いいえ。パーリ三蔵から抜き書きして書かれた百科事典みたいな本からの引用です。引用元は古いパーリ経典(初期経典)です。@Sukuitohananika
2014-02-13 19:23:07「人間は意欲の激しい、暗い衝動である。(これはその焦点である生殖器という極によって示される)」ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第3巻
2014-02-13 19:43:19@naagita なるほど、初期経典にあるのですね。中村元によると、パーリ語経典であってもすでにブッダの神格化や弟子による明らかな付加があるとのことなので、夢精の件もなかなか確定はできにくいかもしれませんね。古いものはこういう点が難しい。
2014-02-13 19:48:17っつーか「ブッダの直説は確定できない」というテンプレ言説をたてに仏教を自分の俗情のオモチャにすんのいい加減やめて貰えませんか?見苦しいにもほどがある。 @Sukuitohananika
2014-02-13 19:53:56だいたい中村元は学者としては途轍もない立派な人だけど、一般向けの本で彼が開陳してるブッダ観はかなり怪しい。はっきり言って自身の生き方を投影した願望のパッチワークに過ぎない。そのへんの日本の仏教言説のおかしさについては、おらの新刊『日本「再仏教化」宣言!』できっちり論じたけどね。
2014-02-13 20:16:57疑問だったので、質問させてください。夢精とは、性的な欲望(意識しているか否かに関わらず)によって起きるのでしょうか、単に精子がたまったから排出される生理的現象なのでしょうか。仏典は前者と解釈してますね@naagita @Sukuitohananika @southmtmonk
2014-02-13 22:19:37@naagita いや、私にとってはすごく真面目な問いです。ブッダは涅槃に至ったあとも身体性次元の老化と病には勝てませんでした。そしてそれは否定されるものではないです。同様に夢精という身体性にたとえ勝てなくてもそれは欲望が原因ではないから否定されなくてもよいと私には思えます。
2014-02-13 23:51:06私のポイントは、身体性には、自分の欲望や執着に起因するものと、単なる生理的身体機能に起因するものがあり、解脱に中心的に関わるのは前者であって後者ではないだろう、という点です。そして私は夢精は後者だと思っています。あえて単純化してますが。@naagita @southmtmonk
2014-02-14 00:01:45@Sukuitohananika 先ほど質問させていただきましたが、わかりました。夢精について、森岡さんは身体性を、仏典(佐藤さん)は欲望が原因だと考えるところに解釈の相違が出てくるのですね。で、森岡さんは原始仏教における身体性のとらえ方を問題にされていると @naagita
2014-02-14 00:01:04老病死が避け難いという問題と夢精の話は次元が違います。また、覚者(阿羅漢)に夢精が無いことは初期経典に明記されてます。以上で解決です。それでもブッダに夢精させたがるのは、森岡さんの勝手な妄執でしかありませんよ。@Sukuitohananika
2014-02-14 00:34:12仏教は前者の立場です。森岡さんが何かを思うのは勝手ですが、森岡さんの思ったとおりで無いからといって、「仏弟子が仏教を捻じ曲げた」と言い募るのは、仏教徒に対する侮辱です。何様なんですかね、あなたは。^^; @Sukuitohananika @southmtmonk
2014-02-14 00:39:20議論は中断しましたが、出展を調べたのでそれだけお知らせします。昨日は増支部としましたが律蔵(和訳本の出典表記間違い)の記述でした。正しくは律蔵大品8衣の集成(Vin.i.294-295)です。@Sukuitohananika @southmtmonk
2014-02-14 11:06:59正しくは、パーリ律蔵大品8衣の集成(Vin.i.294-295)に明記されています。@Sukuitohananika @southmtmonk
2014-02-14 11:08:34サーラサンガハの本文にも「これらの眠りの過患と利益と不浄を漏らす(夢精する)こととを説明する聖典は律の中に説かれていると知られるべきである。」とありますね。@Sukuitohananika @southmtmonk
2014-02-14 11:11:25無駄な希望をもたせると悪いので念押ししますが、律は経と一緒に編纂されたものでテキストの正統性は経と同格です。特に律蔵大品は釈尊の初転法輪を記録しているという意味でも重要な聖典です。@Sukuitohananika @southmtmonk
2014-02-14 11:13:22@Sukuitohananika 行者が直面する身体性を、「欲望/執着」のフェイズと「生理的身体機能」を切り分けてみようというわけですね。面白い思考実験になりそうですが、いくつかクリアしなければならない問題があるようにも思います。 @naagita @tenuh2011
2014-02-14 18:55:33@Sukuitohananika そもそも「エッチなことを考えずに夢精することができるのかどうか」 佐藤さんが律蔵から引用されたテキストでは二者をわけて考えてはいませんし、「エッチな考え」抜きの「夢精」とはどのようなものなのでしょうか @naagita @tenuh2011
2014-02-14 19:00:49@Sukuitohananika 射精されなかった古い精子は尿とともに排出されると遠い昔どこかで習ったような覚えがありますが、エッチな考え抜きの夢精とはこのようなものなのでしょうか。律には抵触しないでしょうが、そういうことではないですよね @naagita @tenuh2011
2014-02-14 19:06:05@Sukuitohananika 性的な対象ではないとおもわれるもの、たとえば「石ころ」を思い浮かべながら射精をした場合、これは「エッチな考え」抜きの「夢精」といえるでしょうか。 @naagita @tenuh2011
2014-02-14 19:09:25@Sukuitohananika おそらくその場合、「石ころ」についてのフェティッシュな欲望に振り回されているということになりそうですよね。 @naagita @tenuh2011
2014-02-14 19:12:28@Sukuitohananika また、はたして「生理的身体機能に起因するもの」という理由で「夢精」を許していいのかどうでしょうか。たとえば瞑想のトレーニング中に、われわれは恐ろしい「眠気」と闘うことになることがあります。 @naagita @tenuh2011
2014-02-14 19:17:52@Sukuitohananika 「眠気」は先の分類では、「執着/欲望」ではなく、おそらく「生理的身体機能」に属するものであると思います。ならば瞑想修行者は純粋な「生理的身体機能」に導かれる限りにおいては居眠りをしても許されるのかどうか。 @naagita @tenuh2011
2014-02-14 19:20:34