阿部謹也、「世間への旅」からの読書メモ断片

主に、あとでエントリするかも、な自分用メモ、だけど「何なら見ますか?」くらいで公開しとこ
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東郷正永 @TOGO_Masanaga

開沼さんの「漂白される社会」は、ホームレスギャル、シェアハウス、極左極右など、「周縁的な存在」の人たちにインタビューしたルポルタージュです。一般的にはたぶん、日本の社会そのものの歪みの現れとか、しわよせとか、そういう風に捉えられるのでしょうが、僕はそうは読まなかった。

2013-11-09 11:09:54
東郷正永 @TOGO_Masanaga

開沼さん「漂白される社会」には、まず網野善彦の「無縁」の概念が示される。網野は「無縁」、つまり漂流者やカブキモノなどをむしろ積極的に評価し、その自由さを記述した。そこから分かることは、開沼さんのいう「周縁」もまた、ただ単に社会の歪みとかしわよせとかだけな存在ではないこと。

2013-11-09 11:15:23
東郷正永 @TOGO_Masanaga

開沼さん「漂白される社会」では最後に、「社会への信頼感の減少」にふれるが、僕はこれを「近代社会」と読みかえたい。ベックのリスク概念などから近代的な「自由と平和」への信頼が落ちてる、ということ。代わりに前近代的な(阿部謹也的)「世間」が幅をきかせている。日本は近代にはなれなかった。

2013-11-09 11:22:46
東郷正永 @TOGO_Masanaga

開沼さん「漂白される社会」で描かれる「周縁的な存在」は、だからこそ中世における網野「無縁」と比較される。社会の歪みやしわよせではなく、むしろ「周縁」こそきわめて日本的な「自由さ」の体現なのだろうと。もっと踏み込めば、ホームレスギャルは「世間」に左右される僕らの希望なのではないか。

2013-11-09 11:25:51
m_um_u @m_um_u

該当図書読んでないのでアレだけどちょっとピクッとなったのでメモっとこう http://t.co/FoR6RUJqEY http://t.co/FcxYlGcf3t http://t.co/jj87jjhqLW http://t.co/Viy3VH2vOl

2013-11-09 11:56:43
m_um_u @m_um_u

阿部×網野な話は当人同士の対談と「網野善彦をおもう」(「「世間」への旅」所収)って追悼文みたいなの読むと硬い言葉以外のところがざっくりわかりやすかったりする

2013-11-09 11:58:52
m_um_u @m_um_u

ベックのこれって原発うんたらのときも見たけど自分的には読んでなかったので印象に残らなかったのかのぅ。。|ウルリッヒ・ベック『世界リスク社会論』 - リスタート http://t.co/TunxjZlqgo

2013-11-09 12:07:10
m_um_u @m_um_u

要約すればシステムが制御を超えて成長やら変化するようになって「想定内」から「想定外」になることが多くなってきたね、ってときのリスク管理の話だよねえ

2013-11-09 12:07:15
m_um_u @m_um_u

阿部と網野は似た領域を対象にしてても問題意識が最初から違った、とかなんとか。「ぼくは『世間』の違和感から日本と西欧の違いを問題にしてたけど、網野さんは両者の共通性に関心があったようで、なので対談でも終始ポイントが違って食い違っていた」とか

2013-11-09 12:12:04
m_um_u @m_um_u

んでも普段から仲の良い家族ぐるみな付き合いだったみたいで公式の対談みたいなところ以外でも酒とかでも交流があったみたい。

2013-11-09 12:13:38
m_um_u @m_um_u

そんで阿部さんの「世間」の概念が発表された当時は(阿部曰く)西欧移入の学術語とその関心領域にそぐわなかったため学術系からはガン無視されてたとか。「日本の知識人は無意識に欧米の文化圏に属していると思い込んでいるのである。だから『世間』を指摘すると無視する。網野さんも例外ではない」

2013-11-09 12:15:32
m_um_u @m_um_u

「彼は酔うと『ムシデン、ムシデン、ツームシュテッテレナウスー』と唄い、英語よりもドイツ語のほうが得意なマルクス主義者であった。彼の理論の根底にはマルクスがいた。彼の『無縁・公界・楽』が平和とか自由といった西欧の概念で説明されるのも西欧文化を背景として生まれたものだから」

