- freaky1201
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制度宗教と宗教心(性)の問題は実に難しいというか自分も悩んでおります。前者が制度としての漆喰へ陥るとすれば、後者は恣意的に流れるきらいが否定できません。この相剋はアメリカのユニテリアン的超脱主義者の事例を見るとよくわかる。
2010-10-15 01:19:10たしかに、枠組みを重んじようとする守勢の危惧も、そして、そうした枠組みを超脱しようとする自由への衝動もわからなくもありません。そして基本的に、宗教性が宗教の専有物でないことも理解できるんです。だからプラグマティストのジョン・デューイは「誰でもの信仰」でそれを擁護しました、
2010-10-15 01:20:39宗教性は万人にあるけれども、それは制度宗教の専有物ではない。たしかにそうなのよねん。ただしかし、この言説はある程度、制度宗教が救済機関として成立している土壌でなければ成立不可能なのではないか。そんな気がします。
2010-10-15 01:41:48だから超脱しようとする方向性としての宗教性の伸長への躍動は、欧米においては成立可能なのです。ある程度、組織宗教が機能しているから、だから枠組みから抜け出しての探求という筋道がつく。
2010-10-15 01:42:00しかし、本朝は、ざっくりですけれども、基本的に江戸期以降の寺請制度によって、「地上のもの」を相対化させてしまう宗教の持つ強靱な力が骨抜きにされております。だから、宗教性が伸長しようとする部分が安易な方向性に流れてしまう傾向が顕著。
2010-10-15 01:42:12本朝の一番の問題は、救済機関として制度宗教が機能不全に陥っていることだろうと思います。各論で様々なアプローチはあるけどね、総論としてはその事実は否定できません。だから「すぴりちゅある」=結局は連邦準備制度理事会ばりの政戦しかできないのやけれども。
2010-10-15 01:48:45そんで、メディアがオモしろ可笑しくとりあげるでしょう。まさにショービジネスに、ソクラテスのいう「もっとも大切にしなければならない事柄(=魂の配慮)」がすべて金銭換算にレートされるのに、ゴルァァァァァ。
2010-10-15 01:50:15……というころで墜ちます。組織保守論の活動家の走狗もさけつつ、ちゃらんぽらんな「我が道」というのもさけつつの、第三の選択肢はあるはずだ。……つうことで、もういっぺえ+αして寝ます。さーせん。議論が途中で。
2010-10-15 01:55:09