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tomo1109_Reffi
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そういえば今まで 「これほんやくチームの別名義の仕事じゃね?」 という疑惑のある文章を提示された覚えが無い。 仮にほんやくと並行で書き物の仕事をしてるのだとすると、これ程独特の文章を書いておきながら、別名義ではその痕跡を残していないことになり、それこそが恐ろしい #njslyr
2013-07-06 10:50:07![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あの一見荒唐無稽な忍殺語は、幅広い年代・幅広いジャンルにまたがる知識を持っていて、更にそれを独自の解釈・感性で鋭く切り刻める人間でないと生み出せない。
2013-07-06 11:43:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
表面的な文体が取り沙汰されることが多いけど、起承転結の構成も伏線の張り方も異様に上手い。各エピソードごとの物語のバリエーションも多岐に渡っていて、しかもそれが混沌と統一されたテーマ性の間のギリギリのライン上を綱渡りしている。
2013-07-06 11:51:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
物語の内容と文体は不可分で、あの文体でないとあの物語は成立しないというあたりが何より恐ろしい。よくもあんなものが書けるものだといつも思ってしまう。
2013-07-06 11:59:17![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
一見ギャグにしか見えないものが、膨大な繰り返しの果てに、単なる様式美を超えた奥ゆかしさ、叙情性といったものすら獲得する。#njslyr
2013-07-06 12:33:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
例えば、「フー・キルド・ニンジャスレイヤー?」におけるフジキドの挨拶を思い出して頂きたい。あれは忍殺語でなければ成し得なかった境地の一つだと思う。#njslyr
2013-07-06 12:42:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ニンジャスレイヤーを知らない知り合いにこれを説明する為に以前引き合いに出したことがあるのが、映画クレヨンしんちゃんのオトナ帝国。#njslyr
2013-07-06 13:34:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
正確には、オトナ帝国における「ひろしの足の臭い」の扱い。「なつかしい匂い」で洗脳され、子供に戻ってしまったひろしを正気に戻す為に、しんのすけはひろしにひろしの靴の臭いをかがせる。
2013-07-06 13:39:37![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「ひろしの足が臭い」というのはクレヨンしんちゃんにおいて10年以上にわたって延々と繰り返されてきた一種のルーチンギャグであるわけだけど、それはつまり、平和な家族の象徴であり、人生の重みであり、作品の歴史の積み重ねでもある。
2013-07-06 13:42:10![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
本来、ギャグにしかならない筈の足の臭いをかがせるというシーンが日本映画史上に燦然と輝く屈指の名シーンとなったのは、それがギャグにしかならない筈のシーンだったからだ。
2013-07-06 13:45:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
http://t.co/JJdaILvSzL 伊集院とテリーギリアムの対談思い出した。面白いや悲しいだけではダメで、それらが混ざって初めて感動を作り出す。忍殺はまさにこれ。 #njslyr
2013-07-06 13:57:21