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はやし @t_hayashi
いまだ懲りない知の欺瞞。《河原温の量子重力的身体——あるいは時空の牢獄性と意識の壁抜けについて》だとさ。「バーカ」としか言いようがないな。http://bit.ly/RX9fe (via @ttt_ceinture)
はやし @t_hayashi
@pubkugyo そうですか? ぼくは、とてもではないですが「いいんじゃないの」とは、思えませんでした。たとえ、河原温じしんが、量子論に関する何がしかをみずから引いているにしても。
@pubkugyo
『河原温の量子重力的身体─あるいは時空の牢獄性と意識の壁抜けについて』、トンネル効果の話は批評的にも役立ってないが、他はまっとうでは(科学的説明の部分に問題がないか探してるけど)。制作者がカタログに量子に関する論文を抜粋してんだから、量子の話をする必然性がある、と言い張れる。
@pubkugyo
『河原温の量子重力的身体─あるいは時空の牢獄性と意識の壁抜けについて』、トンネル効果の話は批評的にも役立ってないが、他はまっとうでは(科学的説明の部分に問題がないか探してるけど)。制作者がカタログに量子に関する論文を抜粋してんだから、量子の話をする必然性がある、と言い張れる。
はやし @t_hayashi
@pubkugyo 「批評的にも役立ってない」……そこが、いちばん問題だと思っています。
@pubkugyo
.@t_hayashi 河原の作品のうち、いくつかに(いくつかの特徴に)着目し、それを_単一の_批評文としてまとめるためには、そうまとめるのが適当と言えるだけの関連性が、各話題にあるべきですよね。この批評文から「量子重力理論」の話を取り去ってしまうと、その関連性が消えませんか。
はやし @t_hayashi
@pubkugyo かんぜんに取り払えるとは思っていませんが(何しろ、批評対象じしんが持ち出しているのですから)、あそこで読まれるほどの理論的詳細をくだくだしく説明する必然性は、まったく感じられませんでした。そういう意味で、要らない道具で飾り立ててるとの感想を持ちます。
@pubkugyo
.@t_hayashi もちろん、関連性の屋台骨としての話題を作品と離れた所から呼んでくると、その話題と作品との関連性がないことが問題になるわけですが、呼ぶだけの予防線を、山辺はカタログにある抜粋に求めている。“科学理論であること”に権威を求めるのではない、という点が大事では。
はやし @t_hayashi
@pubkugyo ざんねんながらぼくには、「権威を求めるのではない」と言い切っていいものかどうか、と思われてなりません。
@pubkugyo
.@t_hayashi なるほど。説明の量については、私は逆に、豊かな背景(それを知っていたら批評に使おうとは思えないだろう学問体系)を持つ語を使うのに、つなぎに必要なぶんしか(たぶん)調べてないのが問題だと思いました(その意味で参考文献の入門書群がオチとして効いている)。
はやし @t_hayashi
@at_akada もちろん、ソーカルらが攻撃した人たちに比べれば、きわめて軽微というか小粒なんですが、それでも、論の運び方に、「詐術」めいたものを感じます。まあ、これは、科学知識の(誤った)応用の問題というより、端的に批評文としてどうかという問題かもしれませんが。
はやし @t_hayashi
@pubkugyo いや、ぼくも、つなぎとしてもっと説明すべき部分は放っておいて、後段であまり効いてこないような話を長々とやるところも問題だと思います。そして、そういう挙措そのものが「欺瞞」っぽく映ってしまうゆえんでもある。
@pubkugyo
ふと考えたのですが、もし、自分がじゅうぶんに知らない知識体系を部分的に批評に利用することが不実であり、従ってそのことが批評者には禁じられているとすると、たとえば「ダークマター」と書いた(書いただけの)作品は、ほとんどの批評者にとって批評できなくなってしまうのではないでしょうか。
@pubkugyo
.@t_hayashi そうですね、私もペンローズのあたりにそれ(後段であまり効いてこないような話)を感じます。 / 「ダークマター」については、(それを科学的主張と捉えて批評する気なら)勉強すればいい、というのはその通りですね。この辺に、芸術作品と批評文との区別があるのか。
はやし @t_hayashi
げんに河原温が量子論(的なるもの)に影響を受けていて、そしてそういう影響をじっさいの論のありかたと引き比べ記述し、それが巡りめぐって作品自体をうまく言い当てるものになっていれば、それはものすごくおもしろい論文になったであろうけど。
はやし @t_hayashi
@pubkugyo ぼくもちょっと口吻荒く言っちゃいましたけど、うまくやりおおせればすごくおもしろい論文になったと思うんですよ。それなのに、無駄な解説の分量が多く、ゆえにそうした解説じたいが「欺瞞」的に映じてきてしまうという、とてもざんねんな結果になっていると思います。
@pubkugyo
批評文の作り手が学問的に不実であった場合は糾弾されうるが、芸術作品の作り手にはそんな糾弾はなされぬわけで、このことは、まじめな主張とそうでない言語行為との違いに対応していそうです。批評は芸術作品、という論調が気になってたもので。我々は批評の主張をまじめな主張と捉えてると思われる。
はやし @t_hayashi
@pubkugyo あと、たとえばある科学的知識にヒントを得た藝術作品があった場合、そうした知識の作品における働きを真偽判断とは別のレベルの判断のために、それなりにそこに現れる知識に関する仕込みを批評家はすべき、と思います。
@pubkugyo
.@t_hayashi ああ、山辺の論に(そしてソーカルらの槍玉に上がる論文に)欠けているのは、科学理論そのものと科学理論の通俗的理解との区別ということになりますかね。(冗長な語り口になるにせよ)後者だけで十分論じられることなのに、前者を援用したように見えるから胡散臭くなるのか。
@pubkugyo
.@ttt_ceinture 作品の制作者がどう思っているか(そしてそれを批評において考慮するかどうか)とは無関係に、自分が批評において用いんとする概念が正確にはなんであるか(科学理論を用いるのか、通俗的理解を用いるのか)を知らなければ、批評は作れないだろう、と考えています。
はやし @t_hayashi
@pubkugyo そういうことになると思います。じじつ河原温は「通俗的理解」というレベルで知識を用いてると思うのですが(そして彼の用途には、それでじゅうぶん)、山辺論文ではそのすり替えを志向しているように見える瞬間がある。それが引っかかります。
at_akada @at_akada
@pubkugyo 自分があんまり詳しくない事柄について書かなきゃいけないときに、どうすれば変な風に見えないように書けるかみたいな話だと、応用可能性が広がりそうですね。ていうか知りたい。
はやし @t_hayashi
@pubkugyo あと、これは邪推かもしれませんけど、山辺さんの論文において「科学が藝術の質を下支えする」みたいなところがぼくには垣間見えちゃったんですよ。それもちょっとムカッときた理由ですね。
@pubkugyo
.@t_hayashi あ、それはムカッと来ますよね。美的性質の自然化、のような議論もあると聞いていますが、私にはうまくいくとは思えないです。 / 私じしん、哲学的分析が“よい”芸術作品の制作に役立つと思うから芸術の哲学を勉強しているのではありますが。
はやし @t_hayashi
「自分のよく知らないことを(それほど問題を起こさずに、つまり、波風を立てずに)語る」ってのは、かなり、そうとうむずかしいと思う。おれには、「それをよく知らない相手に語る」ということぐらいしか、思いつかない。
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