センター試験「国語」について

大学入試センター試験の「国語」が孕む問題について。高校までの「国語教育」と、大学以降の「文学研究」との違いに触れながら考える。センター試験は〈テクスト〉たり得るのか。〈文学研究〉に一歩を踏み入れた若輩者が考えてみる。
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@skt_38saya

@mtyhn500 すごく納得! なんか作者が入試問題を解いて 間違いだらけだったって話も きいたことあるよ ほんとに何を学ばせたいんだろうね

2013-11-26 22:37:25
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

.@mtyhn500 2005年のセ試古文で某K塾が選択肢を絞りきれないとして公開質問状を送ったことは記憶に新しいが、教科の性質上、選択式問題はどうしても無理が生じてしまうようにも思える。 揚げ足取りのような問題も多いが、大体は「解ける」問題であるー、というのがセンターの実情かな

2013-11-26 23:19:15
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

テクストから〈作者の意図〉を探る、という姿勢はもはや廃れているから、作者が問題に対して文句をつける筋合いもないのだが、いったいどれだけの蓋然性を持って〈読み取れる〉といえるかという課題は、そのまま文学研究にも通じるようにも思われる @mtyhn500

2013-11-26 23:29:12
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

国語のセンター試験の解説を作ってみても、特に小説は難しいなと感じる。個人的にセンターの小説問題は嫌いなので現役時代は時間をかけずに(かけても無駄なので)解く方針を取っていたが、やっぱりカギは選択肢吟味になるのかなと。「これしか正解になりえない」という選び方。 @mtyhn500

2013-11-26 23:34:34
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

そこで選択肢を絞りきれない、という問題が発生してくるわけだが、よくセ試の解説で見かけるのは「言い過ぎ」という言葉。要するに本文の当該部分のレヴェルを超えた(と判断される)選択肢は誤答になるという論理だが、果たして「等価な言い換え」が存在するのかという疑念も。 @mtyhn500

2013-11-26 23:39:13
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

とはいいながらも、〈文学研究〉の成果を入試問題に反映するのは非常に難しいことでもある。小中高の流れのなかにある「国語」の範囲内では、あれが限界であるのも悲しい現実であって、またそれで良いのかもしれない、とも思わせる @mtyhn500

2013-11-26 23:49:41
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

つまるところセンター試験の「国語」とは〈言い換え〉の整合性を問うものであるといえよう。それが選択式問題になるから、唯一の〈言い換え〉が「正答」として認知される、一対一対応の〈物語〉になるのである。その〈物語〉から漏れ出す別の可能性を遮断するのがセ試の実態 @mtyhn500

2013-11-26 23:45:38
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

センター試験に疑念を抱いている高校生には、将来是非とも人文学系の論理というものを知ってほしいし(そのなかに文学研究の方法論がある)、そのためにはセンター試験を突破する必要がある。そんな不合理さを噛み締めながらセ試の〈正答〉を見つけ出してほしいと思っています。 @mtyhn500

2013-11-26 23:54:13
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

@mtyhn500 研究において大事なのは反証可能性、応答の可能性であるとも言われる。テクストは読者が「読む」創造行為によって成立し、その「読み」に対して様々な応答がなされるーというのがテクスト論の根本にあるが、〈試験〉においては「出題者」という新たな「読者」が設定されている

2013-11-27 00:07:49
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

文学研究と違うのは、同じ「読者」(であるはずの)出題者と回答者の間に力関係が生じてること。これが高校までの「国語」(センター試験に限らず)が抱える悩みであろう、と考えています。結局は高校生(ごとき)が出題者(様)に抗うわけにはいかない、ということになるのだが @mtyhn500

2013-11-27 00:12:48
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

@mtyhn500 つまりは、センター試験はひとつの〈テクスト〉である、と考えるのが最適なのだ、というのが個人的な見解です。

2013-11-27 00:15:05
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

@mtyhn500 テクストに自律性はないはずで、試験問題は解答されるべき存在としての「テクスト」(自由な読みは許されないという意味で括弧付)なのである、と。元の作品を出題者が「読み」、問題にすることによって一つの〈作品〉が生まれ、受験者が解くことによって〈テクスト〉となる

2013-11-27 00:28:44
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

@mtyhn500 そう考えれば、力関係の問題は「解消」されるようにも思えるのだが、読者の創造行為が許されない点で正真正銘のテクストとはなりえない。それは高校までの指導要領の壁によるものであって、試験問題は常に括弧付の〈テクスト〉としてしか存在し得ない、脆い存在なのかもしれない

2013-11-27 00:31:11
KendaiGiants@KAISEI @giants_kendai72

@mtyhn500 確かに、出題者の「読み」に「作者の意図」の概念が内包されている時点で、入試問題という〈テクスト〉が「作者の意図」の影響を受けてしまうという矛盾を孕むのだが、それこそが試験の限界なのかもしれない。ラディカルなテクスト論も衰退した今、この問題は更に難を極めている。

2013-11-27 00:57:49