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ただ、1868年のアンリ・ヴェルテールの「コーヒーの歴史」と、1922年ユーカース「オールアバウトコーヒー」の間に、結構な変化が生じてるのは確か。19世紀には、焙煎がやや浅かったが、1922年には深煎りになってる。
2013-11-28 16:06:21また、19世紀末から20世紀初頭のカフェオレの流行もあるし、さび病によるロブスタ栽培が始まったのもこの間。また、フランスの場合、西アフリカや、後にはベトナムなど、植民地でのロブスタ栽培を行ったという事情もある。
2013-11-28 16:09:561950年代のフレンチプレス(メリオール/シャンボール/カフェティエール)の流行は、そもそも「香味が好まれた」という以上に、デザイン/ファッションが無視できない。正直言うと、当時のフランスの深煎りにマッチする抽出法とは言いがたい。それに「ブラックでの味」が前提にできない。
2013-11-28 16:15:20あと、意外とよくわからんのが、アラビアコーヒーとのつながり。トルココーヒーほどに濃くは煮出さず、カルダモンとかをしばしば入れる。あのあたりとの系譜というか、関連性。
2013-11-28 22:00:26戦後の喫茶店を分類してる人が、「ノーパン喫茶」とかの系統を入れるかどうかというのは、わりと面倒な問題なのだけど、90年代以降のカフェブームに関しては、多分「メイドカフェ」とかを入れるかどうかという問題が後世でてくるだろうことを予言しといてみよう。
2013-11-29 19:34:02このあたりは、今みたいに勝手解釈の「クリーン」で解されると、書いてる内容理解できんだろうからなあ。Kenneth Davidsの「クリーンカップ vs ロマンスカップ」とか、SCAA設立時の「クリーン原理主義」とか、そのあたりの「まともな」解説があると楽なんだが。
2013-11-29 23:20:13原理主義的な「クリーンカップ」を主張するんなら、ナチュラルはおろか、マンデリンもハニーも、それどころかフルウォッシュトも駄目ってことだからねぇ。エコウォッシュトくらいしか飲むものなくなる。
2013-11-29 23:22:29@lasahJP 「流行」というのの規模によります。誰に聞いても知ってるような状態になるのを「流行」というなら、どの道、ごく一部のものだから「流行」と呼ぶにはほど遠い。ただ、流行らせようとしてるらしい人達がいて、しかも彼らが言ってるのは「僕の考えたサードウェーブ」という別物。
2013-12-04 19:42:21@y_tambe さっき仰ってた、アンシャン・レジーム飛び越してスペシャルティコーヒーの業績をハイジャックするようなと云ふのは具体的にはどんな感じなんでしょうかね?
2013-12-04 22:52:56@lasahJP 「生豆の品質向上」というのが、スペシャルティの理念です。この背景にあるのは、1960年代のICA(国際コーヒー協定)下での生豆品質の低下。第二次大戦後、コーヒー豆の生産過剰が続き、それによる生豆価格の低下で、ブラジルはじめ生産国の経済状況が悪化(続
2013-12-04 23:28:24@lasahJP 承前)当時は冷戦下で、経済状況の悪化が政情不安を生み、それによる共産化を恐れたアメリカが、それを防止する為に世界(実際には西側諸国)レベルでの生産調整を狙ったのがICA。生産国に輸出量制限を課す代わりに、消費国で輸入量調整し受給バランス取って安定化を狙う(続
2013-12-04 23:31:19@lasahJP 承前)ただ、これは生産国にとっては「量さえ守れば、値段は一緒」ということでもあるわけで。となると、当然、品質的には「最低レベルをクリア」する程度にして、コストダウンを図るのが「正解」。なので品質低下、という流れ(続
2013-12-04 23:33:31@lasahJP これは政府のレベルで決まった話で、アメリカの大手ロースターや輸出入業者などの多くは、基本的に政府方針を飲んだのだけど、一部のロースターは「もっと良い生豆よこせ」と声を上げた。これがスペシャルティコーヒー運動のそもそもの端緒。
2013-12-04 23:36:10@lasahJP なので「スペシャルティコーヒー」という言葉が生まれたのは74年だけど、運動の始まりそのものは1960年代に遡る。その最初の人物と言われてるのがアルフレッド・ピートという人物。カフェではなくて、焙煎豆の小売りしてた(続
2013-12-04 23:39:00@lasahJP 承前)ただ、彼は割とすぐに(アメリカではありがちだけど)成功した店(ピーツコーヒー)を売却。それが後のスタバになる。なので、彼が「スペシャルティコーヒーのルーツ」とするのは、スタバによって神格化された部分も否定はできないんだけど…でもまぁ初期の重要人物なのは確か
2013-12-04 23:41:26@lasahJP でまぁ、その後スタバは86年になって、エスプレッソバーに転向して大成功を治めるのだけど、それは今回は別のお話。大事なのは60-70年代頃から「いい生豆をよこせ」という声があり、それを実現するためにSCAAとかも作られた。
2013-12-04 23:43:28@lasahJP アメリカではそういう業界団体が出来て、何とか「良い生豆の入手」をしようと画策してた。で、それが90年代になって実現する…というか、冷戦の終結によってICAそのものが崩壊しちゃった。これによって世界のコーヒー価格が暴落(=第一次コーヒー危機)
2013-12-04 23:45:50@lasahJP 生産国側はICAを維持しようとしたのだけど、最大消費国のアメリカが脱退しちゃったもんだから、何とかして生産側でも「高く買ってもらう」必要に迫られる。それでスペシャルティが本格化していくことになる。これが90年代はじめで「サードウェーブ」勢の出現はこの時期。
2013-12-04 23:48:14@lasahJP なので、スペシャルティ運動の「おいしいところ」から乗っかってきたのが「サードウェーブ」。や、それはそれで「正しい」んだけどね。でも「サードウェーブによって、良い生豆が入手できるようになり…」とか書かれると、90年代以前から頑張っているところは立つ瀬がない。
2013-12-04 23:52:37まあ、ついでだ。この当時の日本の状況も。この辺りの話すると、どうしてもバッハの田口さんを持ち上げてるように見られがちなんで、あんまり…なんだけど。
2013-12-04 23:54:27日本では50年代にコーヒー輸入再開されて焙煎会社が復活。1960年代はじめに生豆輸入の自由化とか、近促法とかがあって、中小の動きも活性化し、64年にICAに加入。ただし当初は「新市場国」として、消費拡大を意図した優遇措置が罹ってた。とは言え、やはり生豆品質は低下。
2013-12-04 23:57:41一口に言うと、低品質な生豆を前にして「もっと良い生豆よこせ」と運動して実現したのがアメリカで、低品質な生豆を前にして「これをどうやって美味しく飲めるか」とこねくりまわして、何とかしちゃったのが日本。まぁ日本では良くある話。
2013-12-05 00:00:41