チェルフィッチュ「現在地」。3.11当時の岡田氏自身の心境が舞台化されたという感じ。今までのチェルフィッチュとは違い、身体的動きがなくなり、静かな舞台に。3.11以降の村の廃墟化。異なる意見に対する不寛容さ。「三人姉妹」的な場面もあったが、全体として単調だったかも…
2013-11-30 17:49:50今日のお芝居(チェルフィッチュ「現在地」)は抽象でありながらかなりリアルな話だった。奇しくも311のその日、その場所(芸劇B1)で、運休になった東上線に困り果てくたびれ果てビクビクしながら長蛇のトイレ行列に並んだんだ、って帰りに思い出した。
2013-11-30 17:21:33チェルフィッチュ続き。岡田さんがトークで言っていた「この作品を東京で観てもらうことは観客を試すようなことだが、僕にとってハッピーなパターンから最悪のパターンまで、いろいろ反応は想定している」ということについても、考えている。
2013-11-30 15:55:34チェルフィッチュ続き。しかし、初演から時間がさらにたち、客席は少し弛緩していたようだ。緊張感に対して麻痺した、あるいは麻痺しないと暮らせない異常な東京になったのが見えたようで、それが一番恐ろしくて、でも東京に暮らし続ける私にそれを思うことは本当にできるのか?できているのか?
2013-11-30 15:35:39昨日はチェルフィッチュからQという、やる気と行動力にあふれた一日だった。チェルフィッチュの俳優たちの、あの争い方というか、悪意と認識の違いが網目状になってぎりぎり締まるような、閉鎖的空間の鬱屈を思い出す。スクリーンにはあんなに広大なイメージの空、星、宇宙が映っていたのに。
2013-11-30 15:30:26チェルフィッチュ『現在地』を見終えました。これもまた311後のための作品。昨日の『祝/言』と共通して、「故郷」とその周縁のことば(信じることや、沈黙すること)が出てくるところも興味深い。
2013-11-30 14:10:09岡田さんと柴崎さんのトーク、その話の途中で退席せざるを得なかったのですが、それはそれとして。ぼくはそれと同時に、あのチェルフィッチュらしさともいうべき、リアルな会話の中に不自然に見える“身体の差し挟まれ”がなかったことも、あの時期のこわばりを表すものとして選択されたのかなあと。
2013-11-30 04:12:48『現在地』終演後、岡田利規さんと柴崎友香さんのアフタートーク。今までと真逆のアンリアル、会話中「~だわ。」が多用されたことについて、柴崎さんは「主張しつつ相手に解答を求めるやりとり、あの非日常を表すために選ばれたのかな」と。岡田さん、「とくに意識しなかったんだけど、きっとそう」。
2013-11-30 04:04:35チェルフィッチュ『現在地』@ 東京芸術劇場。村を覆う不吉な雲。村は滅びると言われるのだがほんとうかーー。3.11を踏まえてというか、7人の女性の対話が交わらないようすが、“あの不安”を体現するものとして描かれる。突き付けられ方ひっかかりどこはきっとそれぞれ。おだやかな不穏、の劇。
2013-11-30 03:52:18舞台自体の中身と その扱われ方と その周囲の人がどう扱うかと 大元のテーマ自体を共有する関係ない人々と レイヤーごとに好き嫌いがちぐはぐな感じがする
2013-11-30 03:03:06個人的にすごく好きだし とても驚いたし 何かを作りたい人は観ておいた方が良いと思うし 素直に面白いと思う でもこれは同時に 「行き止まり」だし 扱ったテーマや題材の「一部」だけで 舞台全てを手放しで賞賛する人が居たら その人は考えることをやめているか 嘘をついている と思う
2013-11-30 02:57:06「現在地」は 物語るようでいて 「問い」なんだと思った だから 向き合い方を間違うと すごく退屈な舞台だと思う 「問い」だから 残った人と 出て行った人が混在してるし それが別々の現在地にいる状態を舞台で共有してる
2013-11-30 02:48:23チェルフィッチュ「現在地」 女優が客席に視線を向けて語りかける瞬間 壁が崩れてすごくスリリング 台詞もゾクゾクする「わ」 実際 自分が部分的に狂っているとも思うし それを言葉にして不安を煽ってしまっている物語上のその人自体も それを表面上隠す別の人も それでは 済まないのだけど
2013-11-30 02:43:40チェルフィッチュ『現在地』観てきました。自分を誰かに託すのか、それとも、そこにいない8人目になるのか、うろうろ、考えていました。トークも聞けてよかったです。「フィクション」というハンコを、その都度ぎゅっと押すように聞こえてくる語尾でした。
2013-11-30 01:42:04チェルフィッチュ「現在地」とリミニプロトコル「100%トーキョー」。偶然同じ日に観たんですが、テーマと手法がまったくの対極にある演目だったので、片方で片方を透過してみることができた。それで見えてくるものはいろいろとあっても、腑に落ちるわけではないんですけど。
2013-11-29 23:52:50チェルフィッチュ『現在地』:KAATの初演は観ていない。DVDを観たときの印象は、抽象度の高い寓話。で、今日観た再演、これってあのときの/今のオレらの話じゃん。という半端ない現実感。さてさて。
2013-11-29 23:11:22私このまま放置しておいたら真面目に『現在地』の劇評を勝手に書き始めるくらい、『現在地』は凄い作品だと思った。『三月の五日間』のとき、あぁ自分はこう現実を捉えているかもと思ったけど、それと同じことを『現在地』でも思って、それはとても不思議なこと、時の流れを感じる。
2013-11-29 23:14:24『三月の五日間』におけるイラク戦争、『現在地』における破滅。前者のイラク戦争は、現実のことなのに、遠く離れた場所で起こった、現実感のない出来事だった。それに対して、後者は、現実のことではないのに、日本で起こった、現実感のある出来事。
2013-11-29 23:11:28語る、ということと、話す、ということはだいぶ違う。チェルフィッチュで長らく続けられていた現代口語演劇、それはいかに現実らしく「話す」か、ということが問題になっていた。「語る」という姿勢をとったときに、芝居調の台詞になるというのは、とてもしっくりくる。
2013-11-29 23:06:06