- super_haka
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まだお腹の調子が悪いのだが、今日はインタビュー取材で、明日・明後日はイベント。その合間にラフや編集仕事もあるので、頑張らねば。
2013-11-02 03:35:50余談ですが漫画をコミックコードではなく書籍コードで流通させた嚆矢は、80年代前半にはじまったコミックのアンソロ本で、編集者時代の大塚英志氏の発案だとご本人から聞いた事があります。
2013-11-02 00:54:57あ! 今気がつきましたが漫画単行本をコミックコードではなく書籍コードで出したのは大塚英志氏の『プチアップルパイ』(徳間書店)よりふゅーじょんぷろだくとの同人誌アンソロ本が先ではなかったかな? それに大塚氏は「漫画雑誌を書籍コードで出したのは自分の発案」だと言ってました、確か。
2013-11-02 03:38:55@kentaro666 プチアップルパイが1983年3月ですが、その前に1982年11月に前身が出てましたね。「ぱふ」の分裂は1982年で、ふゅーじょんは1982年7月創刊かな。アンソロはもう少し後のはずです。
2013-11-02 03:43:09高校卒業の年に「ぱふ」に行って、お手伝いをしてた。それが1981の年末。手伝っていたベストテンの集計は「ぱふ」の分裂で出なくなって「ふゅーじょんぷろだくと」の創刊号になった。創刊から2,3号は「ぱふ」時代の企画の流れをやっていた。
2013-11-02 03:47:25ちなみに「ふゅーじょんぶろだくと」っていうのは「核分裂生成物」。「ぱふ」の騒ぎもあったけど、当時は本誌に反原発の記事とか結構載ってたりした。
2013-11-02 03:52:10私はたまたま三原順先生の「5.2☆11.8」で、原発とか廃棄物とか汚染とか、調べる機会があったので、普通にながめられてたけど、当時の「FP」の誌面はびっくりしたひとも多かっただろうなぁ。
2013-11-02 03:54:03.@sarnin ぱふ分裂時、私は専門学校生で、時々編集部に遊びに行っては嬉々として使いっ走りをやらされてました。なのでリアルにその辺りの事情を聞いてます。当事者から。当時、編集部にはまついなつきさんや現コミティア代表の中村さんが居ました。
2013-11-02 03:55:18@sarnin あわわ、山川さんいらしたのですか。気が付きませんで失礼しました。まついなつきさん、分裂時は出入りされてましたっけ? ……本人に聞けばいいか。
2013-11-02 03:56:58@kentaro666 私はちょうど高校生で、分裂直前の年末に泊まり込みでベストテンの集計をしていました。階下での経営の生々しい話が聴こえてきて、困ったことがあります。あ、私は「ぱふ」にスタッフに入ったのはもう少し後ですが、分裂当時ちょうど出入りしていたので。。
2013-11-02 03:58:03@kentaro666 分裂・復刊後に中村さんに誘われて、正式にスタッフになりました。A5から判型が変わるころですね。大塚さんの件は「ぱふ」のあと徳間に入ったので、そこそこ流れをみていた感じです。同じような企画でコミックスも出しましたし。
2013-11-02 04:00:57@sarnin @kentaro666 僕がぱふ編集部併設同人書店に通ってたのが1984年位からなのですが、「ほんとに消火器持って殴りこんできたりしたんですか?」「ほんとですよー」などという会話を編集さんとw
2013-11-02 04:01:22@juangotoh @kentaro666 そのころにお会いしているので、私も記憶があるんですよね。寿庵先生のことは。 殴り込みの件は入ったとき、まだ消火器の粉のしみが残ってました。
2013-11-02 04:03:33@juangotoh @sarnin 編集部に鍵が掛かって入れなかったので窓の隙間から消火器のノズル差し込んで中身全部ぶちまけたというw
2013-11-02 04:05:17@kikimikikiki おんなじ感じですよー。私は中学生の時に全国流通になった「ぱふ」を偶然買って、「あ、まんがは描けなくても、こういうまんがへの関わり方があるんだ」と。それから自分の目標が、情報誌に変わりました。
2013-11-02 04:05:28@kentaro666 @juangotoh 窓じゃないですよー。郵便受けの隙間かな。そのせいで郵便受けのバネがゆるゆるになったんです。
2013-11-02 04:06:28ぱふ騒動の話は、当時の本誌にそこそこ書いてあるはず。「噂の真相」にも載って、それに対して持田さんが文を書いていたのを覚えてる。
2013-11-02 04:09:13