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【三国志】蜀漢における牙門将(牙門将軍)について

蜀漢の牙門将について考えたまとめ。 牙門将は若手指揮官の登竜門だったのではないかと思った。
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Jominian @Jominian

張嶷が馬忠の麾下で汶山の羌を討伐した時、張嶷は牙門将だった。馬忠は丞相参軍領益州治中従事。この時は他の将軍が同行したとは書かれてない。つまり、参軍の副として牙門将が配される場合があるということ。王平も、他の将軍ではなく、参軍馬謖の副だったということではないだろうか

2013-10-18 07:40:35
Jominian @Jominian

しかし、牙門将というのは、いずれかの将軍の下に置かれ、軍を構成する役職ではなく、独立して兵を率いる職だったのだろうか

2013-10-18 07:52:06
松浦 桀 @HAMLABI3594

@Jominian 張嶷伝「拜為牙門將屬馬忠北討汶山叛羌南平四郡蠻夷」馬忠伝「還督將軍張嶷等討汶山郡叛羌」から、張嶷の牙門将は将軍ではなく督将の意味なので、「牙門将○将軍」としていずれかの将軍の下に置かれていたはず。雑号将軍(武略とか武猛とか)もしくは偏将軍もしくは裨将軍。

2013-10-18 11:06:34
松浦 桀 @HAMLABI3594

三国志などでは軍隊は将軍ではない別の「役職名」で動かしていた。現場レベルで軍隊を動かす役職が「牙門」や「騎督」と呼ばれる司令官職(「督將」という)。たとえば総司令官である将軍(征東將軍や左將軍などの官職の高い将軍)が「督將」に指示することで実際の戦闘が行われた。

2013-10-18 11:52:18
Jominian @Jominian

@HAMLABI3594 「はず」と言うほど確かな解釈とは思えんが

2013-10-18 12:05:15
Jominian @Jominian

汶山の反乱鎮圧は、馬忠の立場もわからねーな。蜀における参軍に、軍隊を指揮する機能はなかったと思っているんだが、この時の参軍馬忠が、他に将軍位を持っていたように書かれてない。張嶷だけ指揮官としての機能を持ってたってのもなあ

2013-10-18 12:28:34
松浦 桀 @HAMLABI3594

@Jominian 魏では一次資料レベルで督將が將軍を兼ねる例が常態化しているから確実。蜀では資料レベルでみえないから「はず」としたけど、俺は確実だと思う。ただし前提条件として魏と呉蜀とでは制度が違うとするならば、書いてないから確実ではないとするのは妥当だろうとは思う。

2013-10-18 12:28:42
Jominian @Jominian

@HAMLABI3594 魏呉蜀で制度が同じと考えるのは、無理がある。何らかの方法で同じであると証明できない限りは、同じとして扱うべきではないだろう。

2013-10-18 12:54:56
松浦 桀 @HAMLABI3594

@Jominian A牙門將は將軍ではない B牙門將は督將である C牙門將は將軍を兼任することがある D牙門將は將軍の下に置かれる このうちのどれを不確かだと思うのかな?それとも上記以外?

2013-10-18 13:58:03
Jominian @Jominian

@HAMLABI3594 質問の意味と意図が分かりかねるな。何かしらの例や根拠がないと、どれに対してだって、分からない、としか言いようがない。そして俺は、それらを断定的に語れるほどの論拠を有していないから、分からない、としか言えない

2013-10-18 14:19:07
松浦 桀 @HAMLABI3594

@Jominian 「どの解釈が不適当と思うのか」という意味。

2013-10-18 14:21:41
Jominian @Jominian

@HAMLABI3594 ますます意図が分からない。俺はそのどの主張もしていないし、誰かのそうした主張を確認して反駁しているわけでもない。材料がない状態で、適当も不適当も判断はできない。

2013-10-18 15:57:53
松浦 桀 @HAMLABI3594

@Jominian 言葉が足りなかった。このツイートじゃなくて、もともとのツイートね。こっちのほう→張嶷の牙門将は将軍ではなく督将の意味なので、「牙門将○将軍」としていずれかの将軍の下に置かれていたはず。雑号将軍(武略とか武猛とか)もしくは偏将軍もしくは裨将軍。

