「"靖国神社"という物語」について。

山崎 雅弘さん ‏@mas__yamazakiのツイートをまとめました。
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山崎 雅弘 @mas__yamazaki

田母神俊雄氏が都知事選出馬(HP)http://t.co/YjxCSom9Mi「元都知事で『日本維新の会』共同代表の石原慎太郎氏が応援にかけつけ『あえて可能性の少ない戦いに挑む。ある意味で特攻隊ですよ』とエールを送った」明らかにポジティブな意味で「特攻隊」という語句を用いている。

2014-01-07 19:48:44
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

「ある意味で特攻隊ですよ」というのが「当選の可能性が少ない状況下で選挙に出馬する候補者へのエール」として普通に通用するというのが、今のこの国の現実なのだろう。しかも、それを口にした人物が共同代表を務める政党は、公明党に代わって与党と連立を組むという可能性も出てきた。えらい時代だ。

2014-01-07 19:50:02
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

一般に、特攻は太平洋戦争の戦局が悪化した挙げ句、他に対抗する術が無くなったがゆえに捻り出された「苦肉の策」というイメージで語られることが多い。しかし実際には、NHK『海軍反省会』で告発されていたように、それ以前から海軍上層部は操縦者の生還を前提としない兵器をいくつも準備していた。

2014-01-08 10:17:21
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

家に帰れば良き父・良き夫であったはずの戦争指導者が、なぜあそこまで兵士の命を粗末に扱うことができたのか。その理由を考える時、靖国神社の存在は欠かせないと思う。死んだ軍人は靖国神社で「生き続け」、そこで共に倒れた戦友と「再会する」という「物語」が無ければ、人命の重さは違っただろう。

2014-01-08 10:18:33
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

逆に言えば、前線で兵士がどれだけ死んでも「彼らの魂は死んでいない、靖国に帰ってきたのだ」という「物語」があれば、戦争指導者は良心の呵責を軽減あるいは無効化できる。前線の一兵卒まで全員がその「物語」を「自発的に」信じる状況を作り出せれば、そう思い込ませたという後ろめたさも感じない。

2014-01-08 10:19:36
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

靖国神社という「装置」がなければ「兵士は死んだけれど死んでいない」という「物語」は最初から成立せず、日本の戦争指導部も史実よりは兵士の命を大事にする方針をとったかもしれない。靖国神社という「装置」が存在したがために、人命の損失を「損失にカウントしなくて済む」特殊な状況が生まれた。

2014-01-08 10:20:40
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

また、靖国神社という「装置」がなければ、鹿屋などの基地で特攻の命令を受けた指揮官が、部下の若いパイロットを死地に向かわせることを拒絶する例が数多く発生したかもしれない。「死んでも靖国で会える」という「物語」が存在したことで、特攻隊を送り出す側の中間指揮官の心理的負担も軽減された。

2014-01-08 10:21:49
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

近代的な国家の指導部が、自国の軍人の六割を戦争で餓死させ、生き残った兵の多くも捕虜になることを命令で禁じて自殺的突撃を行わせた。靖国神社の「物語」を信じるか、信じたことにすれば、この戦慄するような現実を直視しなくて済む。餓死や衰弱死した兵士の無念の表情を、想像することから免れる。

2014-01-08 10:23:05
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

首相の靖国参拝は、日本の現職首相が靖国神社の「物語」を信じているか、信じたことにしている可能性が高いことを示している。「兵士は死んだけれど死んでない」という「物語」を全て否定する必要があるとは思わないが、それが国家指導者の心理や人命の感覚にもたらす影響には留意しておくべきだろう。

2014-01-08 10:24:15
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

それにしても、地方首長の選挙の応援で軽々しく「特攻隊」になぞらえて「エールを送る」行為の、言葉の軽さはどうだろう。普段「特攻隊は立派だった」とか、賛美する言葉を口にする人間は、本当に特攻隊で死んだパイロットの覚悟や無念に共感しているのか。ただ「物語」を愛しているだけではないのか。

2014-01-08 10:25:34