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村上隆氏×中原浩大氏×ヤノベケンジ氏×楠見清氏 日本アートシーンの争点 - Togetterまとめ http://t.co/dWcRb6YuQ2 一貫して「参照項」発想で書かれている。村上氏は露骨にアメリカンポップを参照したが、中原氏は「自閉的日本文化」を参照することを止めた。
2014-02-14 23:51:29シンポ「想像力の〈コモンズ〉」Ⅱ部、居酒屋トークの如し。楠見氏が「芸術、技術、呪術は共にメディウム(媒)であり連関する」と述べたが、総てのコミュニケーション表現にはメディウムがあるわけで、そのメディウムの質に本質を見なければ「芸術はコミュニケーションである」という言及でしかない。
2014-02-16 18:10:48それに対して中原氏は「お二人(村上・ヤノベ)にはメディウムがある。ただ、メディウムがない状態も僕はイメージできる。そういう実体のないものに向かう方向もある」と静かに語った。これは先のコミュニケーション至上主義的な発想やパラダイムにたいする根本的な疑義であるように思われる。
2014-02-16 18:18:55この中原氏の(対人的)ディスコミュニケーションと好対照であったのが村上氏。彼は「現代アートの本場である米英の“現代アートの文法”を知らないバカには作品を見せたくないから日本では発表しないし、わかってもらおうという気も全くない」と言う。しかし海外には見せたいのだから恨み節に聞こえる
2014-02-16 18:32:38対照的なのは、村上の場合は“現代アートの文法”をもつ米英のシーンを「広い/開かれた世界」だと考えているのに対して、中原の場合は逆に“非アート世界”のほうが広大だと考えている点である。当然、後者が社会的実情にそくするが、美術クラスタでは往々にして前者が常識化されがちではある。
2014-02-16 18:40:54この不思議な倒錯についてはシンポⅢ部で吉岡氏がSNS について同様の構造を指摘した。すなわち「ツイッターは実のところ、世界を閉ざす欲望(効果)に基づいている」と。SNS に嵌まる人はイイネで同質小社会に閉じる。逆にSNS をやめることで、非人間界など広域世界にであうこともある。
2014-02-16 18:51:20中島さんの「中原の場合は逆に“非アート世界”のほうが広大だと考えている」というのは、そういう言葉が当日、中原さんから出たのかな。いかにも中原さんらしい。実際、中原さんは「大地の魔術師たち展」の影響を受けたと言っている。
2014-02-17 09:37:31「大地の魔術師たち展」というのは1989年にポンピドゥー・センターで開催されたマルチカルチュラリズムの先駆け的展示。西洋と非西洋の区別なく、世界中から百名の同時代作家を選び、第三世界の作家の手になる仮面も西洋の著名作家の作品もほぼ同面積のスペースを割り振った。
2014-02-17 09:41:37中原さんはこれに刺激されて《ギフチョウ》という作品を作り、以降の作品はその影響下で制作されていった、と先般の岡山での展示キャプションで述べておられた。カタカナ書きの「アート」に収まらない、どこか宇宙人のような発想はここから来たのか、と納得した。
2014-02-17 09:44:19