内村光良「演劇人」論 〜 演劇と不可分な80年代の笑い
- hilocoffee
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@notei また、風間さん・大竹さんたちと同じ劇団にいたのが、柄本明さんの奥さんである女優・角替和枝さんだったりします。
2013-12-02 22:59:22@ohmitakaharu ジャッキーなどの映画だけでなく、そういった70年代からもウッチャンは引用していたのですね。推測もあるとのことですが、とても深い考察に唸りっぱなしでした。大見さんが書かれた『「テレビリアリティ」の時代』に俄然興味が生まれたので、本屋で買って読みます!
2013-12-02 23:00:38@notei 70年代から80年台前半の東京乾電池はアドリブ主体だったそうですが、この時期の乾電池の俳優には高田純次さんとベンガルさんがいます。いまでは俳優・劇作家として活躍する岩松了さんは、80年代ごろはマネージャー業務を担当していたそうです。
2013-12-02 23:02:44@notei また、高田純次さんは70年代にイッセー尾形さんと前衛演劇のコンビ「腕くらべ」を結成していました。
2013-12-02 23:04:52@notei こうしたイッセーさんやシティーボーイズが出演していたのが80年代のバラエティ番組(たとえば吉田照美司会の「夕やけニャンニャン」)でした。
2013-12-02 23:07:30@notei 吉田照美のラジオ番組で構成作家をつとめていた宮沢章夫さんは、「元気が出るテレビ」の構成作家をつとめたことでもテレビ史的に重要な人物です。そしてシティーボーイズが名前に偽りがあり「都会派」らしくないと思った竹中直人さんが宮沢さんとシティーボーイズを引き合わせます。
2013-12-02 23:10:12@notei こうして竹中さん・シティーボーイズ、パントマイムの天才・中村有志、いとうせいこうらが集い、「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」が結成されます。中島らも『今夜、すべてのバーで』には「ラジカル」に心酔する少年が登場しますが、それがこのユニットの存在を刻印しています。
2013-12-02 23:13:50@notei この時点でかなりの重要人物が登場していることになるのですが、80年代の「東京」の「笑い」というのは、かなりのところ演劇人たちに支えられたものなのです。それはつかこうへい(そして、彼が影響を告白した別役実や鈴木忠志)と何らかの形で関わりを持つのです。
2013-12-02 23:17:00@ohmitakaharu Eテレで放送された80年代の逆襲「宮沢章夫の戦後ニッポンカルチャー論」を見たこともあって、名前は知っていたとしても、そいうった関係性があるとは全く知りませんでした。点と点が結ばれていってゾクゾクしています。いろいろ教えていただきありがとうございます!
2013-12-02 23:21:01@notei 私は見逃してしまったのですが「宮沢章夫の戦後ニッポンカルチャー論」は、70年代~80年代前半のサブカル少年たちのカリスマであり、リーダーだった故・林アナウンサーの仕事を追うものだそうです(それが文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」で話されるのはすごいですが)。
2013-12-02 23:25:46@notei 宮沢さんは、TBSアナウンサーが、それほどまでに80年大サブカルチャーに及ぼした影響の大きさと、意義を問うたと思いますが……未見なので何とも言えません。が、例えば本来はサブカルチャー評論家として登場した宮崎哲弥さんは林アナウンサーのフォロワーとして知られてます。
2013-12-02 23:27:56@notei そして、こうした80年代論を宮沢さんは一旦『東京大学「80年代地下文化論」講義』としてまとめられています。ちなみに『「 テレビリアリティ」の時代』の担当編集者さんは、宮沢さんの書籍編集者と同一人物だったりします。
2013-12-02 23:30:23@ohmitakaharu これまたいろいろと繋がってるわけですね。今楽しんでる「お笑い」も、源流を求めていくといろいろと発見があって、より一層楽しめるモノになりますね。まずは『「 テレビリアリティ」の時代』を読んで、それから紹介された本も手にとってみたいと思います。
2013-12-02 23:34:51@notei というわけで、私のツイートに関心が持てましたら、『「テレビリアリティ」の時代』をお買い上げください。http://t.co/N6qFWTM3Cm 編集者・校正者のみなさんには大量の引用でご迷惑をお掛けしたので、売れないと大変申し訳ない……。
2013-12-02 23:36:21@notei いえいえ。こちらこそ、書ききれなかったことをつぶやくきっかけをいただいて、ありがたいです。
2013-12-02 23:39:15@ohmitakaharu @notei 興味深いお話ありがとうございます。ウンナンというと夢の遊眠社や第三舞台のような、当時の舞台芝居の第三勢力を模したコントの印象がありますが、その世代の基本に置く「型」として、つかこうへいが舞台の世界のデフォルトのような存在だったのですね。
2013-12-02 23:39:56のていさん(@notei)のRTで知った大見 崇晴さん(@ohmitakaharu)の連続ツイート、演劇側の視点から見てもおもしろい。確かに80年代の演劇と「笑い」って不可分なところがあったように思うなあ。
2013-12-02 23:40:59@peatjam @notei ちなみに先ほどのつぶやきには井上ひさし関連(テアトル・エコー周り)や東京ヴォードヴィルショー周り、さらに言えば鴻上尚史・野田秀樹周りを拾えていないものです。それに宮沢さんが機種となった90年代の「静かな演劇」も「笑い」を意識していますね。
2013-12-02 23:44:35@peatjam @notei 本当は知人が岡田利規さん主宰の「チェルフィッチュ」の俳優だったので、ここにまで話を繋げたかったのですが、これは難しく諦めました。
2013-12-02 23:45:27@piquoh @notei いえいえ。リアクションしていただき有り難うございます。つかさんがデフォルトか否かは悩ましいのですが、「笑い」という土台を元に演劇を組み立てるのはポスト・つか的かと思います。
2013-12-02 23:49:25@toronei @notei このあたりのことはじっくり書きたいのですが、タイミングが難しいです。声優であれば「ばくさんのかばん」で有名な熊倉一雄さんが志ん朝師匠と番組で共演していたとか、熊倉さんの劇団に所属していた山田康雄さんが「お笑いスタ誕」で司会したことが重要であるとか。
2013-12-02 23:54:22@ohmitakaharu @notei あとフジテレビが80年代に若手お笑いをすごく押していたのって、「冗談画報」とかで、サブカル文脈というのも重要なんですよね。
2013-12-02 23:56:24タモリ1stLP発売記念でタモリが東京ボードヴィルショーと二本立ての舞台をしたことがあるっていうのを思い出した。6日間。「タモリ・ボードビル・ウィーク」。
2013-12-03 00:35:13そういえばウッチャンナンチャンのコント「レンタルビデオショップ」だかに「夢の遊眠社編」がありますよね(ほかに山田太一編、倉本聰編がある)。
2013-12-03 01:00:00