岸田秀botまとめ/なぜ日本は対米関係でふらふらするのか?/~自己欺瞞しているが故に服従の作法を取れない日本~

岸田秀著『日本がアメリカを赦す日』/第三章ストックホルム症候群/欺瞞の代償/75頁以降より抜粋引用
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岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

①アメリカとの関係でふらふらしているから、ああいう馬鹿げたことになるのです。 アメリカの子分でありながら子分でないかのごとく自己欺瞞しているからです。<『日本がアメリカを赦す日』

2013-10-24 06:37:55
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

②子分でないならお金なんか全然出す必要はありません。 何だ、俺に断りもなく戦争なんか始めやがって、俺には関係ない、お前ら勝手にやれと言っていればいいのです。 日本政府が堂々とそう言ったら、日本がアメリカの子分であることを否認している国民の一部は拍手喝采したでしょうがね。

2013-10-24 07:38:04
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

③しかしそこまで言う自信はない。 あとが怖い。 出せと言われると出さなければまずいなと思って出す。 まったく拙劣な行動をしたよね。

2013-10-24 08:38:00
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

④アメリカが親分であって、日本は子分だという関係を明確に自覚していれば、子分であるがゆえにせざるを得ないことという線がちゃんと見えるわけね。 また、子分だとしても、それ以上はすることないという線も見えるわけ。

2013-10-24 09:37:53
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑤それが現実を否認して、意識的には子分でないつもり、無意識的にはどこかで子分である事を知っているというどっちつかすの状態で…行動していると、子分だからやむを得ない、やらざるを得ないと理性的に納得できる必要な事でも、心のどこかから屈辱感が湧いてきて反発してやめてしまったりします。

2013-10-24 10:38:03
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑥また逆に、子分としても主張すべきことは主張すべきなのに何か怖くて主張しなかったり、がまんする必要のないところでがまんしたり、必要以上に卑屈になったりします。 何をどうやるべきかの判断に自信がもてず、どっちに転んでも、現実とずれつづけるのです。

2013-10-24 11:37:51
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑦好ましくない現実の一部を見ていないのだから、つまり現実の一部を視野から排除しているのだから、判断が現実とずれるのは当然です。 それでも何とかやっているつもりかもしれませんが、結局は、その場しのぎのごまかしにしかならないと思います。

2013-10-24 12:37:59
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑧卑屈さに関して言えば、個人でも国家でも、状況の如何によっては、卑屈にならざるを得ない場合もあると思います。 しかし、その場合には、卑屈さを卑屈さとして明確に認識した上で卑屈にふるまうべきです。

2013-10-24 13:37:54
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑨そこで自己欺瞞して、卑屈さを卑屈さと認めず、好意とか献身とか忠節とかの口実でごまかしたりすると、客観的に冷静に現実をつかめなくなり、現実の卑屈さに対するブレーキが利かなくなります。

2013-10-24 14:37:58
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑩例えば実際にはもう卑屈である必要はなく、自分一人でやっていけるようになっていても、親分に過剰に依存してしがみつくという事になったりします。

2013-10-24 15:37:53
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑪現実を認識していないから、いつ親分の機嫌を損ねるかわからず、心の奥で不安で、現実に不安を解消する道があっても気がつかず、ただただ不安から逃れようとして親分にしがみつく。

2013-10-24 16:38:10
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑫…卑屈さを卑屈さとして明確に認識し、卑屈さを必要とした現実の諸条件を認識していれば、現実にそれらの条件がなくなれば、ただちに卑屈さを撤回できます。 しかし、その認識が欠けていれば、もう現実に卑屈である必要がなくなっても、いつまでもだらだらと卑屈であり続ける事になります。

2013-10-24 17:37:55
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑬そして、そういう状態では何となくの屈辱感はいつも底流していて、ときにそれが爆発し過激な反抗に走ったりしますが、そのような反抗は、単なる鬱憤晴らし、ガス抜き、気休めでしかなく、現実の卑屈な依存を解決するためには何の役にも立ちません。

2013-10-24 18:37:58
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑭いや、現実に無効どころか、場合によっては却って事態を悪くするだけです。 アメリカに対して日本はその様な無意味な反抗、反発を時々やりますねえ。 安保騒動なんかがそうでしたね。あの騒ぎは僕に言わせれば全く無意味でしたよ。あれはアメリカから見れば反米暴動に他ならなかったでしょう。

2013-10-24 19:37:58
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑮やってる日本人も、動機は明らかに反米でした。 しかし、反米という意識がありましたかねえ。 平和のためとか民主主義のためとかのスローガンを掲げていましたから。 騒動が終わってみると、津波が引いたように、あとに何も残りませんでした。

2013-10-24 20:38:00
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑯屈辱的状態にあるのを認識するのは苦痛だ、というのはわかりますがねえ。 しかし、現実というのは、苦痛なことがいっぱいあるわけですよ、 個人の場合だって、屈辱的なことをいっぱい経験するじやないですか。

2013-10-24 21:37:51
岸田秀bot(政治・歴史編) @kishidasyu_bot

⑰それに耐えて、現実を見失わず、屈辱的状態を解決する現実的で有効な道を進んでいくか、あるいは、現実を見ずに苦痛から逃げて、気分的なごまかしと偽りのブライドと表面的な安心感に縋って、非現実的で愚かな道を進むか。 個人でも国でも、どっちかしかないのではないでしょうか。

2013-10-24 22:38:04