幽斎様の新世界の吉田くん。

2013年11月30日の9時50分頃に始まった幽斎様(@yuusai1534)による吉田兼見講座。 いろんな人物や言葉に自分なりに補足を加えてまとめました。
2
細川の御隠居 @yuusai1534

そしてその頃、吉田家には、兼見という同じ年頃の少年がおった。儂とはいとこ同士。 儂は清原の祖父の元で幼少期を過ごしたので、祖父の実家の子であるこの吉田君とも昔からの付き合いじゃった。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:12:48
細川の御隠居 @yuusai1534

この吉田君、ひいじいちゃんに勝るとも劣らぬ世渡りの名人での。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:13:05
細川の御隠居 @yuusai1534

大殿の将来性にいち早く気付き、接近。「堂上公家」 の位階に格上げされる。 光秀とも親しく、謀反の際には公家の代表として朝廷の使者に立ち、 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:13:29
細川の御隠居 @yuusai1534

光秀が太閤様に敗れると華麗なる手のひら返し、後に太閤様の死後には「豊国社」を設立して太閤様を神格化するという大役を任される地位についていた。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:13:50

堂上公家(どうしょうくげ、とうしょうくげ)

「堂上」とは公家の家格の一つで、清涼殿への昇殿を許される家柄、また、公卿になれる家柄のこと。
近衛前久の近衛家、烏丸光広の烏丸家も堂上家である。

ちなみに「清涼殿(せいりょうでん)」とは、平安京の内裏における殿舎のひとつで、そこへの昇殿が許されるということは天皇への接触を図れるということである。

細川の御隠居 @yuusai1534

儂の田辺城の戦いの時、勅使トリオと共に裏で暗躍していたのがこの吉田君だ。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:14:09
細川の御隠居 @yuusai1534

吉田君の息子に、儂の娘の伊也ちゃんが嫁いでいての。忠興の鼻にスパッ!ってやった娘なんだけども。 その縁であの時、田辺城には伊也ちゃん夫婦の娘(儂と吉田君にとっては孫娘ね)とその婿、長束殿のご子息、助信殿が籠っていたんじゃ。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:15:49

細川伊也(ほそかわ いや

1568年~1651年
お菊の方とも。
丹後の国人・一色義有に嫁いでいたが賤ヶ岳の戦いで一色氏が柴田勝家に味方したため、細川家の策謀により義有が殺害され実家に戻る。その後、吉田兼見の子・吉田兼治に再嫁。

夫・一色義有の仇をとろうと、兄・細川忠興に斬りかかり鼻筋に横一文字の傷を残したという有名な逸話がある。

細川の御隠居 @yuusai1534

あの吉田君が可愛い孫娘夫婦(と、ついでに儂)が死ぬのをみすみす黙って見過ごすわけがない。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:16:11
細川の御隠居 @yuusai1534

大阪方に儂の助命をそれは強く嘆願しただろうし、勅使を出すにあたって朝廷との連携ぷれーもあったのではないだろうかの。なんせ太閤様を神にした立役者。大阪方にも強気で出られたであろう。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:16:54
細川の御隠居 @yuusai1534

当時の宗教の頂点にいた男と言っても過言ではないのだ。それだけの力があの時の吉田くんにはあったんだの。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:17:15
細川の御隠居 @yuusai1534

吉田神道は別名、唯一神道とも言われている。これは「日本古来の道は神道のみに窮まるとして『唯一』という」ことからの唯一神道なのだけど、 なんか吉田君が言うと『ぼくが新世界の神だ……(きらぽーず)』的に聞こえちゃうのは、そういう理由からなんだの!(人* ´ ∀`) #新世界の吉田君

2013-11-30 10:20:22
細川の御隠居 @yuusai1534

新世界の神、違った、吉田君の説明、おわり!(人* ´ ∀`) #新世界の吉田君

2013-11-30 10:20:51
細川の御隠居 @yuusai1534

ちなみにそんな吉田家が一時、没落するのは徳川様の死後のこと。天台宗の僧である天海の主張により徳川さまは山王一実神道の形式で祭られることになり、吉田家は「おめー の席、ねーから!」と言われた(意訳) #新世界の吉田君

