Aufklärung und Ausgang

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死んでる... @bzzzzzzzzzzz_

@mittsko 労働力再生産の構成要素、だけでは渇いてるのでw、好み、数奇、業を織り成すことで自己実現(非人間主義)を並行させる、協力者~代行者。というイメージを置いておきます>> クリエイター

2010-10-27 19:22:12
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

非人間主義ktkr ww RT @bbiizzeenn: @mittsko 労働力再生産の構成要素、だけでは渇いてるのでw、好み、数奇、業を織り成すことで自己実現(非人間主義)を並行させる、協力者~代行者。というイメージを置いておきます>> クリエイター

2010-10-27 19:25:58
死んでる... @bzzzzzzzzzzz_

@Abraxas_Aeon ですねー。学問的なこととなるとからきしですがwその時はよろしくお願いします。あと、非・人間主義とした方がマシでしたw

2010-10-27 19:29:41
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

ある意味で奇異に感じるのは、近代主体を批判してきたフーコーが、近代性の創始者の一人であるカントにことの他重要な位置を与えていることである。ここがまた、逆に、ラカン派がフーコーを軽く扱う根拠ともなっている。(山本哲士)

2010-10-21 02:33:43
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

カントはこう問う。Ausgang[抜け出ること]はどのようになされるのか。そのAusgangは、今まさに遂行されつつあるのか。我々はそのうちのどの段階にあるのか。そうしたAusgangの過程の内で、現在我々が占めている地点とは何なのか。その問いに彼は同語反復的な答えしか述べない。

2010-10-21 03:14:04
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

カントは問いそのもの以上のことを何も語らない。「啓蒙とは何か、そして我々はその啓蒙という過程のどこにいるのか」という問いに対してカントは、「我々は啓蒙の時代にいる」と答えるだけで足れりとしてしまう。

2010-10-21 03:20:40
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

そもそも「啓蒙」とは何か。それは「寛容」の正反対である。

2010-10-21 03:25:26
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

「寛容」とは、理性的な思考の働き、議論、公的な形における思考の自由といったものを締め出して、逆に個人的、私的で隠れた使用法の内でしか、それらのものを受け入れないということ。

2010-10-21 03:26:53
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

このような「寛容」の正反対である「啓蒙」とは、自由に対して普遍的な形のもとで最大限に開かれた次元を与えるものであり、私的な役割のもとで、つまり社会組織の内部で定められた特定の役割のもと以外では、服従という状態を認めないようなものということになる。

2010-10-21 03:30:37
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

同語反復的な答えしか述べないとはいえ、実際のところカントは、自らの問いに内実を与えるために、いくつかの要素を介入させる。

2010-10-21 03:42:50
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

①カントは、現在、解放の過程を告げ知らせるいくつかの徴が存在するのであって、それらの徴は、現在まで人間が自らの理性を用いようとすることに対立してきたような「邪魔」が取り除かれることを示しているのだという。

2010-10-21 03:47:12
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

しかし人間が理性を用いることについての邪魔などはない。なぜなら、臆病によってか怠惰によってか、自分の理性を用いないのは人間自身だからである。しかしカントはそうした邪魔な事物の存在を重要視する。

2010-10-21 03:49:01
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

②そうした解放にとっては、ある特定の担い手となる個人や個人の集合など存在しえない、と長々と論じ示したあとに、カントは啓蒙の他ならぬ担い手としてのプロイセン国王・フリードリヒ大王を登場させ、彼が宗教上の事柄に関しては何も命じなかったと述べる。

2010-10-21 03:52:55
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

この宗教という分野においては、問題はあまり生じないのであり、事態は比較的単純であると、宗教権力との間に実際に解決すべきイザコザを抱えていたカントは言う。はるかに多くの危険を孕んでいる宗教という分野において、フリードリヒ大王はその後継者とは異なり何も命じなかった。

2010-10-21 03:57:23
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

だが他方で、大王は強力で「よく訓練された」軍隊によって、国家の「公共の安寧」を保証した。宗教に関する議論を行う完全な自由。そしてそれに伴う公共の安寧を保障する強力な軍隊の創設。これらのことにおいて、以下のような二つの事柄が調停されている。

2010-10-21 04:07:18
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

1)普遍的なものという形態(公共の場での議論、公的な理性的推論や悟性の公的使用のような)のもとでなされる自己の統治。 2)何らかの社会や国家や行政の一部をなすものたちに課せられているような服従に結びつくもの。

2010-10-21 04:10:43
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

カントは、この二つの事柄を調停させたプロイセンのフリードリヒ大王こそが、啓蒙の形象そのものであり、啓蒙の本質的な担い手であり、服従にして私的使用なるものと、普遍的にして公的使用なるものの働きをしかるべく分配してくれる、啓蒙の担い手なのだとする。

2010-10-21 04:15:19
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon

今トゥギャった『「啓蒙」と「抜け出ること」』ですが、フーコーのカント解釈におけるフリードリヒ大王の存在、この話は明らかに『生政治の誕生』で分析対象とされている自由主義の話と絡められる。自由と安全。まあ、諸個人の自由とそれに枠組みを与えてを制限する公共の福祉ってところでしょうがね。

2010-10-27 22:04:17