【恐怖】 「良かれと思って」という行動原理の果てにあるもの 【狂気】

【恐怖心の芽生えは、なぜ人を狂奔させてしまうのか?】 というのは、怪談の永遠のテーマでもある。 所謂、オバケ・幽霊・呪い祟りの類の話を扱っていると、「恐怖心の余りに壊れてしまう人」が不可分。なので、怪談はしばしばサイコサスペンス的な狂気譚と明確な区別が難しい。 頭がおかしいからおかしな行動を取る、という解釈は頭がおかしくない自負心がある人から見れば妥当に思えるかもしれないけど、「おかしな行動を取り始めるのは、最初から頭がおかしかったからではなく、何らかの切っ掛けと防衛的な反応からではないか」と思われる。 続きを読む
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あさくらさんが言ってました(´・ω・`)

あさくら (めひかり仙人)スンデル @arthurclaris

事故直後に放射能に恐怖した方々も、殆どはこの2年半の間に冷静な状態に戻りました。 残ったのは、はなゆーや東海アマの様に以前から電波を発信していた筋金入りのヒトや、何も学ぶことなく更に先鋭化した者ばかり。 まるでどこぞの処理装置で処理水と濃縮水に分離された様な。

2013-10-12 07:10:18
あさくら (めひかり仙人)スンデル @arthurclaris

デマを発信・拡散するヒトに共通するのは、実生活における友人や家族の存在が見えないことの様にも感じる(私感)。 冷静に忠告する親しい隣人はいないのか。

2013-10-12 07:21:23
あさくら (めひかり仙人)スンデル @arthurclaris

尤も、家族の冷静な意見を受け入れることが出来ずに、より変な方向へ行ってしまっているケースもあるようだが。 変な新興宗教と同じで、早く家族が「此方側」に引き戻してあげないと、戻ってこれないところまで行ってしまう。 恐怖感は人間を変えてしまう。親い人がしっかりとケアしてあげないと。

2013-10-12 07:27:37

ここから本題(・ω・)

加藤AZUKI @azukiglg

「恐怖心」というか「自力で解消できない怖いモノ」を目の当たりにしてしまった人達の、【善意に基づく自衛のための狂奔】ってのは、その前提、その題材がなんであっても、だいたい似たような振る舞いに収斂してくのだなあ、というのがこの2年半の大いなる感想だった。

2013-10-12 07:57:16
加藤AZUKI @azukiglg

怪談は伝統的な宗教・信仰、由来不確かな呪法、カルト・新興宗教の類から、アウトサイダー、外国由来の呪法、コミュニティの因習、方法論だけが踏襲されて由来と根拠が不確かな儀式の類がそのバックボーンとして語られる機会が凄く多いので、自然とそういう方面からの「恐怖心」を垣間見る機会も増える

2013-10-12 07:59:31
加藤AZUKI @azukiglg

この2年半の間に、地震、津波、経済的欠乏、人心不信、と色々、不和と不安と恐怖の苗床に翻弄される様を見る機会を得たけど、やはり最大は原発事故と放射能恐怖症の類で、「自己防衛・家族の防衛」と「自分の見つけた真実を守ろうとする」人々の振るまいの類こそが、最も「恐ろしいもの」だったような

2013-10-12 08:01:44
加藤AZUKI @azukiglg

結局のところ、「自分(や自分に近しいもの)を守るためなら、自分の意図通りにならないものは排除してよい。排除の論理が正義(自分にとって)であれば、手段は加減の必要がない」と、ほぼだいたいこの公式に沿った振る舞いが、そこかしこで見られた。

2013-10-12 08:02:44
加藤AZUKI @azukiglg

これは、「放射能恐怖症」に陥った側だけに顕著であったわけではなくて、それを諫める側にも割と顕著に見られたような気がする。最初は「良かれと思って」で、そのうちに「俺の話がわかんねえならもういいよ、勝手にしろよ」に変わる。代入値が違うだけの話で、方程式は同じだった、という感想。

2013-10-12 08:03:52
加藤AZUKI @azukiglg

で、その双方いずれもが、行動原理は「良かれと思って」であり、「良い」と判断する判断者である自分自身を最も賢明な者(或いは懸命だから赦される者)と位置づけていて、「良かれ」に従わない者を排除するときには、「自己責任=手に負えない」と言う。

