- yoshiaki_nt
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話によると茶屋の主人は桓武平家の末裔の方で、色々な変遷があって今この地に住んでいるとのこと。私はこっそりと南北朝時代の話が飛び出すのを期待していたのが、さすがにそれはなかったなw
2013-10-25 22:17:35茶屋番のお宅は、昔ながらの家に暮らしていてかなり年季が入った煤の囲炉裏に火が入り、おはぎとお茶で暫く話を聞いた。表にも書いてあるが、桓武平氏の流れで、秀吉公に見出され武家に戻れと言われるも断り、その際に賜った諸々の茶器や書があると。 http://t.co/lbVGuuFDbD
2013-10-25 22:21:49あと二百年戻ってもらえばなw 平安末期の話から戦国まで飛んだ……RT @yoshiaki_nt 話によると茶屋の主人は桓武平家の末裔の方で、色々な変遷があって今この地に住んでいるとのこと。私はこっそりと南北朝時代の話が飛び出すのを期待していたのが、さすがにそれはなかったなw
2013-10-25 22:23:58南北朝時代は安定のスルーw RT @Shigetada_bot あと二百年戻ってもらえばなw 平安末期の話から戦国まで飛んだ……RT @義顕 話によると茶屋の主人は桓武平家の末裔の方で、色々な変遷があって今この地に住んでいるとのこと。私はこっそりと南北朝時代の話が飛び出すのを期待
2013-10-25 22:26:01ちなみによく吠えた犬も、主人が来るとちゃんと大人しくなり、あとは人懐こいほどであった。真っ白の親子がいて、名は雪ちゃんとのこと。この他にもブチの犬とトラ猫がおったな。 http://t.co/mtHC1nK0up
2013-10-25 22:26:26茶屋の主人に許可を得て、峠とその上の城址へ登ることにした。我ら一行を気に入ってくれたのか、山で採れたという梨の実をくれたな。酒に漬けておくと喉風邪などにも良く効く美味い梨酒になると。ありがたく山盛りいただいた。 http://t.co/LUTfIre8F5
2013-10-25 22:35:38ちゃんと浸かるまで食うなよw これそのまま食べてもそんなに旨くないからな。RT @yoshiaki_nt 食べ物ー!!。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。 RT
2013-10-25 22:38:40食べてみましたが、すっぱかったです(´・ω・`*) RT @Shigetada_bot ちゃんと浸かるまで食うなよw これそのまま食べてもそんなに旨くないからな。RT @義顕 食べ物ー!!。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。 RT
2013-10-25 22:40:29木ノ芽峠には、峠道を挟んで木ノ芽峠城塞群と呼ばれる城跡が存在する。朝倉義景によって築かれたというのだが、元をたどれば南北朝の頃まではさかのぼれるのではないかなぁ…?
2013-10-25 22:41:08ちなみにこちらが木ノ芽峠城塞群図ですな。
―というわけで、鉢伏城という城を目指して山を登ることにした。茶屋の主人が手入れをしてくれているらしく、道は比較的歩きやすい。 http://t.co/9uHjSxrLco
2013-10-25 22:43:50その後、スキー場の上級者向けと思われるコースと合流し、急な坂道を延々と登っていく。リフトの終着点からなおも上を目指し、再び山道へ…。 http://t.co/nfEX80grMl
2013-10-25 22:46:48そうしてたどり着いた本丸跡からの眺めが素晴らしい!! 敦賀湾と敦賀半島の向こうに若狭湾まで望むことができる!! http://t.co/zN5qdWuK6I
2013-10-25 22:49:18木の芽峠を越えて鉢伏城址から敦賀湾、若狭湾を一望す! しかし義助殿は雪の行軍を思い出し涙ながら、義顕殿は山道の栗や柿を食糧食糧と拾い集め……金ケ崎籠城戦の後遺症で……うむ。景色は美しかったぞ! http://t.co/pwgsPolF38
2013-10-19 13:40:49当日もアップした、iPhoneで初トライしてみたパノラマ写真だが、鉢伏山も天辺の見晴らしは素晴らしかったなあ。 http://t.co/pwgsPolF38
2013-10-25 22:53:44本丸跡には土塁も残っていて、もっと奥に行けば出城跡もあるらしいのだが、先の行程もあるので引き返すことに。茶屋の主人にあいさつをして峠を後にした。
2013-10-25 22:55:54さて木ノ芽峠を後にしたお三方は、今庄方面に向かったようです。
国道に戻ってしばらく北上すると、今庄にたどり着く。木ノ芽峠を越える北陸道と栃ノ木峠を越える北国街道がここに集まるため宿場町として大いに発展し、今でも古い街並みを残している。 http://t.co/i3zq0qW0Bv
2013-10-25 23:01:21そういえば木の芽峠に至るために一旦、北陸道の木の芽トンネルを潜って行きましてな(手前から登る事も徒歩なら可能)、その時に新田家の二人が、このトンネルの上で命を落とした多くの兵たちが……などと大変悲しんでおったのが印象的でしたな。お二人は当時、何度もこの峠を越えたそうだ。
2013-10-25 23:02:08味方を吹雪で失ったこともあれば、見限られて逃げられたこともあったなぁ…。3500いた兵が最後は16騎になったのも今ではいい思い出ですよ…ふふ…(遠い目) RT
2013-10-25 23:07:00金ヶ崎城に踏み込む際には十六騎で足利を蹴散らしたのですよなw #太平記的に RT @yoshiaki_nt 味方を吹雪で失ったこともあれば、見限られて逃げられたこともあったなぁ…。3500いた兵が最後は16騎になったのも今ではいい思い出ですよ…ふふ…(遠い目) RT
2013-10-25 23:09:13いいシーンであると同時にツッコミどころも満載な名シーンですw RT @Shigetada_bot 金ヶ崎城に踏み込む際には十六騎で足利を蹴散らしたのですよなw #太平記的に RT @義顕 味方を吹雪で失ったこともあれば、見限られて逃げられたこともあったなぁ…。
2013-10-25 23:11:39義顕「このあたりのエピソードは太平記巻第17に描かれているぞ。鉢巻や上帯を旗に見せかけて敵を蹴散らすとか、やる方も無茶だけど引っかかる方も間抜けすぎだろww」
春宮「それに怒った将軍家が大軍を派遣してきて、最後は落城させられちゃうんだよね」
義顕「ぐぬぬ・・・」
今庄には、多分うちとは関係ないかとは思うが畠山酒造という酒蔵があってな。記録としては江戸の頃から酒を造っていたようだ。隣の旅籠の客に濁り酒を出していたのが始まりだとか。 http://t.co/iQibWKhrrN
2013-10-25 23:04:38