ミステリも、近現代詩も、密室性を構築するわけです。そして詩は、その短さ(ポーは詩は短いものだということを強調している)において、極まった密室劇であるわけです。
2010-10-08 00:26:00@masayachiba こちらこそ、とても新鮮なご作品拝読せていただいて、自分の創作の刺激になりました、社交辞令でなく人の新しい詩よまないと自分が書けないので…うれしかったです。詩の雨というのは静謐で美しいですね。それをぜひ実践的、具体的に考えねばと思います。
2010-10-08 00:29:28@yy_sato また具体的な話なんですけど、余白を工夫したり、行変えのヴィジュアルな効果とかって、まだ、ふつうにありなんでしょうか。僕、デザイン出身なので直感的にそういうことやっちゃうんですが、オーソドクスな近代詩風行分けか、散文詩風のほうがかえってイマな感じなのかな、とか?
2010-10-08 00:33:46しかし現代詩においては事件の展開がくどくど説明されないし、はっきりした事件解決がない。つまりロゴスで割りきれない。分かる、というカタルシスがない。が、なんじゃこりゃ、ドドーン!というショックがある。それを楽しむのは、ハリウッドのショック映画くらい現代的であるのではないか。
2010-10-08 00:35:45つまり現代詩は、ハリウッドのショック映画くらい「現代的に怠惰に」楽しめるのではないか。もちろんそこを入り口にして、そこで起こっている事件の細々としたところへ降りていくこともできるし、それが推奨されてしかるべきだが、さしあたってはドドーンの怠惰な楽しみでもいいのではないか。
2010-10-08 00:37:42@masayachiba そうですね。ぼくの印象だと90年代後半から2000年代の前半まで、タイポの凝った詩が流行ってましたね。ちょうどPC普及期だとおもうんで、ワープロでの改行しやすさが新鮮だったからだと思うんですが、(・・・)
2010-10-08 00:42:24僕などは本当に怠惰だから、努めて見てはいるがエンタメでさえ長いものはダルいのだ。もうキャッチコピー+αだけで十分である。密室劇も、なんか密室でワクワクすんぜ、で、結論は?くらいで十分。小説のスタンダードな枚数はもっと減らしてほしい。だいたい学術論文は50枚以下だ。
2010-10-08 00:44:12そうなると、である。僕の怠惰は徹底すると、もう密室劇の結論を押しつけられることさえダルいのである。それが楽しいんじゃないのかと言っている人たちはまだまだ怠惰でない。僕はもう、あ密室? くらいでいい。そうなると、詩である。
2010-10-08 00:47:07いまはおっしゃるようにオーソドックスな改行詩、散文詩が好まれる気がします。ただ、デザインとしての詩だと、戦後詩は新国誠一のコンクリート・ポエトリーなんかをモダニズムといって不当に抑圧してましたが最近は見直されて、松井茂(たぶんスパムっぽい詩が届くかと思います笑)、辻虎志(・・・)
2010-10-08 00:48:28詩は、筋の展開どころか語と語の関係レベルで密室であり、それを短く放り出して終わりである。詮索しようと思えばできるが、そうしなくても音声的な魅力にノっていればあっという間にいちおうの鑑賞ができる。
2010-10-08 00:49:21密室で事件だ!が、語と語のレベルで生じて、それにショックを受けて、余韻を楽しめばいい。たとえば和合亮一が「奥歯は晴れ上がり/僕の乳首の先で/小麦粉が降る」(「空襲」より)と放つとき。この解決なき語それ自体の密室的戦慄。ま、この引用は僕の趣味ですが。
2010-10-08 00:54:22語のレベル、そして音素レベルのエンタメである。多くの人間的エンタメよりも簡潔で時間をとられないエンタメである。しかし多くの人は、人間的な意味を求め、ただでさえも忙しいのに、さらに時間のかかることをしている。真面目である……。もっと怠惰になれば?というトリッキーな詩の擁護でした。
2010-10-08 00:58:53しかしねえ、語や音素レベルの密室が密室であるとわかるには、この世間を覆っている「意味が分かることの覆い」をいったん取らないといけないのかもしれないから、やはりその突破に精神的コストがかかるので、それはまったく怠惰なことではない、ということになるのだろうかな……。
2010-10-08 01:01:15少なくとも僕にとってはエンタメの受容とあまりコストが変わらないのだが。男と女のくどくどしたドラマをおもしろいと思おうとするほうがよっぽど疲れる。
2010-10-08 01:02:37@yy_sato なるほど、やはりやはり。自分のタイポの感性も80年代由来なので、時間をおいて眺めて、これってなんか……(赤面)と思ったんですよ笑 そうですね、視覚性を拡張するならもっと戦略を考えるか、古いやり方か、しかし中尾半端もそれはそれで魅力ではないかと思ったりもして。
2010-10-08 01:08:28@masayachiba ただ朝吹亮二さんは新刊詩集でかつての記号論みたいなタイポをやって効果あげてましたね。詩集としてかんがえたとき、配置のしかた(普通の詩→余白→散文詩→タイポみたいな)でたぶん変わってくるのではと思います。そういえば藤原さんのタイポはきまってますからね・・・
2010-10-08 01:16:03@yy_sato 朝吹さんの新作はまだ見ていないんですが、そうですか、やってますか。藤原さんは視覚的な効果がうまいですよね。第一詩集もセンスがいいと思いました。まあ、『フォ ト ン』のスペース入れはちょっと冗長かなあと思いましたが。
2010-10-08 01:19:01@metaphusika 書くとおもしろいですよねえ。言語感覚が広大になって、論文や批評をかくのがすごく楽になります。
2010-10-08 01:40:45まあ、佐々木さんは、ネット的情報空間によるある種の人間疎外が嫌なんだろうな。それはそれでわからんでもない。が、肉体的文学論って、マッチョなんだよねえ、いかんせん。
2010-12-07 01:47:10まあ中世からデータベース革命があったとかいうのは、東さんも言うように、そうも言えるだろうということですが、問題は、そこで打ち出される「あえての反動」が、なんか男塾みたいな感じなんだよなあ。っていうのは雑ぱくな印象ですが。
2010-12-07 01:48:3020世紀になってかつてない規模で普及し民主化された情報革命を否めない非情なベースとして文学を考えないとしょうがない、っていうのは僕も福嶋さんもそう思っていて、あとは、そうした条件における感性論の変容をどう捉えるかですよね。
2010-12-07 01:50:31そうそう、最近僕が現代詩とか言っているのもね、勘違いしてほしくないのだが、ある種の神秘性への回帰とかではないのですよ。これは。あらためて強調しておきますが。すごくドライなことを言っているのです。情報社会の状況において。
2010-12-07 02:10:13現代人は忙しい。じっくり付き合う価値のある豊かな問題設定の長編ならばともかく、だらだらした「長め」の中編など読んでる暇はない。だからサクッと読める詩でいいだろ、と。神秘でもなんでもない。時間のムダを減らすだけ。詩で物語性もかなり表現できる。
2010-12-07 02:20:01