2013-11-09 12:17:27
m_um_u @m_um_u

まあ<わたしの『世間』論が認められなかったのは学界が無意識に西欧的なロゴスな部分をテンプレだけ着ていてその実あいつら世間なやつらだったからだ( `д´) ケッ!>つのは阿部さんの狷介(自認)な性格もあったので置いとくとして、

2013-11-09 12:20:36
m_um_u @m_um_u

たしかに網野さんの評価とか対談の印象とかからもアジールとかをめぐる幻想が与件としてあったのでは?ってのはあるからねえ。。(なので網野本読むときはその辺を気にして読むのだよねえ

2013-11-09 12:21:31
m_um_u @m_um_u

あと、そういうのを表す?エピソードとして天皇をめぐったものもおもろかった。阿部さんが文部省仲介で天皇のとこにお話をしにいった話。

2013-11-09 12:24:01
m_um_u @m_um_u

阿部さんは「天皇は差別問題に深い関心があるようで質問もなかなかのものだった」と評価してたんだけど網野さんは「なんであんなところ行ったの」「私だったら絶対に行かないな」とか。

2013-11-09 12:24:37
m_um_u @m_um_u

当時の皇太子が「なぜ日本の天皇制は長く続いたのですか?」との質問に「わかりません」と答えたことを網野さんは「天皇家の一員がわかりませんではすみませんよ」ていうんだけど、阿部さんは「皇太子は大学二年生なのですから網野さんが教えてあげなくてはわからないでしょう」といったり

2013-11-09 12:26:10
m_um_u @m_um_u

そういうすれちがいはあったけどお二人は仲良しさんだった、とのこと

2013-11-09 12:26:31
m_um_u @m_um_u

ハーバマスの方法というか歴史からの語りは市民革命のちょっと前ぐらいのカフェの公共圏での自由な語らいの奇跡的な瞬間を切り取りそれを理想としたものだったのだろうけど、初期映画との関係を日本にも転用して考えればそれはロックとかサブカルの話とかがわかりやすくなるかなあ。オタクでもいいけど

2013-11-09 14:46:41
m_um_u @m_um_u

サブカル、ヲタ、あるいはLGBTがどうとかな空間でもいいけど、ああいうところで「自由」を叫びなんらかのプロテストを表明すると「あなたがたが求めるものはなんなんですか?」ってなりそのためのリストを提示すると却ってそれが規範となって硬直化し新規参入者を阻害して行ったり

2013-11-09 14:47:57
m_um_u @m_um_u

なので、ああいう領域での公共性というか、空間における規範と自由のバランスを保つためには、求めるものを規範-制度として固めることが大事、なのではなく、なんとなくの漠然とした自由な感覚を覚えておくことなのだよね。各人が

2013-11-09 14:49:32
m_um_u @m_um_u

そうしないとエスタブリッシュへのカウンターカルチャーとして立ち上げたものがいつの間にかエスタブリッシュとして壁になって立ちはだかることになる。初期映画におけるモンタージュの手法というのはその辺に対する問題意識を喚び起こすために「規範-物語を自由に編成すること」への訓練かと思うけど

2013-11-09 14:52:13
m_um_u @m_um_u

「会社や仕事、あるいは学問-お勉強といったところでの表コードに対して、生活の中での付き合い的なものが実際に人生を送る上でのコードとなっている。」

2013-11-10 09:16:57
m_um_u @m_um_u

「『理性的近代人』を自認する人たちはその部分を『前近代』『不合理』として否定し嫌悪を示し近代化を妨げるものと位置づけてきたが実はそういった伝統的システムは近代化を助ける役割を果たしてきた」

2013-11-10 09:17:30
m_um_u @m_um_u

阿部さん的にはそういった「人生を渡るためのコード」を「教養」と定義してる。プラトンの「国家」の話を引き合いに出して「死んだときに持っていけるものはなに?」「そのひとの生きられた経験(生活のモデル)-思い出」→「プラトン的には教養とは生き方」

2013-11-10 09:20:23