幸い衣類だけでなく時計や数珠、PDAなど普段から身に着けているものも失われていない。頭を触ってみればハンチングもしっかり乗っかっていた。ポケットの中には財布まで。これは至れり尽くせりと言うべきなのか。 とはいえ、連絡が取れればあとはどうにでもなるはずだ。
2013-12-22 00:22:39PDAを立ち上げようとして、虎徹は再び「だっ!」と叫ぶことになった。 「んでだよ。バッテリ切れって訳でもねえだろ、おい」 電源は入っている。けれどどこにも繋がる様子がない。まるでマーベリック事件の時のように、PDAは無情にその回線は存在しないと告げてくる。
2013-12-22 00:23:06「どうなってるんだ...?」 もう一度呟く。 もしかして。もしかすると。 ただ単に瞬間移動をするだけの能力ではないのかもしれない。 嫌な予感に鼓動が少し早くなり、じわ、と冷たい汗が湧く。
2013-12-22 00:23:22「落ち着け、鏑木虎徹。まずはここがどこなのか。それを確認して、それに金があるんだからどこかの公衆電話からでも連絡を──」 わざと口に出して、すべきことを整理する。その邪魔をしたのは乱暴なブレーキ音と、数人の悲鳴だった。
2013-12-22 00:24:00悲鳴を聞けば反射的に駆け出す身体に違和感はない。少なくともすぐにわかる異変は身体には起きていないのだろう。遠くない悲鳴を辿れば坂道の先、母親の手から離れたベビーカーが車道に転がり出ようとしていた。そこはまるであつらえたように車通りの多い大通り。
2013-12-22 14:17:37クラクションが鳴り響き、車が慌ててハンドルを切るも、幸運は長く続かない。 「マイキー!」 母親の悲鳴と涙混じりの叫びに、虎徹は現場では使わずに済んだ能力を躊躇なく発動させて地面を蹴った。
2013-12-22 14:18:25自分以外の動きをスローモーションのように感じながら、ベビーカーと迫る車の間に飛び込み、ベビーカーから赤子を救い上げる。このままだとハンドルを切った車が街灯にぶつかるコースだと判断し強引に腕で方向を修正する。一瞬でそれらを成し遂げて、虎徹は再び地面を蹴って母親の前へと降り立った。
2013-12-22 14:19:02遅れて背後で急ブレーキをかけた車が街灯の横すれすれ、歩道に乗り上げる直前で停止し、後続車もなんとか玉突き事故にならず場を切り抜けたようだった。 「ほら、抱いて安心させてあげて」
2013-12-22 14:19:24ようやく火がついたように泣きだした赤子を呆然とする母親の胸に押しつけると、我に返ったのか「ああ、マイキー!」と叫んで我が子を抱きしめしゃがみこんだ。 「何があったのか知らないが、赤ん坊は自分で危険から逃げる事が出来ないんだ。しっかり守ってやってくれよ」
2013-12-22 14:20:29「あ、ありがとうございま──」 涙声で安堵に緩んだ顔を上げた母親の表情は、虎徹を認めすぐさま引き攣ったものに代わった。 「ん?」 「あ、あ、あなた、サイキッカー!?」 「へ? さいきっかあ?」
2013-12-27 00:24:42なんだそりゃ。虎徹はいまだ青く光る身体を見おろし首を傾げた。超能力を扱うもの、という意味ならばサイキッカーという言い方が出来るのかもしれないが、何十年も前に現れた虎徹らのような能力者の呼称はネクストとして浸透しているはずだし、テレビや書物なんかでもそうして語られているはずだ。
2013-12-27 00:25:15一部の研究者は独自の説を唱えて別の呼び名をつけたりしているが、そういうものは人口に膾炙したものじゃない。ネクストを見てすぐに飛び出してくるには珍しい単語に戸惑ううちに、虎徹の耳に周囲のざわめきがさざ波のように迫ってきた。百倍になった聴力は伊達じゃない。
2013-12-27 00:25:37──サイキッカーだって? 大丈夫なのか。 ──子どもを助けたの? ──もしかしてこの事故サイキッカーのせいなの? ──やだこわい、ねえ早く離れましょう。サイキッカーと関わり合うなんて碌な事にならないわ。 ──おい誰かすぐに警察に、いや軍の要請を!
2013-12-27 00:26:10──なんでサイキッカーが堂々と街中歩いてるんだよ、さっさと捕まればいいのに。 ざわざわと耳に届く内容のほとんどが悪意や恐怖、不安などのマイナス感情に満ちたもの。かつては自分にも よく向けられたことのある馴染みある感情だ。 お前も苦しめばいいのさ!
2013-12-27 00:26:48犯人の声が脳裏に思い出され、もしかしてネクスト差別の強い街に飛ばされたということなのかと考える。 シュテルンビルトこそ、表立ってネクスト差別を声高に叫ぶものはいないが、世界的に見ればそういう都市は少数派なのだ。
2013-12-27 00:27:28マーベリックはいつしか歪んでしまったのかもしれないが、その行いによってネクストの地位が向上したことは間違いない。それによって救われた者が少なくないことも。虎徹とてその一人だからこそ、よくわかる。
2013-12-27 00:27:45これはまずい。さっさとこの場を離れるが吉か。公衆電話ならどこでも探せるだろう。 悪いことなどしていなくても、向けられる差別の感情は居心地を悪くさせる。方向性のある多数の悪意は容易く心を傷つけられる武器なのだが、用いる側はそこまでの深刻さを理解していないことが多い。
2014-01-03 19:52:10目に見えない傷は厄介なのに、目に見えないからこそないことにされる。 「サイキッカーもネクストも、人間なんだけどな」 だがこれが、今も続く現実の一端なのだ。 痛みを堪えて地を蹴り、その場を離れようとした虎徹の聴覚に声が飛び込んだのはその時だった。
2014-01-03 19:52:23──おい、あっちでサイキッカーが暴れてるらしいぞ! ──なんだよ今日は厄日か。巻き込まれないうちに離れるぞ。 ──軍の車を見かけたってやつが... 「!」 遅れて地響きが今いる場所にも聞こえてくる。
2014-01-03 19:53:07能力が暴走しているのか、近くにある動くものに対して勝手にそれらが向かっていくようで、誰も近づけない。そのうち、少年の能力に引き寄せられたのか、近くに停まっていた乗用車までもが重い巨体をずるずると動かし始めた。少年は恐慌して、結果能力は更に暴走するという悪循環だ。
2014-01-07 14:42:50「おい!」 「ひっ! ごめんなさいごめんなさい助けてわざとじゃないんだ殺さないで!!」 虎徹の声に更に縮こまった少年は完全に怯えている。がたがた震える身体は虎徹のように青い光に包まれてはいないが、能力が発動している証拠に、石つぶてが向かってくる。
2014-01-07 14:43:14いまだ100倍の世界にいる虎徹にとっては苦も無く避けられるそれを軽くかわし、出来るだけ優しい声を心がける。 「落ち着け坊主。殺したりなんかする訳ないだろう? 俺はお前を助けたい。だからきたんだ」 「嘘だ!」
2014-01-07 14:43:44「嘘なもんか! なあ、能力の発動はこれが初めてか? だったらびっくりしたよな。怖かったよな。世界が突然変わっちまったんだ。信じられなくて否定したくたって、そりゃおかしいことじゃない」 俺だってそうだった。
2014-01-07 14:44:22