現代社会における宗教性(by @nanbashura 2010/10/22)

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難波修羅 @nanbashura

基本的に従来的なコミュニタリアニズムに多少の変更を加えても新しい時代の宗教性を受け入れ開く可能性はないと思う。根本的に従来的コミュニティと異なる出生のものである広義のサイバースペースのコミュニティによるものは新しい名前で呼ばれなければならない。

2010-10-22 05:07:48
難波修羅 @nanbashura

それは、保守を目的とするゲセルシャフトである教団宗教の変化の速度に対し新しい宗教形態の生成速度が圧倒的に速いから。むしろ宗教の深化は個人の分人化と人間ならざる情報機器・アプリなどのインフラの進化によって進行すると思われる。そして、ミネルヴァの梟は夜に飛ぶ。

2010-10-22 05:20:13
難波修羅 @nanbashura

従来的な宗教概念から、例えばギャルゲーの宗教性を拾えるような新しい定義が導入されたとしても、今までもそうだったように個人の心の襞に巣食う超越性を拾い尽くすことも、その集合性を語ることも出来ない。それは宗教が言語性の外部との諸関係だから。私事化の先には個別性さえ宗教の前提にできない

2010-10-22 05:28:16
難波修羅 @nanbashura

情報化は人間の内在を拡張しながら、拡散させてきた。多くの知それ自体が超越論的判断を人間から奪い去る。近年の決断主義の流行もこの事に関係するが、それは寧ろ退行であって、超越論の情報の海で身動きできないその漂流こそエッジがある。

2010-10-22 05:36:17
難波修羅 @nanbashura

人間はより自動化するが同時に自らの意志でより複雑化する。不如意な複雑化のプロセスを恣意的に切り捨て共同性を蘇生しようとすれば、必ず暴力を招来する。それはコストを要するということではなく、近代を生み出した複雑化のプロセスからの逸脱であり、単に近代システムを毀損する結果となるだろう。

2010-10-22 05:43:41
難波修羅 @nanbashura

宗教共同体のために暴力性は是認されるという愚か者が伝統宗教界に散見するが、そのような方法で維持された聖性が後期近代社会でどれほど彼らが侮蔑する「宗教性の欠如」の様相であるか、直視する勇気を持たないのだ。

2010-10-22 05:52:12
難波修羅 @nanbashura

宗教的オープン主義、冪乗的インフラ進化への信頼、データベースへの絶対帰依、人間の自明性への疑義が新しい宗教性の動向ですといったらシンギュラリタリアンのドグマじゃねーのかよと言われそうだけれど、事態は逆。現在の宗教的状況がシンギュラリタリアンなどを生む。

2010-10-22 06:17:07
難波修羅 @nanbashura

「人間には、ジョーンの教え、人間らしく見えるものが人間だという教えが理解出来ない。」――『ノーストリリア』コードウェイナー・スミス=ポール・ラインバーガー

2010-10-22 06:45:32