2013-10-18 16:37:03
松浦 桀 @HAMLABI3594

@Jominian 馬忠伝「軍還督將軍張嶷等討汶山郡叛羌」と張嶷伝「拜為牙門將屬馬忠北討汶山叛羌南平四郡蠻夷」より、張嶷は同時期に「將軍」と「牙門將」2つの軍号がみえる。牙門將は將軍でないことを理由として、張嶷は牙門將で將軍号を兼有したとすることは不確かな解釈なのか、という疑問。

2013-10-18 16:57:34
松浦 桀 @HAMLABI3594

歴史書では将軍の配下である「督將」は、通常は省かれて出てこない。現代風に言うと、テレビでとある企業を特集した場合に登場するのは社長などであり、店で働いている従業員ではない。しかし、従業員が特別に目立ったことをした場合、登場することがある。三国志も同じ。

2013-10-18 17:32:49
松浦 桀 @HAMLABI3594

しかしよくみたら牙門将は結構頻繁に出てきてた。

2013-10-18 17:40:47
松浦 桀 @HAMLABI3594

王平伝「從曹公征漢中因降先主拜牙門將裨將軍」王平は牙門將裨將軍。劉備は王平を劉備直属軍の指揮官を意味する「牙門將」で王平の対内的権限を、「裨將軍」の将軍号で対外的な格付けを与えた。牙門將は組織内の実効職としては有効だが、対外的にはやはり將軍でなければという風潮があった。

2013-10-18 17:55:34
Jominian @Jominian

@HAMLABI3594 それだけが根拠だとしたら、確実とは言えないと思う。蜀における他の例、それを裏付ける何らかの論理的なバックボーンがないと、少なくとも俺は肯んじない。それに関する何らかの考察を蓄積してあるなら、それを披瀝してもらわないと、判断しがたい。

2013-10-18 18:52:44
Jominian @Jominian

@HAMLABI3594 ああ、ここで言ってるのは、牙門将と将軍の兼任の話ではなく、そこから発展させた督将がどうのという話ね

2013-10-18 18:57:27
Jominian @Jominian

牙門将は必ずしも将軍に属する何らかの役職ではない、というのは史書の記述からすると妥当なように思える。

2013-10-18 19:20:38
Jominian @Jominian

牙門将は、都督に統属する場合(王沖)、丞相参軍に属する場合(王平、張嶷)などがある。また、そうした記述のない牙門将もいる。句安など、独立して作戦を指揮する場合もあり、向寵など単独で軍営を指揮した場合もある。

2013-10-18 19:30:49
松浦 桀 @HAMLABI3594

@Jominian 牙門將・騎督が上位の將軍に統属するのは山口正晃『都特制の成立』http://t.co/I4yFb6G1rk 踏み込んだのなら森本淳『曹魏・西晋期における中級指揮官について』(『三国軍制と長沙呉簡』に収録)http://t.co/25SFsTA6Xs

2013-10-18 20:20:26
松浦 桀 @HAMLABI3594

@Jominian でも「督將」とは牙門將や騎督など(あとは水軍に関係するものもあるはず)を示す一般名詞だって書いてあるものが見つからないんだよね。森本淳は毌丘儉の石碑にみえる七牙門について言及している。これはばぐぐってみつけた http://t.co/MbhnoC3rkv

2013-10-18 20:24:39
松浦 桀 @HAMLABI3594

@Jominian 三国軍制~は電話して買えば送料込みで6000円弱で買える(はず)

2013-10-18 20:28:01
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コメント

サガ・アイファール @ifalru_saga 2013年10月19日
蜀の将兵たちは新しく任命された牙門将に将来の期待を寄せていたのですね。一方、魏や呉では「督將にすぎない牙門将がエリートコースとは、いかにも人材の少ない蜀らしい運用法だなw」とか笑っていたのでしょうかねぇ?
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Jominian @Jominian 2013年10月19日
とりあえずまとめを更新。
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