ユーリー・ノルシュテイン トークまとめメモ@岐阜県美術館 2014/1/25 アーティストトークとサイン会

「ユーリー・ノルシュテイン アーティストトークとサイン会」 円空賞受賞を記念したトークショーの自分のメモまとめです。 まだまだお元気そうで安心しました。 続きを読む
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よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

65歳の叔母、40年連れ添った夫をなくす。再婚する事になった。女優的な人だった。新たな人生のスペクタクル?新しい夫の話をいろいろしてくれた、映画に役立った。どうやって椅子に座るか。(立ち上がり実演)指先で椅子を探りながらよたよたと。この人とは絶対結婚しないと思ったわ。

2014-01-25 14:10:20
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

こういうことが役立つ。先ほどの指先で小銭を数えたりね。ゴーゴリーを読みながら、私は非常に肉付けをしてる。

2014-01-25 14:11:32
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

言語と表現は別にあるといったが、戯曲を読んでいてドラマツルキーを考えいると、言葉ではなくなる。よく文学名作の(そのままの)映画化があるが、正しい方法とは思わない。文学の二行をそのまま映像化しても映画にはならない。映像化するには二行の背景、シチュエーションが見えないといけない。

2014-01-25 14:14:40
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

その二行を生かさなけれぱいけないが、それだけではない。外套の査察官はフレスタコフ、原作にはない(?)

2014-01-25 14:17:03
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

いつも貧しいアカーキーをからかう役人の役として外套に持ってきた。なぜそれが必要なのか?ゴーゴリは外套に、役人たちがアカーキーをあざ笑っていると書いた。私は「役人たち」を描かなければいけない。

2014-01-25 14:18:42
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

二重性を描く。役所に、行くのが嬉しい役割も存在するはず。フレスタコフという言葉は曲線のよう。だからそう描く。どう歩くか、振り向くか、どうやって遊ぶか。

2014-01-25 14:20:52
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

役所の中でフレスタコフは話すに違いない。それをゴーゴリの査察官から私は持ってくる。 だから、キャラクターを思いついたらデッサンや性格などを私が最初に周りに示さなければならない。アカーキーは、静かで仕事に熱中し、周囲に無頓着。

2014-01-25 14:22:57
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

仕事に没頭するアカーキー、それをからかう役人。そうではない人も登場しなければならない。フレスタコフが現れ、悪意なくふざけることもある。フレスタコフ一人では役所の雰囲気にはならない。こういうことは映画を作るとき、初めからはわからない。作り始めて、足りないと登場してくる。

2014-01-25 14:25:26
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

アカーキーのフレスタコフの2極性では単純な構図。違う人が出てくる。例えば禿げてて素敵な人がいる。周囲もそう思っている。本人は嫌。髪を後ろから持ってくる。役所にやってきて鏡をみながら髪を後ろから持ってきてヘヤピンで止める。フレスタコフもやってきて、みている。フレスタコフが髪を吹く。

2014-01-25 14:28:58
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

慌てて髪は戻したいがカバンは落としたくない。こうした人物がなぜ必要か。フレスタコフは悪人ではない。ふざけたい。髪を吹かれた人は真剣。激怒して追ってくる。

2014-01-25 14:31:58
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

(ちょっと追いつけないから仕切り直し)

2014-01-25 14:32:24
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

そうした役所の朝の風景。フレスタコフの悪意のなさを描くためには必要なシーン。だから、アカーキーを取り巻く役所の人がどういう人かわからないとつまらない。細部を積み上げ、描いて行く必要がある。皆がそうして、ふざけたり遊んだりしている時に清書をしている。それがアカーキーなんです。

2014-01-25 14:34:34
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

それにより、アカーキーの能力、集中力や熱心さも同時に表現される。映画の中の法則。全員が動いていると、立っている人、動いていない人を注視する。

2014-01-25 14:36:57
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

再度、言語と表現の話。映画の物体、物質。画面は強制する。私は非常に表現芸術が大好き。名作を何十と発見する(?) 北斎をみると、いろいろなところで登場人物を生かしている。隅田川の船、船頭などが、思い思いに別のことをしている。岸辺の女は洗濯物をゆすいでいる。まるで動いているように。

2014-01-25 14:40:24
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

仔細に私は見てしまう。船はもう動きだしそう。頭に巻いた手ぬぐいをゆすぐ人。(時間軸を感じる)船の舳先に腕を組みうなだれている人。うたた寝をしているのか。しばらくすると寒さでゾクゾクしそう。まるで詩のよう。遠くの夕日、光。この小さな船を囲む風景にすべてがある。生きた生活がある。

2014-01-25 14:44:12
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

私たちが見えているもの。小さな光だけ。その向こうにある人の生活。 物質を物質に思わせない。作家が変容する。人間の感情、これが残される。

2014-01-25 14:46:03
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

これこそが、作家、私にとっては重要。物質の克服。

2014-01-25 14:47:03
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

質疑、観客とはどんな存在か? 自分のために作る。優位性ではない。私が私の作るものに責任をとらないといけない。作る時はわからない、わたしが見つけるものが含まれている。それを共有してもらえたら。テーマを持って作り始めるが柔軟性もいる。ずらす勇気も必要。

2014-01-25 14:50:55
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

作品側が私に命じ始めることもある。そういう瞬間がある。 私の作品の大部分がソ連時代。 検閲などはあったが、制作資金の苦しみはなかった。それは幸運だった。

2014-01-25 14:52:10
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

自由にできるわけではない。コントロールも受けた。シナリオを提出する、途中で変更もある、映画の指令に耳を傾けることもできる、それは、映画のいい点。 自分のためにつくるが、観客のことを考えないという意味ではない。 表現とテーマを一致させること。

2014-01-25 14:54:51
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

非常に難しいことは、撮って行く、アニメーションは少し動かしてまた撮る。物質を変容させることは大変。コマ撮りはテクニックがいる。だが、テクニックを見抜かれないようにしなければいけない。自然なものになるように。私は全身全霊で動きを感じていなければならない。

2014-01-25 14:57:18
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

時計を見ないで思い通りに動かせるようになるまで、やるのです。 自由な感覚も重要。どうしても妥協できない時、自由な感覚をもっていれば、捨てることもできる。アカーキーの、キャラクターには非常に時間がかかった。 無意識でできた事を意識化することもやらなければいけない。

2014-01-25 15:00:10
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

アカーキーを自分の爪のサイズでかかせたりした。物質化の克服は常にやらなくてはいけない。作り上げるときに、最初は気楽にできないはず。小さく描くとものすごく集中する。このキャラクターの心理状況に応じた絵をそれぞれ描く。自分の追体験、共感、そういうものを込める(?)

2014-01-25 15:03:20
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

それを(四倍くらいに)拡大する。偶然の線が、キャラクターの意識を表すものになっていたりもする。(意識化と無意識を意識的に行き来し操作する。)

2014-01-25 15:05:01
よしだ ٩( ᐛ )و @ysd_ms

赤ちゃんアカーキー、大人のアカーキー、勤めているアカーキーを作った。赤ちゃんの頭部の柔らかいとこらへん、から描き始めた。私たちの見るような角度から描くように頼んだ。

2014-01-25 15:07:37