建築夜楽校2013「アーキテクト and / vs アーバニスト」

現時点では、建築夜楽校第1夜をまとめています。たくさんまとめができてもわかりにくいので、第2夜の分もこちらに集約していければと思います。
6
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

2013年10月4日(金)に、建築夜楽校2013第1夜「アーキテクトandアーバニスト」が開催されました。登壇者は、槇文彦、蓑原敬、豊川斎赫、中島直人、武田重昭の各氏と松田。10月11日(金)には、第2夜が開催されますので、ここで簡単に第1夜の議論を振り返っておきたいと思います。

2013-10-10 19:09:04
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

開催の挨拶は、建築学会理事の小野田泰明さん。今年は建築と都市の職能にテーマをあてた刺激的なテーマ。復興を成し遂げながら、学会としての叡智をプレゼンスするためには過去と現在を繋ぐ必要。今回は大先生を招きながらも若い人が斬り込んでいく仕掛け。会場の皆さんも積極的に議論に参加下さいと。

2013-10-10 19:09:35
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

松田からは主旨説明。既出の内容 http://t.co/CMZlzdAl8F に2点追加。1つはほぼ未定義の「アーバニスト」概念を議論すべきこと。2つ目は2010年代を、旧都市計画法が定められた1910年代、容積制が生まれた1960年代に連なる、都市計画の第3層目と捉えたいこと。

2013-10-10 19:09:55
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

中島直人さんのプレゼンは「アーバニストは誰か?」。アーキテクトを規定するアーキテクチュアのように、アーバニストを規定するのはアーバニズム、と整理。フランス系ユルバニスムとの関係は保留。考えるヒントとして、V.スカーリーによる「アーバニズム」を提示。つまり、都市に対する意識や態度。

2013-10-10 19:10:43
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

たどればシカゴ学派の都市社会学者ルイス・ワースによるアーバニズム=都市的生活様式へ。一方、ジョナサン・バーネットによれば、近年アメリカでは、都市の計画や歴史やデザインなどを統合して表す概念として、つまりヨーロッパ(仏)のユルバニスムと同じようにアーバニズムを用いる動きもある。

2013-10-10 19:11:05
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

都市をめぐる同心円の中心がアーバニズム。アメリカでは、アーバニズムの担い手は専門家だけではなくシチズンも。アーバニストは、アーバニズムの擁護者と、都市像をイノベーションしていく革新者という二つの立場の止揚の歴史。特に1960年代は重要。アーバニズムは「都市像」とその探求を含む。

2013-10-10 19:11:23
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

豊川斎赫さんのプレゼンは、「横浜」と都市プランナー田村明について。『横浜=都市計画の実践的手法』のなかの槇文彦、大高正人、蓑原敬、田村明各氏による座談会の紹介。今日的な議題をすでにここで様々に議論。槇さん、蓑原さんご本人がおり、大高さんは中島さんが詳しいので、田村明の言葉を紹介。

2013-10-10 19:11:42
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

まちづくりと組織。日本は市民社会が成立しておらず、基盤ができていない。各自治体に総合計画はあるが、実態の仕事とは無関係。役所の企画部門は力がない。横浜では高速、地下鉄、公園など複数のプロジェクトがあったが、具体的に計画がないと、振り回され力が強いほうが勝つ。刹那的で長期的でない。

2013-10-10 19:12:02
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

総合的な都市づくりの原動力。総合的な問題に取り組むため、都市工学と社会工学が生まれ、建築家も含め、若手の蓄積が大きくなっている。建築家の役割。すぐれた建築家が出てくる必要があるが、同程度に優秀な人が自治体に入り、建築行政、都市行政に携わらないといけない。まだ人材が偏り過ぎ、など。

2013-10-10 19:12:24
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

蓑原敬さんのプレゼン。自分は都市プランナーで、実践的な立場からの話。イメージ共有のため、マニュエル・デ・ソラ=モラレスがバルセロナの都市開発で指摘した図式PUEを紹介。P(パルセラシオン)=敷地の区画、U(ウルバニザシオン)=都市的装置の付加、E(エディフィカシオン)=建築行為。

2013-10-10 19:12:44
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

19世紀半ばのセルダによるバルセロナ拡張計画も、「PUE」を時間をかけて行った。1960年代以降、われわれが巨大な都市化を受け入れ、人工系のシステムにする中で、ずっと行なってきたこともそうである。しかし一方で、日本の大部分の開発は、このようなPUEの形の計画に乗らないものである。

2013-10-10 19:13:02
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

スプロール化する郊外開発。ブラジルなファベーラなど、都市的装置がないもの(PE)。田園都市のように建物は時間を掛けて建てるもの(PU)。スラムのように、いきなりバラックを建てるもの(E)。最後は計画的な団地開発。例えば幕張ベイタウンでは、これらを一体的、トータルに行おうとした。