2013-11-30 10:48:52

山王一実神道(さんのういちじつしんとう)

日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合した「山王神道」というものが元。
徳川家康の霊を仏の権現であるとし、「東照大権現」の神号で祀るよう主張した。栃木県にある日光東照宮がまさにそれである。

細川の御隠居 @yuusai1534

吉田君は太閤さまを神にした立役者だし、徳川さま方にハブられるのも無理ない気もするんだけど……、ほら。天海さんといえば、あれじゃん?光秀生存説。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:50:01

天海(てんかい)

? ~ 1643年(寛永20年)
南光坊天海、智楽院とも呼ばれる天台宗の僧。
徳川家康の側近として、政治に深く関与した。

生年ははっきりしていないが、100歳以上の長命であったことは確かであるとされる。
明智光秀との同一人物説があるが、もしそうであるとしたら明智光秀生年1528年説で享年116歳、1526年説でも享年114歳となる。
ちなみに、従兄弟である明智光春、娘婿の明智秀満にも天海同一人物説がある。

○長命蛇足

現在のギネス最長寿記録では1位ジャンヌ・カルマン(女)で122歳、3位クリスチャン・モーテンセン(男)で115歳なので、当時の平均寿命が70歳程度であったことを考えるとかなり苦しい数字である。
余談だが、戸籍の記録が不正確な時代のもので、百姓の満平という1602年~1796年で194歳という非公式最長寿記録がある。

細川の御隠居 @yuusai1534

山崎の合戦のあと、華麗なる手のひら返しをしたのを、天海と名を変えた光秀に、「やられたらやり返す……、倍返しだ!」されたのでは……なんて考えると出来すぎてて妄想止まらないんだが、そうなると、『明智光秀♂(百四歳)』ってなっちゃうからやっぱ違うわ。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:52:32
細川の御隠居 @yuusai1534

天海さんの、 天海∥▽・*)<おめーの席、ねーから!攻撃により吉田家は力を失う。吉田君の弟、吉田梵舜は「当家零落、是非に及ばず」と述べたといい、 当時のにゅー速には「助けて!法事に20人しか来ないのwwwwww」というすれが乱立した……。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:58:42
細川の御隠居 @yuusai1534

そんな吉田家が不死鳥のようによみがえったのは四十年後。吉川惟足 (これたり)君の代でのこと。 #新世界の吉田君

2013-11-30 10:59:59
細川の御隠居 @yuusai1534

元は江戸の商人で、38歳で弟子入り。頭角を表し、遂には代々伝わってきた一子相伝の奥義「神蘺磐境伝(ひもろぎいわさかでん)」を伝授された。 #新世界の吉田君

2013-11-30 11:01:54

吉川 惟足(よしかわ これたり

1616年~1695年1月1日
名前の読みは「きっかわ これたる」とも。
生まれは武家の家であったが、江戸日本橋の魚商に養子に入り家業を継いだが、商いがうまくいかなかったことから鎌倉へ隠居した。
その後京都へ出て萩原兼従の門に入る。

萩原兼従(はぎわら かねより)

1588年~1660年9月17日
先述した吉田兼見の息子・吉田兼治と
細川幽斎の娘・伊也の子である、吉田兼治の子
つまるところ吉田兼見と細川幽斎のひ孫にあたる。

細川の御隠居 @yuusai1534

吉田家と全く血縁がない人物の相伝は前代未聞であっのだけど、会津藩主保科正之殿や、老中稲葉正則から信頼されていたこともあり、幕府から「諸社禰宜神主法度 」を発布させて吉田神道を再興したの。 #新世界の吉田君

2013-11-30 11:02:32

諸社禰宜神主法度(しょしゃねぎかんぬしはっと)

江戸幕府が寛文5年(1665)に制定した神社を統制するための法令。全国の神社に対し、社領の売買禁止などのほか、吉田神道を正統としてその統制に服することを義務づけた。

蛇足だが、早口で言おうとすると噛む。

細川の御隠居 @yuusai1534

この法令は、位階を持っていない全国の神職を吉田家の管轄下に置くという決まりのようなものであり、結果、全国の神職が吉田家に集う事になったんだの。 #新世界の吉田君

2013-11-30 11:03:14