- HayakawaYukio
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「進行する原子力災害下にあるこの日本で我々にできることは、歴史から学び、現在もどこかに潜んでいるであろう“予想外”や“過小評価”に対し、先回りして考え、対処することであろうと思われる。」http://t.co/o4Ljn79dSb の結びより。
2013-11-26 07:09:21私はそう思いません。私たちがいまなすべきことは、もっとも確からしい未来を予測してそれを共有することです。過小評価を避けるために過大評価することは許されません。
2013-11-26 07:10:15科学によるリスク評価は価値中立になされなければならない。そのリスク評価を受けて、政治が(つまりはリスクにさらされた市民自身が)リスク管理をする。そのとき、過小評価を避けるためにどれだけの資金と人材をそこに投入しようが、それは自由だ。
2013-11-26 07:12:41予想外を認めて、それにあらかじめ対処することを求めるのは科学者が取るべき態度でない。それは科学の敗北宣言である。科学者は、しらみつぶしの予想をして予想外を払拭するために不断の努力を傾けなければならない。
2013-11-26 07:23:01それでも、自然の営みは人智を超える。滅ぼされるべきときにはやすやすと滅ぼされる。そう覚悟を決めて、私たちは最大限の努力をしつつ生きていくしかない。
2013-11-26 07:25:17「過少評価を避けるために過大評価をする」ことと「過大評価を避けるために過少評価をする」ことは、科学としては同じ程度に間違っていると思われる。いずれかを是とするなら、それは科学ではない。納得。
2013-11-26 16:09:39「どこかに潜んでいるであろう“予想外”や“過小評価”に対し、先回りして考え、対処する」 ← 耳にスッと入るこの言葉にベーシックな科学論から異を唱えられる人はなかなかいない。
2013-11-26 16:25:58津田氏のような「先回り」の弊害を知ったから凡人の私も頷ける。過去の公害問題が科学者による過少評価だったとすれば、過大評価はその反動だ。科学において過大が過少に勝るなんてことは無い。
2013-11-26 16:26:22「大物に懐疑論をぶつけられたからといって、あきらめてはいけない。」あきらめずにそこに固執する動機はいったいなんなのだろうか。放射線被ばく被害が生じるのを望んでいるとしか思えない。火山学者が(内心では)大きな噴火を待ち望むのと同じなのだろうか。
2013-11-26 16:58:2311月27日
専門家や学者で一巡目の結果が事故による増加を示していると主張している人はほとんどいないと思う。ただ、可能性をほのめかしたり、警告する人がいるだけ。そのほのめかしを真に受けて、確信してしまっている記者やブロガーは多数。
2013-11-27 04:18:48↑ 私が知る限り、それは岡山の津田さんひとり。「可能性をほのめかしたり、警告する人」は複数いるが、それは科学による発言ではなく人道的見地からの発言だと解する。例:島薗さん、井田さん、牧野さん。
2013-11-27 07:54:29↓ 島薗さんは宗教学者だから、彼の発言が科学に立脚するものだとかならずしも受け取られるとは限らないが、科学者がなす人道発言は、しばしば科学に立脚すると受け取られて社会に弊害を引き起こす。
2013-11-27 07:56:19いや、科学にも人道は必要だが、薄っぺらい同情や配慮を入れてはならないということじゃないだろうか。RT @HayakawaYukio: 科学者は人道に堕してはならない。あくまでも冷徹でなければならない。
2013-11-27 08:58:12@usa_hakase マンハッタン計画のような科学の行為が人道にもとるときは、科学者の前に人間であるべきです。しかしいま話題にしているのは、対象を科学するときに人道を優先させることの是非です。人道を優先させた時点で科学であることを二の次にしてる。職業科学者はそうすべきでない。
2013-11-27 09:03:26人道の例:放射線被ばくは健康に害であることがわかっているので、いくら低線量でも健康に害が出ているかもしれない。倫理の例:まだ症状が出ていない甲状腺がんを超音波スクリーニングでわざわざみつける。
2013-11-27 09:20:2012月1日
某ことば遊びマトメは、作成から5日で 7 fav。そんなマトメは最早、ほとんど誰からも必要とされていないということ。
2013-12-01 06:44:02