2013-10-10 19:13:26
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

1960年代は、どういう時代か。人口は9340万人。ピークは2007年。住宅は当時は足りず、いまは空き家が増えている。耐火率は、当時3パーセント、1993年に33パーセント。公共道路舗装率は当時2.8パーセント、いま80パーセント以上。自動車は当時212万台、いま7400万台。

2013-10-10 19:14:15
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

これだけ違いがあるのに、3.11の後、1960年代と同じことを行おうとしている。時代錯誤だ。増加する空家の問題に対処するのは誰の仕事か?職能の問題ではなく、もっと大きな問題として扱わないと。大高正人さんは、建築家でありながら、このようなハビタットの問題に対し、実践的に取り組んだ。

2013-10-10 19:14:38
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

大高さんはPAUとして整理し、自らの課題とした。P(プレファブリケーション)=工業化。A(Art&Architecture)=芸術と建築。U(アーバニズム)=都市計画。3.11の現場でも建築家はこの課題を引き受ける必要があるが、引き受けた途端にリスク要因として阻害されるのが現状。

2013-10-10 19:14:53
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

建築家、アーバニストを職能として考えるとそうなる。ハビタットのあり方を、枠組みを超えて考えていくべき。大高さんは、多様で偶発性に富んだ個別の建築群を、群空間に誘導しようとした。1960年に槇先生と大高先生が群造形として提示し、その後、アーバンデザインの標準的な考え方になっている。

2013-10-10 19:15:15
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

幕張ベイタウンは、84ヘクタールに9200戸の住宅。たくさんの建築家、ランドスケープデザイナーの介入がないといけない。一人ひとりの建築家の責任ではなく、どうオーガナイズしていくか、仕組みを作り出すことが重要。大高さんは様々な博覧会のコーディネーターや、故郷の三春でそれを行った。

2013-10-10 19:15:41
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

都市を扱うなら多元的な議論をしなければいけないが、東京大学の都市工学科は、卒業生を就職させるため、土地利用計画、ゾーニング、マスタープランの作り方などを職能として分離させてしまった結果、本来の都市計画やアーバニズムから離脱した。職能を追求した結果では。原点に立ち戻って議論すべき。

2013-10-10 19:16:28
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

槇文彦さんのプレゼンテーション。1928年にヨーロッパでCIAMが開かれる。都市に関心を持った建築家の会合だった。第2次世界大戦が始まり、ル・コルビュジエをのぞき、ミース、ヒルベルザイマー、モホリ=ナギ、グロピウス、セルトなど、多くのリーディングアーキテクトがアメリカに移住した。

2013-10-10 19:16:48
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

丹下研を出てハーバードに入った1953年ごろ、グロピウスやハドナットが引退しセルトがGSDを継いだ。工業化に興味を持ったグロピウスに対し、セルトは都市への関心が強かった。セルトの功績は1956年にアーバンデザイン会議を、1960年にアーバンデザインプログラムをGSDに開いたこと。

2013-10-10 19:17:05
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

GSDではセルト、槇、ギーディオン、TeamXらが教え、アメリカのアーバンデザインの一つのモデルとなった。ペンシルベニア大学にはD.クレーンやスコット=ブラウンが教えるシビックデザインプログラムが生まれた。ペン大、MITとも人的交流があり、日本と違いダイナミックに人が動いていた。

2013-10-10 19:17:30
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

ハーバードとMITの共同によるジョイント・センターには、伊藤滋さんが学んでいた。1968年に5月革命が起こり、ポストモダニズム的な動きがはじまる。1970年代には、アイゼンマンやフランプトンによるIAUSが創設され、またイギリスのAAスクールがヨーロッパで活力を持ち始めていった。

2013-10-10 19:18:09
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

日本に戻ってくるまでには、グラハム・フェローを得たり、メタボリズムのメンバーになったり、世界デザイン会議に出席したり、丹下先生が教授になった都市工学科で非常勤で教えたり、GSDのアーバンデザインプログラムで教えたり、こうした様々な出来事の中で、かなり濃密な考え方と接触していった。

2013-10-10 19:18:29
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

1960年代から70年代にかけて、建築家はアーバニズムに明確に興味を持っていた。都市へのスタンスより、空間派(セルト、槇、大高、TeamX)、象徴派(コルビュジエ、丹下、カーン、黒川、菊竹、磯崎)、視覚派(リンチ、カレン、ヴェンチューリ?)、歴史派(ロウ、ロッシ?)と分類できる。

2013-10-10 19:18:53
松田達 / Tatsu MATSUDA @tatsumatsuda

1960年代は、シビックの問題を考えていたのはジェイコブスくらい。当時の関心は住宅数など「数」だった。象徴派はどちらかというと上から見ていた。最近ではコミュニティデザインなど、顔の見える街づくり、建築づくりがなされている。自分にとっての50年代から70年代初めの経験は濃密だった。

2013-10-10 19:19:11