@kenji_kajiya @kmzwhrs @michio_ha ほんとだ。ただ、矢代の本だと、アトリビュート分析のために使用する目的がありますよね。部分図の使用によって分析手法が変わったということを、その起点にするかどうかで、「部分図の起源」の位置づけも変わりそうですね。
2014-03-03 01:02:00@kenji_kajiya @michio_ha @seiichitsuchiya ありがとうございます。ますます面白くなってきましたね。
2014-03-03 00:55:02@kmzwhrs あと、ヴァールブルクのムネモシュネ・アトラスにもありますよね。でも、1924年から29年の制作なので、どちらが早いか分からないですが。
2014-03-03 01:00:07@kmzwhrs @kenji_kajiya @seiichitsuchiya なるほど。部分図そのものは矢代以前にやはり例があるということですね。残る問題は、ある作家の様式的傾向を示すのに系統的に部分図を使ったという意味で矢代以前に例があるかということかな。
2014-03-03 01:06:15#部分図 (というタグを作ってみたが寿命は短かかろう)というか、鑑定に関しては、中村俊春先生の「美術史と鑑定――絵画作品の作者推定の問題を中心に」『芸術学を学ぶ人のために』(太田喬夫編)世界思想社、1999年所収 もあり。矢代への直接の言及はないですが。
2014-03-03 01:07:36@kmzwhrs @kenji_kajiya @seiichitsuchiya ところで、仏像写真の世界では、土門拳が最初に部分像を「作品」として多用したという印象があるけど、そういう理解でいいのだろうか。
2014-03-03 01:09:32@michio_ha @kenji_kajiya @seiichitsuchiya 未読ですがこんなのがでてきましたよ?http://t.co/TyTnetYKtD
2014-03-03 01:10:38@michio_ha @kmzwhrs @kenji_kajiya また高いハードルをw。「作品」としては土門でしょうね。ただ、資料写真や、微妙に「作品」からは外れるラインだと、藤本四八あたりや、東博の写真部あたりの写真を検討しなければならないでしょうね。
2014-03-03 01:14:44@seiichitsuchiya @kmzwhrs @kenji_kajiya 増田論文にあるライティングの効果なども含めて「作品」ということか。調査写真には、たしかに部分を撮影したものがすでに大量にありそう。
2014-03-03 01:19:53@kmzwhrs @michio_ha @kenji_kajiya この増田さんの論文によるならば、『日本の彫刻』においては土門、藤本が特徴的で、戦前にも先駆例はある、という話ですね。深いなぁ……。
2014-03-03 01:22:36@seiichitsuchiya @kmzwhrs @kenji_kajiya それと、備忘的にメモしておくと、矢代の部分図で重要なことは、人体を部分に解体しているということ。これが無意識の禁忌に触れているという可能性。(それとて先例があるかもしれないけれど)。と、これにて離脱。
2014-03-03 01:30:50写真使用の簡易さにともなって、対象を解体するというアブジェクト及びフェティシズムへと美術史研究が舵を取ったというストーリーが描けるならば、これは「近代」的精神の必然的展開として言及することができるだろうね。 #部分図
2014-03-03 01:38:02昨日の矢代幸雄問題。ロジャー・フライが書いた「Sandro Botticelli」(Burlington Magazine [Vol. 48, No. 277, Apr., 1926])に長いコメントあり。矢代の図版(部分の拡大)の革新性と画家の装飾性のマッチングに言及している。
2014-03-03 17:23:34本当ですね。 "The novelty in these [the series of illustrations] lies in the number of separate details which are reproduced... @michio_ha
2014-03-03 17:32:52... on a large scale in the case of all the more important works." @michio_ha
2014-03-03 17:34:16@kenji_kajiya 全体としては、かなり批判的だね。結局矢代の感性は古くて、ラファエル前派的だと。フライの美学的ポジションが強く出た文章。
2014-03-03 17:41:34以下、上記のやりとりの補足的内容
●美術史における受容史、研究史
矢代の研究が進まないのは、お師匠のバーナード・ベレンソンが、同時代のアビ・ヴァールブルクに比して不当にまで評価が低すぎることと関係あるのだろうか。ベレンソンも面白いのに。
2014-03-03 00:12:15