatoru

子供の何でも好きにさせる親を親バカといいます。 国の何でも好きにさせる国民を愛国バカと呼びましょう。 僕はバカが嫌いです。笑

2013-10-09 01:35:10
屋代 聡 @yashirosatoru

それにしても日章旗と君が代について呟くと反響が大きいですね。それも建設的な議論やご質問をお寄せになる方が多いです。これは全体主義化するわが国において、大事にしなければいけない意見ですし、大仰なようですが、間違いなく1つの希望だと思います。

2013-10-09 01:35:36