- freaky1201
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いうまでもなく相手が限りなく間違っている場合とか、問題のある場合に直面したとき、「それは間違っている」って言い切ることはたやすいんです。そして「言い切る」勇気も必要なんです。
2010-10-28 02:51:42しかし「言い切る」勇気=(思索に裏打ちされたものでない)短絡的な断定辞が相手には全く通じないのも事実です。言葉は悪いですが、「それは違う」だとか「アホ」だとかそのへんの手合いです。
2010-10-28 02:51:52要するに、相手を否定だけして、その問題がどこにあるのか示唆できないイデオロギー的恫喝というやつでしょうか。どんなに自己の言説や推論が正しいとしても、それを言ってしまうと終わりなのにもかかわらず、安易に依存することが多すぎるんです。
2010-10-28 02:52:02だから、教科書的表現、デモ行進的=後進的「連呼」には辟易としてしまうわけですから、こちらが賢明にならなければならない、だからこそ、相手の議論に乗るぐらいの「度量」も必要だし、策戦としては「ユーモアとウィット」(伊達と酔狂)が必要不可欠なのです。
2010-10-28 02:52:21さて、そこまで現実にはなかなかいかず、テキトーに非難の応酬をしてそれでクローズというのがあまりにも多いので、結構めいってしまうのが事実ですし、ヘイトスピーチはそれへの居直りだと思って頭に来ることが多いのですが、
2010-10-28 02:52:31それよりも実感するのは、ゲッベルスの有名な言葉「嘘も百回言えば真実となる」というのは真理。それに対して「正論は百回言っても真実にならない」という引き裂かれた現実。
2010-10-28 02:52:38前者は確かにそうなるなー、という実感ですけど、後者もまた然り。正論だけは不思議なことに連呼しても真実にはならない。なぜなら、相手が納得しない限り有効に機能しないからでしょうか。
2010-10-28 02:52:47正論は酔うことが不可能なのです。だからこそ、相手に対して酔わせる連呼が通用しないのが事実でありますから、だからこそ、徹底して、単純否定ではなく、相互了解を求める在り方というのが必要不可欠なのかもしれません。
2010-10-28 02:52:59実感レベルの恣意的な議論ですが、生きているとホント、そう思うことがよくあるんです。だから、できるだけそうした公定発言だとか、決まり紋句での表現、揶揄的なヘイトスピーチではなくて、説得する言語を徹底的に駆使していかなきゃならんのだろうとなあと思う次第です。
2010-10-28 02:54:29