気分はもう戦争 安倍晋三的ウォー・ゲーム(2)~「安倍=ファシスト」論

新しい「ファシズム」の形態をめぐる議論。
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WKT @msadralapse

20世紀の左派は、少なくとも表面上は、「日本の労働者を守れ」「ドイツの若い世代を守れ」とファシストに口を揃えなければならなかった。21世紀の左派にとってはその必要も意味もない。

2014-02-14 18:41:05
WKT @msadralapse

カウンターは左派の専有物ではない。でも、そこに普遍主義という左派性が絡んでいるとすれば、カウンターの左派性についてよく言われる「ナショナリズムの危険」は、以上の理由で杞憂なのだ。おれたちは必然的にコスモポリタンだ。すでにこの街で共に生きている。

2014-02-14 18:45:00
WKT @msadralapse

時代が変わり、旧い左派の分析では通用しない安倍ファシズムがニヤニヤしている。その本質をインテリより先に洞察して、直接的な街のコスモポリタニズムを戦闘的に出現させたのが、カウンターの群衆だ。

2014-02-14 18:49:00
WKT @msadralapse

カウンターの戦闘的な普遍主義、街のコスモポリタニズムは、左派やヘサヨの鈍さのために分析も対抗も出来ていなかった21世紀型ファシズムの性格を明らかにしうるし、対抗しうると思っている。カウンターのごたまぜ群衆の存在は、21世紀型ファシズムに正面から罵声を浴びせる。

2014-02-14 19:01:44
WKT @msadralapse

というわけで、安倍はファシストである。ファシストを通すな。

2014-02-14 19:02:14
笠井潔 @kiyoshikasai

ファシズムには狭義と広義と、二つの意味がある。狭義はムソリーニを首領とするイタリアのファシズム。広義は、ドイツのナチズムやスペインのフランコ派などを含めた1930年代の反共・反民主主義の政治勢力。スペイン戦争でも共和国派はフランコ軍やイタリア、ドイツをファシストと一括していた。

2014-02-14 17:52:00
笠井潔 @kiyoshikasai

広義のファシズム概念が流布したのには、ソ連の影響が大きい。もっとも反動化した帝国主義の政治的上部構造として、コミンテルンはイタリアやドイツの政治体制をファシズムに括った。広義ファシズム概念の、もうひとつの発信源はアメリカだった。

2014-02-14 17:56:29
笠井潔 @kiyoshikasai

第二次大戦を民主主義(連合国)とファシズム(枢軸国)の対決として捉えたのが、アメリカだ。この観点からは、連合国の一翼だったソ連が反民主主義の収容所国家である事実も、英米と独日の対立が帝国主義間対立だった事実も抜け落ちている。

2014-02-14 18:02:08
笠井潔 @kiyoshikasai

ソ連側のファシズム論はいろいろあるが、アメリカ側のそれは第二次大戦後にハンナ・アレントが『全体主義の起源』を発表するまで、理論的には乏しいものだった。ただしアレントの論は、ナチズムとボリシェヴィズムを「二つの全体主義」として論じたもので、大戦中の連合国vs枢軸国の図式とは異なる。

2014-02-14 18:05:26
笠井潔 @kiyoshikasai

コミンテルンも日本共産党も、日本の政治構造をファシズムとは規定しなかった。天皇制は半封建的な君主制であり、日本は軍事的・封建的帝国主義国家だと考えられていた。日本共産党は、今日にいたるまで戦中日本をファシズム国家とは認定していない。中国共産党は日本軍国主義の語を用いる。

2014-02-14 18:15:21
笠井潔 @kiyoshikasai

第二次大戦後の日本で影響力を発揮したのは、丸山眞男の天皇制ファシズム論だが、丸山の論にはソ連サイドとアメリカサイドのファシズム観の双方が入っている。枢軸三国の一角を占めた日本の政治権力を、イタリアやドイツのそれと基本的に変わらないファシズムと規定できるだろうか。

2014-02-14 18:28:47
笠井潔 @kiyoshikasai

ナチズムとボリシェヴィズムはともに、自身が「運動」であることに強烈な自負を抱いていた。この事実に註目したのはアレントだが、ファシズムは政治権力や国家体制に還元できない。あくまでも「運動」が、旧体制を打倒して権力を奪取したのである。この点でファシズム運動もまた革命運動に他ならない。