2013-10-12 08:05:26
加藤AZUKI @azukiglg

自己責任という言葉もそういえば過剰なほどによく聞いた。あらゆるセクトから。まあ、誰か(子供とか)に保護責任を負う者の自覚する「自己責任」の類は、誰かに責任を求められないからなんだろうなあと思う反面、「弱者である自分を棚上げして誰かの責任を問う」も多く見られた。東電責めとか。

2013-10-12 08:06:47
加藤AZUKI @azukiglg

「自分の選んだ選択肢」について、自信があるときは「自己責任、自分に倣わなかった者は勝手に死ね」で、自分の選んだ選択肢に自信がないときは「責任者は出てこい、自分が不利益を負っても自分は悪くない。責任者が悪い」という感じだったと思う。

2013-10-12 08:08:12
加藤AZUKI @azukiglg

経済的に余裕がある、或いは「誰かの余裕を持続的/恒久的に補充し続けられる」人は、当初の主張を大きく変えてない。例えば、持続的に寄付(活動費)を集められる人、公的役職にあって身分保障がされてる人、元々貯えがある人はそう。選択肢と遂行力が大きいから意見を変える必要がない。

2013-10-12 08:09:47
加藤AZUKI @azukiglg

そういう人は失敗しても別の選択肢を選び直せるし、失敗をなかったことにして別の成功しやすい選択肢を選ぶこともできる。そこにゆとりがある。だから意見を変えない。

2013-10-12 08:10:23
加藤AZUKI @azukiglg

選択肢を選ぶ余裕は、究極的には経済力だった。社会的身分、権限、権威の類と経済力は不可分で、社会的身分、権限、権威がある人は既に経済力を持っていた。そういう人はオピニオンリーダーになりやすく、縋りたい人のシンボルにもなりやすかったのだなあ、と振り返る。

2013-10-12 08:11:44
加藤AZUKI @azukiglg

経済力のない弱者は、「良かれと思って」に縋り続けることができない。それに拘って最終的に大きな不利益を重ねる(人生の破綻)か、口を拭って黒歴史はなかったことにするか。或いは、「自分は弱者なので騙されていた」と、責任を負う者を他に用意して、自己の心理の防衛に努めるか。

2013-10-12 08:13:44
加藤AZUKI @azukiglg

生物としての人間に絶対正義があるとするなら、「死なないこと、生きること、殖えること」だと思うんだけど、「死なずに生命を存続させ、できれば良い条件で殖える」ことを叶えるためなら、他の全ての振る舞いは恐らく許容される。そこには「他者を押しのけて自分だけが助かる」も含まれる。

2013-10-12 08:15:32
加藤AZUKI @azukiglg

極論すれば「自分以外全員死んでも、自分だけ助かれば正義」だということになるわけなんだけど、自分単体では生殖ができないし、自分を生かすために自分一人しか存在しないのは非効率だから社会の維持と存続が必要になるし、それらを維持するのは正義だとなる。

2013-10-12 08:16:36
加藤AZUKI @azukiglg

存続する社会秩序という装置の中で自分が不正義、または自分が「除外される存在」になってしまうと、やはり「自分という個」は存続できなくなるから、こう言う。 「悪いのは自分じゃないんだ。自分も被害者だ。良かれと思ってそうしたんだ。弱い存在だから仕方ないんだ」

2013-10-12 08:17:48
加藤AZUKI @azukiglg

恐怖心は警戒心を励起するので、自己存続のためには適度に必要なんだろうと思う。過剰にソレを持つと、自己存続のための排除の理論を強めてしまう。秩序に参加する者全員が相互に互いを排除し合うという相剋は、結果的には「強い者(有利な者)だけが残る」になってしまう(´・ω・`)

2013-10-12 08:19:31
加藤AZUKI @azukiglg

といったわけで、「恐怖心を露わにしたときの行動」は、その人が取れる選択肢と遂行能力の限界を、割と如実に表すのだなあ、とか思った。経済的にすってんてんでも落ちついてられる人というのは、後がないからヤケになってるか、諦めてるか、自分の能力限界に気づいてないかのどれかだ(^^;)

2013-10-12 08:21:41