ポジショントークとオワコン、そして奴隷道徳と因果応報についての考察
- kusamura_eisei
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そう言やオワコンジャーナリスト(ジャーナリストは自称)の上杉隆もいたよなあ。 当初彼も持て囃され感満載で出て来たけど、敢え無く轟沈。
2013-12-14 15:14:46上杉隆も三文字
偶然だけど三文字さんには関係ないですよ(´・ω・`)
猪瀬もオワコンかあ(´・ω・`) 東浩紀と共に地獄に落ちる運命か。猪瀬もTwitterやらなくなっちまったな。
2013-12-14 15:17:47しかし個人的に猪瀬は続投して欲しいなあ(棒) 4年を生殺しの儘任期を全うしなさい。 そしてTwitterも続けなさい。 今までアニメオタクに対して居丈高にいたんだからさ。
2013-12-14 15:19:57因果応報とはよく言ったものだ。オタクを叩いて見せた連中が悉くオワコン化してるて事は、結局オタクが因果の最果てにいたと言うことになるのかな? 今年の漢字は「輪」だしね。
2013-12-14 15:24:33因果(Wikipediaより)
因果応報
因果応報とは、「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」とする考え方、信仰である。
「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」といった考え方自体は、仏教に限ったものではなく、世界に広く見られる。ただし、仏教では、過去生や来世(未来生)で起きたこと、起きることも視野に入れつつこのような表現を用いているところに特徴がある。
もともとインドにおいては、バラモン教などさまざまな考え方において広く、業と輪廻という考え方をしていた。つまり、過去生での行為によって現世の境遇が決まり、現世での行為によって来世の境遇が決まり、それが永遠に繰り返されている、という世界観、生命観である。
仏教においても、この「業と輪廻」という考え方は継承されており、業によって衆生は、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」の六道(あるいはそこから修羅を除いた五道)をぐるぐると輪廻している、とするようになった。
仏教が目指す仏の境地、悟りの世界というのは、この因果応報、六道輪廻の領域を超えたところに開かれるものだと考えられた。
修行によって悟ることができない人の場合は、(次に仏界に行けないにしても)善行を積むことで天界に生まれる(=生天)のがよいとされた。
2013年、平成25年の漢字は『輪』です。
円環の理じゃないか。
円環の理(ニコニコ大百科より)
むかしむかし みらいのむこう
おんなのこたちは ほしからきたどうぶつととりひきしました
なんでもひとつだけねがいごとをかなえてもらうかわりに
まほうのちからをあたえられ おそろしいかいぶつたちとたたかうのです
あらゆるせかいのおんなのこが ねがいごとをかなえてもらい
かぞえきれないおんなのこが かいぶつたちとたたかい
やがてだれもがちからつきていきました
まほうをもったおんなのこたちには ひみつのうわさばなしがながれております
このよからきえてしまうそのときには まほうのかみさまがおこしになられて
すべてのまほうのおんなのこたちが すてきなおくにへみちびかれるのです
かなしむこともにくしむこともない すてきなおくにへみちびかれるのです
―――希望を願い 呪いを受け止め 戦い続ける者たちがいる
それが魔法少女 奇跡を掴んだ代償として戦いの運命を課せられた魂
その末路は消滅による救済 この世界から消え去ることで絶望の因果から解脱する
いつか訪れる終末の日 円環の理の導きを待ちながら私たちは戦い続ける
悲しみと憎しみばかりを繰り返すこの救いようのない世界で
あの懐かしい笑顔と再び巡り会うときを夢見て―――
(魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語、冒頭より)