@shinpei23さんが構成に関わった山下京子さんの『彩花へ 「生きる力」をありがとう』、『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』(河出文庫)を再読。事件から10年以上経過したものの、「生命」の問題に深い洞察が加えられていない現実と、何も反省しないメディアの事件報道に驚愕。
2010-10-13 15:01:10後者(メディアの問題)はひとまず起きますので、前者(生命の問題)に関して少しだけ。たいていの世界宗教というものは、人間の罪責性(獣のような命)を指摘するだけでなく、同時に人間の神々しさの指摘しております。それが生きている人間のトータリティーということでしょう。
2010-10-13 15:03:41自分自身を振り返ってみてもよく分かります。悪いこともすれば良いこともする。悪の純度が百%のみの人間も存在しなければ、善の純度が百%の人間も存在しないのでしょう。どちらかといえば、自分自身のなかで二つの傾向性が闘っている……それが実情ではないでしょうか。
2010-10-13 15:05:02しかし生活の中でその原初の事実を失念してしまい、自分の外の問題として「悪」を措定し、「悪人」を「発見」してしまうのでしょう。そしてそれが、連日の事件報道や目の前の惨事の映像を「観察する」なかで加速されてしまう、というのがわかりやすいストーリーではないでしょうか。
2010-10-13 15:10:17「あれが、悪人」だという言説には、自らの生命に救う「悪」の問題を見出す視座はもはやない。そして「悪」の喪失は、自分は「無辜の市民」という構造を必然的に招来してしまう。だから、報道に一喜一憂してしまうのでしょう。
2010-10-13 15:11:42しかし、それと同じような悪も自分自身に内在している(そして同じように善も)。それが高等宗教の指摘だったはず。人間観をどこにおくのか、キリスト教はキリスト教の言説で、仏教は仏教の言説で、均しく説いている。しかし、現世内在論の均一空間は、悪の問題をどこかに措定してしまう。
2010-10-13 15:12:55ここに何か怖ろしい落とし穴があるような気がするんです。よく若い学生さんと話をしていても、「自分の中にも悪があるんですかっー」「つらいです」って言われてorzとなることがあります。しかし、考えても見てください。程度の差はあるかと思いますが、存在する事実は否定できない。
2010-10-13 15:14:01だからこそ、そうした生命を直視し、獣のような命をコントロールして、その対極にある生命を伸張させていく勇気ある挑戦が必要なんだろうと思う。凹む必要はないんです。そしてその勇気ある挑戦に愛だとか慈悲は脈打っていくはず。その意味で「人間とは何か」その原初の立ち位置を確認することは必要。
2010-10-13 15:15:43その意味で右の二冊は好著だと思う。 RT @ujikenorio: @shinpei23さんが構成に関わった山下京子さんの『彩花へ 「生きる力」をありがとう』、『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』(河出文庫)を再読。
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