2014-02-14 18:35:51
笠井潔 @kiyoshikasai

権力奪取と上からの社会改造をめざす左翼革命運動がボリシェヴィズムだとすれば、ファシズムは右翼革命運動である。ボリシェヴィキ党は帝政ロシアの国家と社会を廃墟に変えて一党独裁の新国家、新社会を建設しようとした。同様にナチ党はワイマール国家と社会をずたずたにした。

2014-02-14 18:41:22
笠井潔 @kiyoshikasai

イタリアのファシズム運動で、主流派のムソリーニがマラパルテなど農村ファシスト勢力を粛清したように、ヒトラーはレーム派の突撃隊を弾圧した。この事情は、ボリシェヴィキ党がエスエル党やクロンシュタットのソヴィエトを排除したのと相似形をなしている。

2014-02-14 18:46:19
笠井潔 @kiyoshikasai

アナキストの言い草ではないが、革命運動としてのボリシェヴィズムとナチズムは権力奪取後には革命派を押し潰し、旧体制よりもさらに抑圧的な新体制を築いたにすぎない。この点でも両者は、双子のように似ている。とはいえ、この事実を確認しただけでは、結論として常識的すぎるだろう。

2014-02-14 18:50:07
笠井潔 @kiyoshikasai

左右の政治的な方向性は対極的であれ、ファシズムとボリシェヴィズムが酷似しているのには理由がある。いずれも19世紀社会主義が、第一次大戦という大波によって流されたあと誕生した20世紀社会主義だからだ。

2014-02-14 18:56:12
笠井潔 @kiyoshikasai

イタリアのファシズムは第二インター加盟のイタリア社会党から分岐した勢力だし、ムソリーニも 社会党員だった。ナチスが党名に、社会主義と労働者の語を含んでいることはいうまでもない。

2014-02-14 18:59:17
笠井潔 @kiyoshikasai

人類の「進歩と向上」を信じた19世紀思想の左翼版としての第二インター社会主義は、塹壕を埋めた700万人の戦死者の重圧によって押し潰され、「戦争と革命の時代」になるだろう20世紀が開幕した。世界戦争の20世紀という苛酷な時代に適応した社会主義がボリシェヴィズムとファシズムだった。

2014-02-14 19:03:48
笠井潔 @kiyoshikasai

ファシズムの戦術は大衆集会とデモ、プロパガンダとアジテーションなど、左翼のそれと同型的だった。いずれも社会主義運動なのだから、当然の結果である。しかし日本では、事情が大きく異なった。日本にも自由民権運動の国権派を源流のひとつとする、民間の右翼社会運動は存在した。

2014-02-14 19:08:18
笠井潔 @kiyoshikasai

自由民権運動の参照先のひとつはヨーロッパの社会主義運動で、集会や歌という動員方式はそれに由来している。しかし昭和になると、先鋭化した右翼社会運動からデモや集会という社会主義的戦術は忘却され、テロリズムとクーデタという超過激戦術が焦点化されるようになる。

2014-02-14 19:13:11
笠井潔 @kiyoshikasai

それでもまだ、下からの「運動」による旧体制の破壊と権力奪取という展望は、陸軍皇道派による2・26事件までは生きていた。北一輝など民間右翼と皇道派の敗北の後、日中戦争が開始される。近衛政権に主導されて昭和新体制が確立されるのは日中戦争開戦後のことだ。

2014-02-14 19:18:42
笠井潔 @kiyoshikasai

ちなみに北一輝もまた、純正社会主義を唱える社会主義者だった。

2014-02-14 19:19:46
笠井潔 @kiyoshikasai

大正リベラリズムにいたった19世紀的な明治憲法体制は、1929年恐慌(日本では昭和恐慌)によって根底から揺らぎ、20世紀的な政治再編が進行しはじめた。その完成が昭和新体制だが、ファシズムと大きく異なるのは、これが「革命」ではなく旧体制の自己再編として実現された点だ。

2014-02-14 19:23:32
笠井潔 @kiyoshikasai

つまり日本にファシズム革命は存在しなかった。ファシズム革命の日本版になりえたかもしれない皇道派のクーデタを踏み潰して、陸軍統制派と革新官僚による昭和新体制は確立されたのだから。

2014-02-14 19:28:34
笠井潔 @kiyoshikasai

国家総動員法の1938年から敗戦の1945年まで続いた戦時天皇制は、下からの「運動」でなく上からなされた統治システムの再編成という点で、ファシズムとは原理的に異なっている。似たような権威主義的警察国家だったとしても、ファシズム国家と戦時天皇制を同一視することはできない。

2014-02-14 19:31:50
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