.@naoya_fujita が語る「田舎者」と文化

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藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@someruさんが昔「北海道ゼロ世代」ということを書かれていたと思うんだけど、元々カルチャーがそんなにないところであるが故に、トライブや文化階層を無視して「文化」を丸ごと受容しようとする態度は「田舎者」の優位性かもしれない、と思った。それはフラット化とは似ていて違う。

2010-10-23 11:49:52
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

フラット化ではなく、東京や他の地方の文化的多様性が存在する上で、受容することに差別をつけないフラットさであって、しかしそのフラットさは地域的な特殊性に依存するという、循環的な何か。ゼロアカの同人誌と佐藤友哉論文では本当はこういうことが言いたかった。

2010-10-23 11:51:42
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

僕への悪口が書いてあると噂の仲正昌樹氏の『〈リア充〉幻想』に、「田舎者」が「東京」や「アキバ」に幻想を抱いて、肥大化させ、一面的に捉えてしまうという批判が書いてあったけども、この批判はその通りだとは思うものの、この幻想は必ずしも犯罪に至るマイナス面だけではないはず。

2010-10-23 11:55:47
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「アグリカルチャー」が圧倒的に優勢な社会で、「カルチャー」の多様な差異性なんか見えるかっつうのねぇ。形式的差異性にこだわる文化圏でもないし。

2010-10-23 11:57:33
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「フラットに受容する」とは言ってもそこは確かに嘘で、「東京」の、マスメディアに載る華やかさの誘惑が最も強く機能することは確かなのだけれど。その誘惑によって田舎から出てきた人間が中央を活性化させるというのは、「中心と周縁」とか言うまでもなく、あるんじゃなかろうか。自分のことではない

2010-10-23 12:00:47
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

.@millionsage 日本文化(というか江戸文化だと思うんだけど)の特色がスノビズムであり、形式化と差異化の洗練に向かうことによる優位性が金銭や優越感を報酬として駆動するのであれば、憧れて金を出す「田舎者」がいないとそもそも崩壊すると思ってます。少なくとも文化は。

2010-10-23 12:09:30
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「文化的集団就職」とでも言いたい。実際に田舎から上京する場合も、そうでなくTVや商品を消費するだけの場合だとしても。

2010-10-23 12:11:28
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

高原英理さんは、「田舎者」は、東京では流行が終わった、たとえばモダニズムなどに憧れを抱いたりするという時間的なズレを指摘されていらっしゃった。時間的なズレと空間的なズレとトライブ的なズレ、これを一回丸ごと混乱の中に受容しようとしたことがあるかないかでは何かが大きく違う。

2010-10-23 12:18:15
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

宇野常寛氏の『ゼロ年代の想像力』と『PLANETS』に存在する、あらゆる文化を網羅しようという欲望も、田舎者の発想で、僕はその部分を好ましく思っていて、肯定していた。最近の論文は「田舎者」性がなくなって残念な気がする。

2010-10-23 12:20:39
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

チャートを作ったり、マッピングしたり、クロスレビューしたり、作品を相対的な差異と位置づけで価値判断をする宇野氏の「凡庸」な「田舎者」性に、東京出身のハイカルチャーに親しい蓮實先生が苛立つのも、当然と言えば当然なのか。

2010-10-23 12:25:18
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

それはよくわかりますね RT:@shinichikudoh 太宰治が志賀直哉を批判した『如是我聞』の「東京に生れて、東京に育ったということの、そのプライドは、私たちからみると、まるでナンセンスで滑稽に見えるが、彼らが、田舎者という時には、どれだけ深い軽蔑感が含まれているか」

2010-10-24 19:54:06
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

@someru さやわかさんの関心の広さを見ていると、そういうことを感じます。文化に関わって分析したりする際には、その相対性を意識している位置というのが多少のアドバンテージになる場合もあると思っています。島宇宙だけに特化していくことの落とし穴の避け方を本能的に知っているというか

2010-10-24 19:56:40
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「中心と周縁」と言ったけど、昨日山口昌男の『学校という舞台』を読んでいたら、この人も北海道だったということを初めて知った。ちょっと面白いので引用する。「私は北海道の生まれですが、ふだんはまったく意識していません。ところが、京都の人と話しているといつも意識させられてしまいます」

2010-10-24 19:59:39
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「京都は差別が先鋭的に出てくる地域だからでしょうか。物心ついたときに、お母さんたちが子供に、身振りによって差別を仕込んでいくようなところがあります。本来の意味とは似ても似つかぬところまで拡大してしまう文化の怖さが、そこにあらわれるわけです」

2010-10-24 20:01:14
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

京都の人に差別意識が強いかどうかは分からないけど、関東より関西で部落問題はより深刻らしいし(北海道にはない)、それが文化・言語・意識に基盤を持っているとすると、そうなのかとも思う。

2010-10-24 20:04:30
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

山口は「有徴性」によってあるものが穢れとして集団から排除される構造を問題にしているんだけど、以前京都で2週間ぐらいぶらぶらしていたときに、ちょっと観光地から離れたところで眼にした地域を思い出した。

2010-10-24 20:05:43
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

そこは「人権を守ろう」「差別をやめよう」という看板が、異様なほどたくさん設置されていた。そこが被差別部落なのかは分からないけど、もしそうなら、その地域が「有徴性」を持った不穏な場所だとメッセージ内容とは逆に示してしまっている、っていうのが怖いなぁと

2010-10-24 20:08:47
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

社会心理学者の濱保久さんの研究によると、「明示的」と「非明示的」のコミュニケーションの典型が、北海道と京都なのだとか。要するに「言葉の裏を読む」ことの有無なんだけど。言われたら真に受ける北海道人と、逆の意味を発する京都人。

2010-10-24 20:14:22
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「車で送る」と申し出て、強い調子で断ったときにどう解釈するかの実験があって、これが結構面白い。北海道では「本心から送って欲しくないのだろう」と考え、京都では「強い調子やしぐさで断っているときこそ本当は送ってもらいたいと考えているに違いない」と読んだと。

2010-10-24 20:16:26
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「言葉の裏を読めない、言葉をその通りに受け取る」という点ではアスペルガー症候群と似ているようだけれども、濱の実験では、身振りや表情、語調などの非言語的部分の情報処理の差はなかったとか。

2010-10-24 20:25:30
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「空気を読む」とか「コミュニケーション能力」とか「KY」とかがよく言われるようになった背景には、非言語的行動の読解能力の問題と、明示/非明示文化の衝突という側面もあるような気がする。第三次産業が増えてきたので前景化してきたのか、コミュニケーションが変化したのかわからんけども

2010-10-24 20:27:47
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

前島氏がゼロ年代のライトノベルを京都系と北海道系に分けたのは、物語や文体だけではなく、作中人物のコミュニケーション作法(=キャラ)としても妥当すると。これ、結構面白いかも。 RT:@keta_chop しかし、京都がツンデレで北海道が天然とかわかりやすすぎるなww

2010-10-24 20:38:21
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』 @naoya_fujita

「皮肉」(アイロニー)も、「直言」も、度を越えるとお笑いや道化として「有徴化」して排除されるわけで、ライトノベルでのツンデレや天然の消費行動には、その「有徴」の存在をなんとかして融和させようという動機があるのかもしれないね

2010-10-24 20:53:07